住職の親父さん、大住職から聞いた話書きます。
592 :本当にあった怖い名無し:2006/05/07(日) 19:32:06 ID:DcZtbYbr0
大住職のお寺は、何十代と続いたわりと古いお寺です。
当然建物もかなり古く、いまだに釜戸なるものも存在します。
この話しはその釜戸の横にある、封印された扉の話です。
場所柄、あの悲惨な戦争の戦火に、お寺は巻き込まれませんでした。
大住職のお父さんは、大変人が出来ておられて、
戦火に巻き込まれた人たちの避難先として、お寺を開放していたそうです。
人づてで、他府県からの方も避難して来てたみたいです。
多いときには、数十家族もお寺に住んでいた時もあったようです。
戦争も終わりに近い時期、大住職のお父さんが寝ていると、軍靴の音が聞こえてきたそうです。
一つや二つではなく、数十人が行進しているような、そんな音だったそうです。
そしてドンドンドンと、激しく扉をたたく音がする。
急いで玄関にでたが、玄関ではない。釜戸の横の勝手口を叩いている。
大住職のお父さんは、なんでそんな所をと思ったそうですが、勝手口の扉を開けたそうです。
するとそこには、一人の軍人さんが立っており、大住職のお父さんを顔を見ると靴を揃え敬礼をし、
「私は南方******隊の******であります。私の家族が大変お世話になっていると聞き、お礼に参りました」
その当時、帰還兵というのは神様のようなもんで、お国のために戦ってきたというもので、
大住職のお父さんは大変恐縮し、
「すぐに家族の方をお呼びするので、お座りになってお待ちください」と、家族の方をよびいったそうです。
家族の方と一緒に戻ると、その帰還兵の姿はなく、扉もしまっていたそうです。
1ヶ月ほどあと、戦死の官報がお寺の方にきたそうです。
終戦までに、5回か6回くらい同じような事があり、きまって釜戸の横の勝手口にやってきてたそうです。
やがて終戦になり、大住職のお父さんは、死んでも家族のことを思ってここに来る。
悲しいがそれは仏さんの為にならない、と扉を封印したそうです。
家族には、そういう方達がいたのを忘れないようにと、塩とお供え物をするよう言い残したそうです。
今でも住職の家では、毎年勝手口にお供え物をしている。