高校生の頃、妹とよく喧嘩をしていた。些細な口喧嘩で、言い合った末、どちらかが自然と折れるような軽いものだった。
高校三年の春。成績が急落し、志望校合格が危ぶまれていた。親からのプレッシャーも強く、テストの結果が悪いと食事が粗末になることもあった。一度、夕飯に自分の皿だけ煮干しが乗っていた時、追い詰められていることを嫌でも実感した。
そんな状況だからか、妹の何気ない態度にも苛立ちを感じるようになっていた。ある日、妹が何かを言った。今では何を言われたのか覚えていない。ただ、カッとなって手にしていたテレビのリモコンを投げつけた。それは妹の後頭部を直撃し、彼女は頭を押さえながら倒れた。
息が詰まるような焦りを覚えた。「死んだのか?」と恐怖に駆られながら脈を確かめる。幸い生きてはいたが、気を失っていた。このままではいけないと思ったものの、母に知られたらどうなるかわからない。恐怖が勝り、妹をソファーに寝かせてその場を後にした。
翌朝、妹に何て謝ろうか悩みながらリビングに降りると、彼女は普段通り朝食を食べていた。怒る様子もなく、いつものように見えた。その安堵から、久しぶりに自分から声をかけた。だが、妹は一切反応しなかった。怒っているのだと思ったが、今考えると、怒っているだけで済んでいた方が良かったのだ。
妹はその日を境に変わった。学校以外では部屋にこもりきりになり、家族との会話を避けるようになった。かつて友達と出かけるのが日常だった彼女は、完全に引きこもるようになってしまった。
父が「わざと無視しているのか」と問い詰めたこともあったが、妹は無表情のまま押し黙るだけだった。その状態が続き、ある日両親が俺を呼んだ。
「お前、何かしたのか?」
戸惑いながら「何を?」と聞き返すと、両親は言いにくそうに視線を逸らした。父の考えはこうだった。妹が何か大きなショックを受けた、しかしそれは人に話せない類のもの。つまり、俺が妹に性的虐待をしたのではないかと疑ったのだ。
必死に否定し、なんとか疑いは晴れた。だが、妹の変化の原因が俺にあることに変わりはなかった。自分のせいでこうなった。どうにかして元に戻したい。そんな思いが膨らんでいった。
翌日、学校から帰ると妹の部屋に忍び込んだ。帰宅後の彼女は部屋に鍵をかけて閉じこもるため、今しか入るチャンスがない。部屋は喋らなくなる前とほとんど変わりがなく、どこかホッとした。
机の上の本棚に目をやると、日記帳が置かれていた。妹が小さい頃から日記をつけていることを知っていた俺は、それを手に取り中身を確認した。妹の胸中を知る手がかりを求めて。
最初の方は特に異常はなかった。だが、ページを進めるにつれ、大きく歪んだ文字の羅列に目が留まった。明らかに妹の字ではない。文章も意味不明だった。
たとえば――
「だいこんはかえるにくつしたさえしいたけ」
こんな具合の文が数十ページにわたり続いていた。妹の脳に何かしらの損傷を与えたのだと直感した俺は、深い後悔に苛まれた。謝りたい気持ちと同時に、自分が刑務所に入るのではないかという恐怖で頭がいっぱいになった。
泣きそうになりながら頭を抱えていると、背後に気配を感じた。振り返ると、そこには無表情の妹が立っていた。夕方の薄暗がりの中で、彼女の顔はほとんど闇に溶け込んでいた。
妹は何も言わず、ゆっくりと部屋に入ってきた。俺は後退りしつつ、どう謝罪すべきか考えた。土下座して謝ろう。返事はもらえないだろうが、それでしか自分の罪悪感を拭えない。そう思って膝を折りかけたその時――
妹が突然俺の腕に飛びかかった。驚きのあまり何が起きたのか理解できなかった。そのまま彼女は部屋から走り去り、俺の手には日記帳がないことに気づいた。妹はそれを奪い去ったのだ。
その夜、妹は家を出て行った。それ以来、彼女は戻っていない。
今も生きていれば、彼女は24歳になっているはずだ。俺はあの日以来、勉強にも仕事にも身が入らなくなり、何をやってもうまくいかない。親は、期待していた妹がいなくなったことで人が変わったようになり、家庭も崩壊した。
すべては俺の過ちから始まったのだ。 (了)