短編

モンマルトルのデニス伝説【ゆっくり朗読】#172-1220

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VOICEVOX:九州そら
パリのディオニュシウス(英語名デニス)、または聖ディオニジオとして知られるこの人物は、キリスト教の殉教者であり、カトリック教会の聖人です。
3世紀にパリの司教として仕え、約250年頃に殉教したと伝えられています。
彼はフランスの守護聖人として、そして十四救難聖人の一員として広く尊敬されています。
「ディオニュシウス」という名前は、「ディオニューソスの召使」という意味を持ち、現代ではフランス語や英語で「Denis」と表記されます。
彼は、日本では聖ドニやサン・ドニとしても親しまれており、フランスのサン=ドニ市の名の由来ともなっています。

彼の物語は、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』にも記されており、ヨーロッパの著名な聖人の一人として数多くの芸術作品に影響を与えてきました。
しかし、彼のように首を失った殉教者の表現は、ディオニュシウスに限られるわけではないため、注意が必要です。

ディオニュシウスの生涯については、トゥールのグレゴリウスによる記述があります。
彼はパリジ族の司教で、剣で首を切られて殉教したとされています。
彼の生涯と迫害に関する最初の文書は、600年頃に成立したもので、彼は3世紀にイタリアからガリアへと派遣された伝道者として描かれています。
彼は、ルスティクスやエレウテルスといった仲間とともにセーヌ川沿いのシテ島で暮らしました。

異教徒の僧侶たちの怒りを買った彼は、パリ近郊のモンマルトルで斬首されました。
この地は「殉教者の山」という意味を持ち、彼の殉教にちなんで名付けられたとされています。
『黄金伝説』によれば、彼は首を斬られた後も何キロメートルも歩き、説教を続けたと伝えられています。
彼が最終的に亡くなった場所には後に小さな礼拝所が建てられ、その後サン=ドニ大聖堂となり、フランス国王が埋葬される場所となりました。

死後、ディオニュシウスはすぐに崇敬の対象となり、彼とその仲間の遺体は殉教の地に埋葬されました。
パリの人々と聖ジュヌヴィエーヴの支援により、彼の名を冠したバシリカが建てられました。
彼の名はフランス軍の戦いの声としても使われ、彼の墓所に捧げられた旗はフランスの軍旗となりました。
教皇ステファヌス2世によってローマにもたらされた彼への崇敬は、ヨーロッパ中に広がりました。
1568年、教皇ピウス5世によって正式に列聖され、彼の祝日は10月9日とされています。

カトリック教会では、彼は十四救難聖人の一員として崇敬され、悪魔憑きや頭痛の際に取り成しを願うと効果があるとされています。

美術上では、ディオニュシウスはしばしば首なしで歩く姿で描かれます。
これは、彼が斬首された後に自らの首を持ちながら歩いたという伝説に基づいています。
ただし、このような首なしの聖人の表現は他にも存在し、様々なバリエーションが見られます。また、彼とは別人であるディオニシウス・アレオパギタと混同されることもありましたが、現代の歴史家たちはこの点については一致しています。

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