叔母が、癌で入院した祖父(叔母の父)の介護の為に通院してた頃、昭和の昔の話。
706 :2011/02/27(日) 04:09:24.26 ID:6fN6MQ7a0
祖父の病院は、実家から少し遠い田舎の古い市立病院で、先の短い年寄りが多く入院していた。
まるで姥捨て山的な趣きで、毎日間引かれるように年寄りが死に行くようなところだったとか。
それでも叔母は家計を支えていた祖母(叔母の母)に代わり、祖父のもとへ足しげく通い、自分を育ててくれた祖父への恩返しのつもりか、懸命に介護した。
病院の治療は祖父の老い先を知ってか、或いは年寄りへは誰でもそうなのか、形だけのもので、治療とは名ばかりの薬漬けの延命の中、それでも中には懸命に介護してくれる看護婦らがいた。
中でもとある老看護婦は、まるで職務を超えて祖父に尽くすかのように、日夜とても良くしてくれたのだとか。
祖父もいよいよダメかと言うある秋の日
老看護婦は祖父のお世話をしながら叔母に、
「佐藤さんは、佐藤家ゆかりのお家でしょう?」と唐突に言った。
佐藤家は地元の侍筋。
祖父は教師で普通の家庭で育ってはいたが、何となくそう言う話を聞いていた叔母は驚き、「何故分かったのですか?」と聞き返した。
老看護婦ははぐらかしたが、祖父の世話も終わり部屋を出て行く際に、叔母の目を真っ直ぐに見つめ、
「あなたは今後、鈴木家ゆかりの方と一緒になられるでしょう。でも絶対に盧吽寺に行ってはいけません。生涯行ってはいけません。行くと命を取られますよ」
という、意味深な言葉を残して去った。
盧吽寺(仮名)は、家臣に反逆され謀殺された某武将が奉られている、地元じゃそこそこ有名な観光スポット。
でもそう言われれば、うちは何故か行ったことないなあと、叔母も不思議がった。
程なくして祖父他界。遺体を引き取り、医師医療スタッフさんに礼をいい病院を後にした。
残念ながら、件の老看護婦に会えず仕舞だったが。
祖父の死から数年が立ち、叔母は見合いで嫁へ行った。
嫁入り先は山田家。
地元の名士である鈴木家じゃないのか、と残念ながらも少しホッとした叔母。
ところが結婚式に、鈴木家からの祝電と、本家筋ではないにしろ、鈴木家の方々が新郎山田さんの親族として列席された。
その際に改めて山田夫に確認したのだが、山田家は鈴木家の分家で、未だに親族同士の付き合いはあるのだとか。
見合いではあったが、全くそんな事を知らされてなかった叔母は驚いた。
いつぞやの老看護婦さんは、この事を言われていたのかと。
結婚して時が過ぎ、息子も生まれ、そんな話も忘れかけていた頃。
息子の小学校での遠足のとある日。
昼過ぎ、家事一通りを追えた叔母が寛いでいると、電話がなった。
電話は息子の通う小学校の教頭先生からで、息子が遠足先で高いところから落ち怪我をしたと。
続き遠足先の担任から、『ひとまず山田君を病院へ連れて行きます』と、平身低頭の電話。
車の免許もなく、病院へ向かう足の無い叔母は、仕事先から旦那を呼び、車でお迎えに行く事に。
心配で焦る叔母、だがもう一つ不安なことがあった。
息子が連れて行かれた外科病院は、盧吽寺のある山の麓近くにあるのだ。
しかしそんな事は言ってられない。
そんないわれも知らない夫も大急ぎで車を出し、小一時間ほど離れた隣の市の外科病院へと車を急がせた。
焦りの為か終始無言の夫、田舎道を抜けて外科病院のある隣の市へ続く山道へ差し掛かった。
途中『↑盧吽寺』の看板。不安に駆られる叔母。
もしやこれは、いつかの老看護婦の言われた盧吽寺へ誘われているのではなかろうか、と。
山道を抜け隣の市へ差し掛かる頃、夫が終始無言でいることに不安を感じた叔母。
「息子は大丈夫かしら?」
「ああ……」
「あとどれくらい?」
「あと少しだ……」
話しかけても殆ど回答がない。
夫の横顔は青ざめて強張り、心ここにあらずという態。
いつもはとても気さくでとても優しい人なのに、どうしたのか……
叔母が訝ってることを見抜くように、車は急にスピードを上げた。
目を見開き真っ直ぐに前を見る夫。
「ねえ、どうしたの?ちょっとスピード出し過ぎじゃない?」と言うも返事がない。
おかしい。いつもは夫へ口出ししない叔母も、内心息子への想いと、盧吽寺への不安がせめぎ合い焦りだした。
車の先に『↑盧吽寺』の看板が再び。距離からしてあと10-20分も行けば盧吽寺へ着くだろう。
「ねえ、ちょっと、病院こっちの道でいいの?」
夫からの返事はない。もしかして夫は正気ではないのかしら……
「ねえ、ちょっと!」と夫の肩をゆする。
「うるさい!」と跳ね除ける夫。
「ねえ、どうしたの?変よあなた?」
叔母を無視するように車を飛ばす夫。
「車を停めて!私はタクシーで行くわ!」
大きな声を出す叔母。
だが夫は、聞こえないように車を走らせる。
変だわ、おかしい。とにかく車を止めなければ。そして一刻も早く病院へ向かわねば。
ブレーキレバー?を引けばいいのかしら?
運転席へ手を伸ばす妻。
「何するんだ!」
夫が大声で妻の手を払いのける。
夫の大声でビクっと体を振るわせる叔母、そして夫の狂気を確信した。
スピードを増す車、目前に『右、盧吽寺、左、市街地』の看板。
「車を止めて!!」
叫ぶ叔母。
車は速度を緩めない。
夫は右にハンドルを切ろうと……寸前叔母は、ハンドルを掴んで思い切り左に切った。
ブレーキを踏む夫、車はスピンして分かれ道の角にギリギリ手前で止まった。
夫は目を見開いて、狂気の表情で叔母を睨む。
そして叔母の首めがけて手を伸ばす。
身の危険を感じて車を降りようとする叔母。
シートベルトをはずそうとする手を掴まれ、強い力で引き寄せられた。
顔の狂気は凄みをまし、両肩を凄い力で掴まれた叔母。
ああ、矢張り盧吽寺へ近づくべきではなかった。
あの看護婦さんの言われた通りだったのか、と観念しかかった時、夫が「ごめんな」と一言。
次の瞬間、強烈な張り手が叔母の顔に飛んだ。続けざまに二発発。
「おい!しっかりしろ!」
朦朧とする叔母。
「こ、殺される……助けて……」
「何言ってんだ!起きろ!お前正気か?」
意識が晴れてくる叔母。眼前には心配そうな夫の顔が。
「あなた、正気に戻ったの?」
「お前こそ!電話かけてきた時から様子が変だとは思ってたけど!どうしたんだ一体?お前は車を出して暫くしたら寝だしたんだぞ。
暫くすると起きて、『息子の無事を祈願に盧吽寺へ行こう』だとか、『ここら辺は来たことがないから少し観光して行きたい』だとか言い出して、『何言ってるんだ。先ず息子の迎えが先だ』と言ったら怒り出して、今度は『車を止めろ』だとか、『タクシー拾って盧吽寺へ行く』だとか言い出して、運転の邪魔しだして!挙句、分かれ道のところで無理やり盧吽寺の方へハンドル切って!ブレーキが間に合わなければ俺たち死んでたぞ!!」
呆然とする叔母。今まで自覚してきたことと全く逆だ。
でもそう言われると、自分は車に乗った頃からの道すがらをあまり覚えていない。
とにかく、今は落ち着いて、急いで外科病院へ向かおう。息子が待っている、と。
病院への道すがら、叔母は夫へ老看護婦の言葉を教えた。
夫は驚き、妙な話もあるものだと訝ったが、それ以上は取り合わなかった。
息子は遠足で行った公園にある城跡の石垣から落ち、頭を十針近く縫う怪我だったが、幸い後遺症もなく、今でも元気。
城跡は、盧吽寺へ奉られる武将のお城だったことが後で分かった。
最初の学校側からの連絡は担任の先生だけからで、教頭先生から叔母への電話はかけられなかったことも。
叔母の家も含めうちの一家は、未だに盧吽寺へ行った事がない……
(了)