バイトを始めて一年ほど経った頃、妙なウワサが立っていた。
原著作者「怖い話投稿:ホラーテラー」鴨南そばさん 2010/04/14 01:13
確かにお客様との会話にオカルトネタが出ることはあるにはある。
しかし、僕がそういうものが得意だと吹聴しているわけでも、そういう事実もない。
僕がウワサに気付いたころには、名指しで相談が来るようになった。
相談事はほとんどのものが解消することが出来た。
なぜなら、相談事の内容は普通に接客しているだけで解消できることが多かったからだ。
ちょっと不思議な御悩み相談。そんなレベルの話だ。
あまりに下らないレベルのものから、あまりに荒唐無稽な話までたくさん。それこそ何十種類もの相談を受けた。
だが多くは、相談したことで自己解決してしまうことが多い。
誰にも話せない悩みを打ち明ける。きっとそれ自体が解決になってしまっているのだろう。ようするに誰でもいいのだ。
そのせいで幸か不幸か、人並み以上にその手のネタを抱えている。
勘違いの実績から、更にウワサが広まる速度と信憑性をつけてしまったらしい。
そんな理由で、新規のお客様で一見さん、さらに指名なしで一人客の場合、僕に用事があることが多くなった。
正直な話、水商売と言うものはリピート率が重要なので、嬉しいような嬉しくないような。
金久保さんもそういった相談が目的の一人だった。
「ストーカー?」
「そう」
年齢は30歳前半だという。
失礼だが、見た目からはそういう年齢には見えない。50代と言われても納得していただろう。
目の下が落ち窪み、骨ばった顔には陰影がはっきりと表れている。ギョロギョロとした目には血管が見える。
シャブやスピード、Sとかアイス。そんな単語が頭の中に流れた。何故だかは全く分からないが。
「警察には行ったの?」
「警察には行かない。もうちょっと調べないといけないと思って」
警察には行かないんじゃなくて、行けないんだろうな。何故だかは全く分からないが。
幻覚。幻聴。
先輩の口癖が浮かぶ。
僕にバイトの斡旋をしてくれた先輩はリアリストだ。オカルト現象の大半は頭の故障かドーピングが原因だと。
僕も賛成だ。少なくともこの人に関しては。
さて、どうしよう。幻覚のストーカーを退治する方法か。
ってこれ病院の管轄じゃね?
「そのストーカーってどれくらい付きまとってるの?」
「うーん。一ヶ月くらいかなあ」
「被害とかは?」
「小物がちょっと無くなったりで、これといっての被害は特に。
だからコトが大きくなる前に何とかしてよって言ってんじゃない」
ごもっとも。
だけど、僕は医者でも警察でも探偵でも池袋のトラブルシューターでもない。僕なんかに頼むのはどうかと思う。
「えーと、勘違いして欲しくはないんだけど、僕はそういった事件めいたものの相談はやってないんだよね。
だから、僕じゃちょっとその手の――」
「うるっさいわね!知ってるわよ!普通のストーカーだったらアンタみたいなのに頼んでない! そのストーカーは私なの!!!」
「……は?」
彼女が言うには、そのストーカーを初めて見たのは一ヶ月前らしい。
家に帰りお風呂に入ろうとしたところ、風呂桶には自分が。何とも恨めしそうにこちらを見続けていたと言う。
二度目、今度はキッチンで。
三度目はベランダ。笑えることに、デッキチェアでくつろいでいたらしい。
そうやって何度も何度も見るようになった。
何か聞いたことあるな。ドッペルゲンガーだっけ?見たら数日で死ぬって言う。
生きてるよな、一応。
これで僕のところに来た理由は分かった。
だが、自分が霊能力だとかそういった、
不思議現象や病理関係の問題を解決する力を持っていないこともよおく分かっている。
本格的にどうしよう。
よし。
「あの、調査が必要なので、後日に詳しい話を伺ってもいいですか?後日に」
問題の先送りをすることにした。政治でもよく使われる高等テクニックだ。
本格的に取り組んでくれる、そう勘違いしたらしい。金久保さんは格段に機嫌が良くなった。
その後、大いに僕たちにお酒を振舞い、フルーツがテーブルを彩った。
金久保さんがその日に落としてくれたお金は、一時間半でなんと75万円。新規で単独のお客様としてはかなりの額だ。
見送った後に店長が、
「あの客は絶対逃がすなよ」
と耳元で言った。
どうやら先送りは無駄なことのようだ。僕が逃げたい。
「ドッペルゲンガーって分かります?」
「ああ、見たら死ぬってヤツ?」
「それそれ!それです!」
「お前の寿命もあとちょっとかぁ。ご愁傷様。葬式には呼べよ。香典はねえけどな」
「勝手に殺さないで下さいよ。実は――」
僕は、オカルトに唯一詳しそうなパシリさんに相談した。
彼はある団体の使い走りをしていて、前述した先輩の幼馴染でもある。当の先輩に相談するのはダメだ。
性格以外は頼りになる。行動力がある。そしてそれ以外にとんでもない裏技がある。冗長になるため伏せさせてもらうが。
そんな先輩に相談するのは現実的なものに限る。
きっと彼女の言い分は幻覚だと断定するだろう。そして彼女にはその要素は多分にある。
だが幻覚だと断定したところで、彼女の悩みは解消しない。
拙い経験だが、僕にも学んだことがある。オカルト問題は否定をしないこと。それが解決の一歩になることを理解した。
オカルトとして問題を解消しなければ意味がない。例え僕がそんなものを信じていないとしても、だ。
そして解消すればリピーターになってくれるかもしれない。店長命令。例え僕が望まなくても、だ。
パシリさんは非常に興味を持ってくれた。心強い味方だ。感謝。
「ドッペルゲンガーか。
そんなに詳しくないけど、自分にそっくり、死期が近い、他人がいると出てこないとかだな。俺が知ってるのは。
幽霊ってよりも、妖怪とかの表現の方が正しいかも知れん」
「僕が知ってるのもその程度ですよ」
「俺も見てみたいから、協力するわ。バイト代出せよ」
その日の夜に金久保さんと連絡を取った。
パシリさんに協力してもらうことを了承してもらい、集合することも約束する。
お店の外でお客様と会うことはそんなに珍しいことではない。
しかし、こういった相談で会うことはあまりない。全くないと言い切れないのが、少し悲しい。
パシリさんを金久保さんに紹介。金久保さんをパシリさんに紹介。一通りの初対面の儀式を済ませる。
さらに細かい話をパシリさんが聞き取る。
パシリさんは専門家ということにしてある。何の専門家かはパシリさんも僕も知らない。
だが流石にパシリさんの本職を言うわけにはいかないだろう。
金久保さんを駅まで送って別れたあと、パシリさんに尋ねた。
「どうでした?やっぱり幽霊ですか?」
「まあ、ドッペルなんて良くわかんねえけど、実際にそれを見ないことにはどうしようもねえわな。
一応話信じるとして、尾行してみるか」
「え?」
「今から、あの女の家まで行くんだよ」
パシリさんは
「急ぐぞ」
と言い、再び駅に踵を返す。
急いで改札をくぐり、ばれない様に同じ電車に乗り込む。
『家は最寄り駅から10分ほど』と言っていた。タクシーに乗る距離ではないが、乗られたら追いつくことは出来ない。
幸いなことに、金久保さんは自転車でもなければバスにも乗らないで、まっすぐ家に向かっているようだ。
「おいおい、マジかよ」
パシリさんが呟く。
僕たちの20mほど前には金久保さんが歩いている。しかし、その後ろに誰かがつけているように見える。
通行量はそこまで多くはない。いきなり後ろを振り返ってもばれないぐらいには人がいる。
その人ごみは一定の方向に向かってはいる。が、分岐ごとに人は減る。
その人物は駅からずっと金久保さんの後をつけている。暗くて姿や人相ははっきり分からない。
「なあ、今捕まえたらミッション終了じゃねえのか?」
「うーん。大丈夫ですかね?ただ後をつけているだけなのに、そういうことして」
「そうだなあ」
と言いながらも目線は外さない。
おいおい。何か慣れてないか?
金久保さんは背の低いお洒落なマンションに入っていった。特に警戒した様子は見られない。
その数秒後に先ほどから金久保さんをつけている人物が入っていく。
僕たちも急いで後を追う。物陰に入られて何かされたら事だ。
ポストを確認。三階か。
エレベーターはないタイプの建物。階段からカツカツと上る音が聞こえる。
「金久保さん、ちょっと待って!」
金久保さんは肩をビクリと震わせ、ドアの前で振り返る。
僕たちを確認すると、ほっと息をついた。
「ビックリさせないでよっ!?何?つけてきたの?」
「いやいや、張り込みみたいなもの。何かあった時のために」
「…まあいいわ。上がっていきなさい。コーヒーでも入れるわよ」
「ありがと。一杯貰ったらすぐ帰るね」
「もう。驚かせないでよ。…あ!ちょ、ちょっと待ってて!部屋片付けるから」
鍵を開け、音も出さない木製の扉を開けるとそそくさと中に入っていった。
ん?何か…
「待て!今まで追ってたヤツどこだ!?」
パシリさんがそう言うと、中できゃあと悲鳴が聞こえる。
急いで扉を開けて中に入っていった。
「うわっ!!??」
「うお!!!」
中には金久保さんと、…金久保さん?
「ちょっとパシリさん!?何っすかコレ!!??」
「わかんねーよ!」
そこには金久保さんと姿形のよく似た人物がいた。しかし、どこか作り物のような固い印象。
呼吸をしない無機物のようだ。そこに置いてある物。微動だにしない。
「わ!?」
「おお!?」
その何かはあっけにとられている僕たちに気付いたかのように、ゆっくりとぼやけ、消えた。
「何だよ、訳が分からん」
パシリさんの呟きで僕も我に返った。
「僕もあんなにいきなり出るなんて。心の準備が」
「あ、やっぱりお化け?そんなにリアクションが大きいとちょっと嬉しいわね」
「何、落ち着いてるんだっ!?」
「いやだって良く見るし。アレが問題の。恥ずかしいけどね」
「はあ。…慣れって怖いな。流石に俺もビビったぞ」
金久保さんが改めてコーヒーを出してくれた。このマンションに入ってからようやく落ち着けそうだ。
「ねえ金久保さん?あんなもの見て、何でそんなに落ち着いてるの?」
「え?だって見たでしょ?私そっくりじゃない。自分の姿だからそこまでビックリできないよ。ちょっと薄気味悪いけどね」
どうやら金久保さんは、気味悪がる程度で恐怖は感じていないようだ。
ともあれ、何かが出ると言うことは確認できた。金久保さんが病気の類ではないことは分かった。
または、金久保さんと僕たちの全員が病気であることが。
だからと言ってどうにか出来ないことには変わらない。
一ヵ月後。
僕は店長にどやされていた。金久保さんに営業をかけろとしつこいのだ。
しぶしぶ金久保さんにメールする。
メールをしたその日のうちに金久保さんは店に来た。
「どうなってんのよ!?だんだん出る回数が多くなってる!アイツなんとかしてよ。帰り道、一人で帰るのが怖い。
外でも中でも、ずっと誰かに狙われてる!」
「そんなこと言っても…」
「何にも出来ないんなら頼むんじゃなかったわ!」
店中の注目を集めた騒ぎだった。
金久保さんはそれでも憂さ晴らしなのかさんざん騒ぎ、またもや短い時間で大量のお金を吐き出した。
店長は嬉しそうだが、急かされているようで気持ちが沈む。
少なくとも、アレに対して金久保さんが恐怖を抱き始めていることは分かった。間違いなく状況は悪くなっている。
パシリさんに連絡を取る。少し機嫌が悪い。
金久保さん絡みの件をもう一度頼む。パシリさんは嫌々ながらも承知してくれた。自分の力不足を恥じているようでもある。
金久保さん宅に行く。
中からバタバタと物音が聞こえる。
「またか!」
あの冷たい印象のある金久保さんの形をした何かが、金久保さんに覆いかぶさっている。
僕たちがそれを引っぺがそうとすると、消えた。
「何なのよ!?私が一体何したっていうの!?」
金久保さんはかなり動揺しているようだが、悪態は相変わらずだ。
触ることも出来ない。他の解決策も分からない。いつ出るのかも、どうしたら出るのかも。八方ふさがり。
「もうムリだろこれ訳分からん」
つぶやくパシリさんの声が聞こえた。
…僕も同感だ。
「で、俺に泣きついてきたわけね」
「先輩、もうどうすりゃいいのか分かんないです」
僕は事態を何とかしたくて、馬鹿にされるのも構わず、先輩に助けを求めた。
案の定馬鹿にされたが、意外にも先輩は真剣に考えてくれた。
僕は出来るだけ細かく状況を話した。
「ちょっと待て」
話が終わり、何か思いついたのか先輩が僕に質問する。
「何でその客の女は、そんな訳の分からん物体をストーカーなんて言うんだ?」
「え?話聞いてましたか?パシリさんと二人でつけた時に、金久保さんの後ろにくっついてたの見たんですよ」
「じゃあ、何でお前らは女の部屋でそのニセモン見た時、そんなに驚いたんだ?
もう見てるはずなんだから、そんなに驚かなくてもいいだろうが」
「……」
「女のストーカーもいるかもしれないが。一般的には女へのストーカーは男だろう。
夜道とはいえ、男と女を見間違うほどお前らの目は節穴なのか? ん?」
確かに。何故あの時気がつかなかったのか。
金久保さんをつけていた人物と金久保さんの形をした何かが、同一人物かどうかは確認していない。金久保さんは確認したのだろうか。
「ニセモンは家の中にしか出てねえな。さっきの話で引っかかったのはそこだ。外にいた例は話聞いた限りじゃ、無い」
「え?でも、外でもつきまとわれてるっぽいこと言ってましたよ」
「ああ、もうじれったいなあ。既にそれが思い込みから来るミスリードなんだよ。ホント、岡目八目ってヤツか」
「はっきり言ってくださいよ!」
「…ストーカー。ホントにいるんじゃねえの?」
「前にも言ったけど、私、警察に行くほどじゃないと思ってるのよ」
先輩と話した次の日に、早速金久保さんに連絡を取った。コトがコトだけに、直接会い、伝える。
金久保さんは乗り気ではないようだ。
「じゃあ、探偵は?盗聴器の調査とか張り込みとか、ストーカー対策やっているところあるって聞くけど」
「リョウ。…アンタは何にもしてくれないの?」
「いや、本当にストーカーっぽいんだよ。僕が一人でウロチョロするより、絶対上手くいくよ。
もしいなかったら、僕がその費用出してもいい」
「はぁ。分かったわ。いいわよもう」
プロの探偵の仕事は素晴らしかった。僕が一人でごちゃごちゃ考えている間にほとんどのことを解決してしまった。
驚くべきことに本当にストーカーはいた。彼のしたことは主に盗聴と窃盗、そして尾行程度のつきまといらしい。
「被害が少なくて良かった」
と金久保さんは言う。
少ないのかどうかは良く分からない。だが、本人がそう言うのならばそうなんだろう。
警察には突き出さない代わりに、一筆書かせるという。
「その付き添いに来て欲しい」
と頼まれた。
本音を言うと嫌だ。しかし、言いだしっぺは僕だ。
そして、後々のバイトのことも考える。ここで恩を売るのもいいだろう。
ずるい考えかもしれないが、承諾した。
法律についての説明がしばらく続いた。
しんこくざいのため~とか、せいしんてき~とか、二条二項のつきまとい~がどうとか。
ストーカーである犯人の男と向こうの親御さん。僕たちと探偵会社の方々。
スーツを着ていないのは僕だけだった。場違いこの上ない。
直接犯人を見ることは金久保さんも初めてだったらしい。不思議なことに、向こうも似たような感じに見えた。
「このたびはウチの息子がとんでもないことを仕出かして、誠に――」
犯人は普通の勤め人だった。
年齢は34歳。身長は低め。年齢の割には幼く見えた。しきりに頭をかいている。
ちらちらと金久保さんの方を見る。しかしそれは、反省している目と言うより、観察しているような目だった。
何度も見て、ガリガリと頭をかく。
「ちがうちがう」
とブツブツ呟いていた。
探偵会社からたしなめられ、大人しくなったと思ったすぐそばからまた、
「ちがうちがう」
とブツブツ呟く。
当事者ではないが、鬱陶しいことこの上ない。
何も違わない。ストーカーはれっきとした犯罪だ。
一方からの押し付けがましい気持ちは、愛情だろうが何だろうが過激な時には問題になる。
正当性は裁判で訴えて欲しい。だが、内密な示談を望んだのはそちらだろう。
誰もあえて明言はしていないが、ストーカー行為のときにそれ以外の刑法に触れている。
行為そのものが法令違反となっているケース。
むしろこれくらいで済んで良かったどころか、甘いのではないかと個人的には思う。
一方で、金久保さんの温度差も奇妙なものだった。
金久保さんはいつもと違い罵倒するようなことはしなかった。
二度とこんなことはして欲しくない、と言う旨を静かに伝えただけだ。
ショックは受けていないように見える。
彼女もこの事態に順応していないようだった。
それはそうだろう。元々ストーカーの男がいるとは思っていなかったのだから。
半ば親御さんからの強制で、犯人の男は探偵会社の用意した念書に署名した。
彼は外回りの営業のサラリーマンで、勤務時間中は時間の融通が利くほうだという。
その時間を盗聴や窃盗の犯行に当てたらしい。
昼間に犯行、会社に戻り、通常業務。その後帰り道の金久保さんをつける。
言質の取れたスケジュールを見たが、何とも規則正しい。
これでノルマが取れているのだから驚きだ。普通に仕事をすればものすごい勢いで出世しそうだ。
盗まれたのは下着やストッキングなどの衣料品、歯ブラシやコップなどの小物。
生活に支障をきたすほどの量ではなかった模様。今まで犯行がばれなかったのはこのためだろう。
勤務時間中に犯罪を犯していたので、会社にばれると大変だ。そういう意味でも、この一筆は効力を発揮するだろう。
「ちがう!!」
署名したあとに、金久保さんに向かって男はこりもせず叫んだ。
しかし、すぐさま親御さんに押さえつけられる。
親御さんはさらに平身低頭になった。息子の社会的立場や自分たちの保身。親御さんたちは必死だ。
この中で最も可哀相なのは、間違いなくこの親御さんたちだろう。
不思議なことに、加害者のみならず被害者すら被害をあまり意識していない。
僕たちを含め、周りが騒いで発覚した事件だった。
「良く分からんな。どういうことなんだ。その終わり方は?」
その日の夜、先輩とパシリさんにコトの顛末を伝えた。
二人とも理解も納得もしていないようだった。だが、言葉とは裏腹に二人の表情は緩かった。
「いや、僕にも良く分かんないです」
「お化けだか妖怪のこと調べてたら、ストーカーを捕まえるって馬鹿な話だよな」
「しかも、そのストーカー。パンツと盗み聞きが好きなヘンタイだと」
「念書も取ったし、金久保さんも気にしていないからいいんじゃないですか?」
「しかし、金久保みたいな女のどこがいいんだろな?女はもっとムチっとしたのがいいだろ」
「何?金久保ってスリムなの?俺好きだぞ、そういうの」
「ありゃ痩せすぎだ。ガリガリだぞ?」
「まあまあ、人それぞれですよ」
「それにしてもなんか気持ち悪いな。中途半端に解決しちまって」
「まあ確かに」
「釈然としないなあ」
「ですね」
日曜の夕方。
僕は一人運転していた。金久保さんの家に行くためだ。
一件の侘び。そして、僕には霊能力や問題解決のスキルがないことを謝るために。
ストーカー事件は終わったが、あの金久保さんモドキの件は解決していない。そして僕には解決出来そうもない。
ウワサを鵜呑みにしたとはいえ、積極的に否定しない僕にも責任はある。
休日ならばいるだろうと、無茶な考えの下の行動だ。
慇懃無礼とはこのことだ。今では考えられない。
アポ無しにも関わらず、金久保さんは快く招き入れてくれた。
久しぶりに金久保さんに会ってその顔を見た時、僕はかなり動揺した。
本人なのか我が目を疑う。目の前にいるのは金久保さんだ。金久保さんなのだが、別人のようだ。
スッピンに見えるが頬がうっすらピンクに染まっている。血色がいい。
あの落ち窪んだような影がなくなっている。骸骨のようなあの生気のなさは微塵も感じられない。
肌理の細やかな健康そうな肌、シミ一つ無い。
ストーカー事件が一段落してストレスがなくなったためなのか。
それにしても、この人。美人だったんだな。
一通りの雑談の後に本題に入った。
「あの、例の件だけど」
「レイの件?」
「うん。ドッペルゲンガーの」
「ドッペ?何のこと?」
小首をかしげる。
そうだった。ドッペルゲンガー云々は僕たちが勝手に言っていただけで、金久保さんは知らなかったはずだ。
金久保さんは美しい笑顔を見せる。
ちょうどその時、先輩からの着信音が部屋に鳴り響く。
むきだしのうちっ放しコンクリートは音をよく反響するようだ。
金久保さんは「どうぞ」と言って携帯を取ることを促す。
席を立ち、小声で電話先の相手と会話する。相手は僕がどこにいようとお構いなしだ。
「もしもし先輩。今ちょっと出先なんです」
『そうか。それよりこの前のあのストーカーの件。ちょっと考えたんだが、やっぱり何かおかしいぞ』
「今、その件の侘びに――」
『金久保って女は昼間の仕事してるんだよな?盗まれたのは、小さいバッグにも入る程度のものだよな?』
「そうみたいですね」
『それぐらいの量なら数回、へたすりゃ一回で済む。じゃあ、ストーカー野郎は他の時間を何に使ってたんだ?』
「え?そりゃ盗聴じゃないんですか」
『昼間。誰も居ない家。ストーカー野郎は何をずうっと聞いていたんだ?』
…その通りだ。誰も居ない家を盗聴して一体何になるというのだ。何を聞いていたのだ。
ちがう!!
男の叫びを思い出す。違うのは何だ?
得体の知れない恐怖。
犯人の狂気からのものか。それとも――
後で連絡する旨と感謝の意を伝え、電話を切る。
会話の途中で電話に出たことを謝りつつ、ゆっくりと席に戻った。
「ごめん。いや、ストーカーの件だけど」
「ああ、そんなこともあったわね」
金久保さんは美しい笑顔を見せる。肩からさらりと栗色の髪が流れる。
「そんなこと、って…」
「もういいのよ」
金久保さんは美しい笑顔を見せる。西日が彼女の背後から注がれる。
「え?」
「もう全部済んだから」
金久保さんは美しい笑顔を見せる。金久保さんはこんなに穏やかな人だっただろうか。
「モウゼンブ、スンダカラ」
金久保さんは美しい笑顔を見せる。
僕はその笑顔が冷たいマネキンに見えた。