投稿していいのか悩みましたが、個人的にとても腑に落ちなかったのと怖かったので書かせていただきます。
先日亡くなった美津子(仮名)が実は生きてて、美津子を助けようとしていた妙子(仮名)が行方不明になったという事件ありました。
心霊系の話ではないし、かなり長くなる、そして最後の結論はでていません。
今年の夏頃、高校の連絡網で美津子が亡くなったと知らせが入った。
私と妙子を含めた三人は高校の時の同級生。
高校入学当時人見知りだった私に気さくに話かけてくれた妙子。初めてできた友達だった。
妙子は本当に元気いっぱいで、明るくて、正義感の強い子。クラスのムードメーカー的存在だった。
私達の住む町は何年か前に谷陰村(仮名)と初穂町(仮名)が統合したもので、私と妙子は初穂町の子。
谷陰村の山の麓を開拓し、できたのが初穂町。
初穂町ができてすぐに私の両親は初穂町に引っ越してきた。
妙子は高校になって初穂町に越してきた子だった。
私は子供のころから谷陰村にはいくなと両親に良く聞かされていた。
中学校になると谷陰村の子と同じ学校に通うのだが、そのときも両親は谷陰村の子とは仲良くするなと言っていた。
なので初穂町の子は谷陰村の子とは話さなかった。
谷陰村出身の同級生は四人。
暗いオーラというか、何か不思議な感じのする子たちだった。
でも妙子だけは谷陰村の子とも分け隔てなく話していて、その子たちの中でも美津子とは特に親しくしていた。
私も妙子を仲介として美津子とだけは話すようになった。
でも高校を卒業して、美津子は県外に行った。
成人式も同窓会も一度も参加していなかったので、卒業してから1度も連絡を取ることはなかった。
また、あんなに明るかった妙子も大学生になって、原因はわからないが軽い精神病といった感じになり、なかなか連絡を取ることがなかった。
私は県内の大学を卒業し、初穂町にある小さな店で仕事を始めた。
仕事に慣れてきた今年の夏頃高校の連絡網で美津子が亡くなったとの一報を受けた。
まだまだ二十四歳。まさかこんなに若くして友人が亡くなるなんてと大変ショックを受けた。
ただ、葬儀については行くべきか大変迷った。
連絡をくれた友人も連絡は回しているけど葬儀には参加しないと。
親が谷陰村には行くなというからいけないと言っていた。
私はすぐに妙子に連絡しましたが、連絡は取れず。
散々悩んで葬式だけは参加することにした。
葬儀に来ている初穂町の子はやはり私だけだった。
知らない人ばかりに話したことのない谷陰村の同級生四人。
正直、行ったことを大変後悔した。
それに葬儀もいくつか変だなと思ったことがあった。
一つ目は喪主の方の名前が美津子の名字とは異なっていたこと。
もしかすると何か理由があるのかもしれないが、喪主は美津子の親ではなかったのでは……と思った。
二つ目は、なぜか棺・ご遺体共になかったこと。
普通は遺影と棺とその中にご遺体、そしてご遺体に向かってお焼香という形だと思うが、棺はなく、皆遺影に向かって歌いながらお焼香をしていた。
最後、三つ目がお経。
お経は色々な種類があるが、普通お坊さんが唱えるものだと思う。
しかし美津子の葬儀では椅子に座っている参加者ほぼ全員が何か暗い歌のようなものを歌っていてた。
そして皆一様に口角を無理に上げているよな、笑っているような表情であり大変異様だった。
私はお焼香を済ませて逃げるように会場を後にした。
それから何か月かして、美津子のことも私の中で整理がついた頃妙子から連絡がきた。
電話の内容は「美津子を待っているのだけど、三時間待ってもでてこない」というものだった。
美津子は亡くなっているのに何をいっているのだろうと思い
「美津子は亡くなったよ?誰と間違えているの?」と聞くと、妙子は
「それが亡くなったのは嘘で、美津子は生きとったん。美津子が生きていると証明するために実家に連れて行ったけど、家に入ったっきり美津子が出てこんとよ」
と状況を説明してくれた。
妙子の話をかいつまむと、
・先日美津子から連絡が来て会った。
・美津子は実家と全く連絡を取っておらず、久しぶりに地元に帰ってきていた。
・そこで「用事で役場に行った際自分が亡くなっていると役場の人間に言われ、どうしたらいいのか」と相談された。
・悩んだ末、美津子の母に美津子を会わせることに。
・親と不仲な美津子を説得して美津子の家まで連れてきたが、一言もしゃべらずに美津子は美津子の母と家に入っていった。
・そのまま三時間がたった。
・家に入ろうと思ったが、見張ってるようなおじさんがいる。それに人も沢山いて怖いから入れない。
といったことを説明された。
正直ほとんど意味がわからなかったが、とにかく妙子が困っているのはわかったので、あと一時間ほどしたらそちらに向かうと伝えて、美津子の家の場所を聞いて電話を切った。
バタバタと店を閉めて妙子にこれから行くと連絡したのだが、繋がらない。
仕方がないので、美津子の家に向かっている時に妙子から電話がきた。
「……おーいぃこれが…ザワザワザワザワ…門閉めろーぃちが……ザワザワ…」
出てみると周りで誰か複数人が遠くから大きな声で話しているような音が聞こえるだけで、妙子の声は聞こえなかった。
何度か呼びかけたが応答がないまま電話は切られてしまった。
それから五分くらいして美津子の家に到着した。
もう空は暗かった。
美津子の家はほとんどなにもない所にあった。
広い庭を挟んで右側に立派な木造の平屋、左側にアルミ板のようなもので作った簡易的な倉庫。その奥に何か高い建物があった。
右側の平屋の前には立派な門があり、そちら側に向かって歩く。
すると左側の倉庫の前に人影のようなものが見えた。
よくよく見てみるとその人は倉庫の前で丸く大きな石の上に座って、ずっと前の平屋を見つめていた。
門の部分に呼び鈴が見つけられなかったので、その人に話しかけに行こうと庭に入った。
かなり広い庭で、撒き石がしてあったので、歩くと音がするのだが、その人は一度もこちらを見ることなく、ずっと平屋を見つめていた。
少し近づいたところで「すみません」と声をかけたが反応なし。
ふと、その人が見つめている平屋に目をやった。
その時、妙子が怖いから入れないと言っていた意味が分かった……
その人の目線の先……平屋の外廊下……そこにずらっと何十人の人間が並んで正座していた。
その人達もまた私に一瞥もくれることなく、ずっと倉庫の前の人と見詰め合っていた。
皆一様に口角を上げ、笑いながら。
異様な光景に全身に一気に鳥肌が立った。
気づいたら無我夢中で帰っていた。
帰りながらあの美津子の葬式のときの異様なお経が小さく聞こえた気がした。
妙子の車は見つけられなかった。
後日談
その後妙子と美津子に何度か電話したが、二人ともつながらなかった。
ただ、美津子からは『巻き込んでごめんね』と
『稿シ ,嗤口ォ餌 喰 口無シ虫ノヤマ 嚆 ナク ^』
という文字化けしたメールがきた。
その一回のみでその後連絡が来ることはなかった。
何度か美津子の家に行こうとしたが、どうしても怖くて行くことができなかった。
妙子の家には何度か行ったがいつも不在だった。
全く進展がなく、まさか何か事件に巻き込まれているのではと不安になっていた。
そんな中、先日、精神病で入院していた父が帰ってきた。
そこで妙子の現状を知ることになる。
なんと妙子は父と同じ精神病棟に入院していたのだ!
精神病棟では自傷行為や他人にけがをさせたりすると隔離された病棟に移されるのだが、父が自傷行為をした際、その隔離病棟で妙子と会ったと言っていた。
私は驚いた。
確かに心の病にかかっていたとは言っても、日常生活に影響がでるほどのものではなかったのになぜ入院?
父に妙子の状態を聞いたが、全く近づけるような状態ではなかった……ということしか教えてもらえなかった。
そして昨日の夜。美津子の葬儀の夢を見た。
その時いた谷陰村の子。美津子を入れて四人しかいなかったはずの谷陰村の子。
でもそこには四人の谷陰村の子がいた。
よくよく思い出してみると、葬儀に行った際、旭峰高校(仮名)の同級生は名前を書くことになっている『旭峰高校名簿』というのがそこにあって、私が五番目に書いたので、確実に四人の谷陰村の子がいたのだ。
それがとても気になって、目が覚めた後、意を決して谷陰村の光太郎(仮名)に電話した。
光太郎とは話したことはなかったが、三年間同じクラス。
そして光太郎は妙子のことが好きだった。
美津子と妙子について聞けるのは光太郎しかいないと思ったのだ。
電話した時はつながらなかったが、先ほど連絡が帰ってきた。
「久しぶりですね」という光太郎に対して率直に美津子と妙子について知っていることはないかなど色々質問を投げかけたのだが、すみませんすみませんと謝られるばかりで何も答えてくれなかった。
葬儀のとき四人谷陰村の人がいたが、一人多いのは誰かとも聞いたが同様だった。
そして
「もう行かなくてはいけないので……そしてこの件についてはもう触れないでください。今のあなたはただ欲求を満たしたいだけだ。とにかく谷陰村には近づかないでください。そして何かあれば笑ってください」
と言われた。
「笑うって何?それって妙子と美津子に関係あるの?」
と咄嗟に聞き返すと、
「笑うとイエンガミは消えます。時間がかかっても消えます。イエンガミ……知りませんか?きっとあったことがある。気になるなら調べえ」
……と。
子供のころから谷陰村は生贄が続いていると噂されていた。
もしかしたら美津子が生贄で、妙子も何かしらその儀式に巻き込まれたのでは?と勝手に想像している。
明後日、美津子の家に行ってみようと思います。
(了)