これはむかし、山梨で起きた話。
その頃、自分は地元に住む友人を訪ねては、頻繁に遊びに行っていた。世間ではオウム真理教が既に怪しいとは噂されていたものの、摘発前のことで、教団の施設が山中や街外れに点在していた時代だ。
友人たちとの間では「あそこは危ない」と分かってはいた。だが、若さゆえの無鉄砲さもあったのか、怖いもの見たさで、その周辺をドライブして回ることが当たり前のようになっていた。特に有名な「第九サティアン」は観光地さながらの扱いで、地元の人間ですら位置を熟知していた。
ある日のことだ。友人の案内で、比較的小さな怪しげな倉庫を見つけた。鉄板を張り巡らせた外壁、窓らしきものは一切ない。誰が見ても「ただの倉庫」には見えないその建物に、じっと目を奪われたまま、しばらく周囲をうろついていた。
車に戻り、移動を開始してしばらくしてからだった。その倉庫から、白い無機質なバンが出てきた。目立つことを避けるような地味な車だったが、なぜかこちらの車の後をつけてきている気配があった。
「つけられてるぞ、これ……」
最初は冗談めかして笑いあった。だが、何度曲がっても、進路を変えても、そのバンは影のように離れない。気づけば全員の顔に緊張が走っていた。
「もしこの道で別れないなら、狙いは俺たちだ」
そう判断し、友人の提案で、あえて元来た道に戻る複雑なルートをとることにした。幾度も道を変えれば、もしバンがただ移動しているだけなら、どこかで目的地に向かうはず――。そう信じて走り続けたが、バンは相変わらずぴったりと後ろにつけてきた。
追いつめられた心境だった。制限速度を無視して加速しても、距離は縮まらない。友人は小声で「本当にまずい……」と繰り返していた。冗談では済まないと確信した瞬間、最後の策を取るしかなかった。
「アップダウンの激しい道や民家が密集しているエリアはないか?」
焦る中、友人が言った。「あと少し行ったところにある!」
急加速を仕掛け、バンが遠ざかる隙をついた。山間の民家が密集するエリアに入ると、知り合いの家を見つけ、庭に車を一時的に隠した。息を殺して待っていると、バンが猛スピードで通り抜けていくのを確認した。
再び動き出すときには慎重だった。山を越え、ぐるりと大回りをして友人のアパートに帰った。互いに疲労で言葉少なだったが、無事帰れたことにほっとしていた。
数週間後だった。オウム真理教の事件が一気に報道されるようになった。何気なくつけたテレビ画面に、見覚えのある風景が映し出されていた。あの日、見かけた倉庫だ。そこからは教団の関連物資が押収されたという。
さらに後の報道で分かったことだ。あの頃、教団は毒ガスを携帯して運搬していたのだと。あの日、もし車を止め、降りていたら――その想像だけで、ぞっとした。
車は、帰宅後すぐに車屋に返却した。あの日の代車はその後すぐに処分されたそうだ。
今でも、その出来事が夢だったのではないかと思うことがある。しかし、記憶にこびりついた白いバンの影だけは、どうしても消えない。