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短編 r+ 洒落にならない怖い話

空いた座布団(読者参加型リライトコンテンツ) rw+1,860-0120

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あれは一九九六年の六月下旬、梅雨の湿気が肌にまとわりつく夜だった。

俺はリフォーム会社の営業で、取引先である田中さんの自宅を訪れていた。田中さんは五十代半ばの男性で、郊外に建つメゾネットタイプの集合住宅をいくつか所有している。先月、そのうちの一室で「面倒な出来事」があり、その後処理がようやく一区切りついたということで、その報告と今後の打ち合わせが目的だった。

その出来事について、俺は詳しく聞かされていない。ただ、警察が入り、部屋の清掃と原状回復に時間がかかったこと、しばらく入居募集が止まっていたことだけは知っていた。田中さん自身が第一発見者だったらしく、その件以降、彼は以前より俺を頻繁に呼ぶようになった。

その夜、打ち合わせが終わると、田中さんはいつもの調子で言った。

「せっかくだ。晩飯、食っていけ」

時刻は十八時を少し回ったところだった。断る理由もなく、俺は招かれるまま彼の自宅に上がった。

居間は妙に整っていた。掃除が行き届いているというより、生活感が薄い。テレビがついており、野球中継の音だけが部屋に広がっている。田中さんは出前の寿司を取ってくれていて、テーブルには三人前の桶が置かれていた。

「腹が減ってな」

そう言って笑う田中さんに、俺は深く考えず箸を取った。酒も出され、試合を眺めながら他愛のない話をする。仕事の話、天気の話、昔の武勇伝。時間は緩やかに流れていた。

だが、違和感は静かに積もっていた。

俺が一人前を食べ終えた時、田中さんの前にも空になった桶が一つあるだけだった。残る一人前は、誰にも手を付けられていない。

その横に、お吸い物の椀が三つ、等間隔に並んでいることにも、その時になって気づいた。座布団も三枚敷かれている。俺と田中さんしかいないはずの部屋で、視線が自然と空いた座布団に引き寄せられた。

酒のせいだろう。そう自分に言い聞かせた。

ふと、先月の出来事の話題が出た。俺は軽く触れるつもりで聞いただけだったが、田中さんの反応は妙にあっさりしていた。以前、電話口で聞いたあの動揺は微塵もない。まるで、ずっと昔の話を他人事のように語っている。

その口調が、逆に気味が悪かった。

胃のあたりが重くなり、俺はトイレに立った。

用を足して廊下に出た時、玄関の方から微かに甘ったるい匂いが漂ってきた。鼻に残る、どこか記憶に引っかかる香り。以前、例の部屋の清掃に立ち会った際に感じた匂いと、よく似ている。

玄関を見ると、見覚えのない女性物のハイヒールが揃えて置かれていた。

なるほど、と思った。
新しい相手がいるのだろう。だから三人前。だから座布団も一つ余っている。

そう結論づけることで、違和感に蓋をした。

「もう遅い。泊まっていけ」

居間に戻るなり、田中さんは当然のように言った。時計は二十三時を過ぎている。確かに終電はなかった。

だが、どうしてもこの家に留まる気になれなかった。

咄嗟に嘘をついた。会社に忘れ物をした、同僚が迎えに来ることになっている、と。田中さんは少し残念そうな顔をしたが、それ以上引き留めなかった。

帰り支度をしながら、俺は探るように聞いた。

「田中さん、新しい方ですか。彼女」

すると田中さんは、少し照れたように笑った。

「まあな。一回り以上下だ」

そして、続けた。

「お前も知ってるだろ」

俺は笑顔の意味を測りかねたまま、次の言葉を待った。

「加奈子さんだ」

その名前を聞いた瞬間、思考が止まった。

俺はその名を知っている。
あの部屋に残っていた郵便物。書類。清掃業者が処分する前に確認した名札。

喉が張り付いたようになり、言葉が出てこない。

「どうした」

田中さんは楽しげに聞き返した。俺は首を振り、「いえ」とだけ答えた。その時、視線を感じた。田中さんの背後、座布団の置かれた空間から、冷たい何かがこちらを見ている感覚。

玄関で靴を履き、「ごちそうさまでした」と告げた瞬間だった。

田中さんのすぐ後ろから、声がした。

「マタ、イラシテネ」

鈴を転がすような、感情の抜け落ちた声。

振り返っても、誰もいない。田中さんは手を振っているだけだった。

俺は階段を駆け下り、迎えに来た同僚の車に飛び乗った。

その足で、俺たちは問題のメゾネットへ向かった。確かめずにはいられなかった。

深夜零時過ぎ。件の部屋の郵便受けには、まだ名前が残っていた。

加奈子。

俺はその場で田中さんに電話をかけた。

「一緒に住んでるのは、生きてる人間ですか」

沈黙の後、受話器の向こうで空気が沈んだ。

「カレヲ、ハナサナイ」

低く、重い声。

電話は切れた。

四日後、田中さんは自宅で亡くなっているのが見つかった。死因は衰弱死とされた。部屋には新しいエアコンが設置されていた。

あの建物は今も残っている。
名前だけを変えて。

(了)


※読者さまのコメントを受けてリライトしたものです。2026年01月20日(火)


原文

1996年6月下旬の蒸し暑い日だった。

その日、俺は田中さんという大家のところに営業に行った。彼はメゾネットタイプの集合住宅を賃貸経営していて、先月退去した住人の預かり費用の件で話があったからだ。

退去した住人は、実は二十代の女性で、その部屋で薬を飲んで自殺した人だった。話を聞くと、同棲していた男に騙されて借金を背負わされ、男が浮気相手と一緒に出て行ったあと、自ら命を絶ったらしい。

俺がそんな詳細を知っているのは、田中さんがその女性の死体の第一発見者だったからだ。この手の出来事に慣れていなかった田中さんは、俺を呼び出して諸手続きを手伝わせた。それがきっかけで、俺たちは愚痴を言い合えるような仲になった。

男が出て行った後、女性の部屋から夜通し泣き声や物を壊す音が聞こえ、他の住人から苦情が相次いだという。田中さんが注意に行った際、彼女から相談を受け、それ以来毎日のように話し相手になっていたそうだ。

そして、ある日いつものように彼女の部屋を訪ねた田中さんがガス臭に気付き、慌てて元栓を閉めて救急車を呼んだが、女性はガスと共に睡眠薬を大量に飲んでいて、既に息を引き取っていた。

その夜、田中さんが「晩飯をご馳走する」と言ってくれたので、18時過ぎに彼の家を訪ねた。田中さんはいつも通り明るく迎えてくれ、先月の出来事など忘れたような様子だった。

仕事の話を終えたあと、田中さんが頼んだ出前寿司を一緒に食べながら、テレビでナイター中継を見ていた。彼は三人前注文していたようだが、俺は一人前だけ食べた。田中さんも同じように一人前だけ食べ、結果的に一人前がきれいに残った。

その時は特に気にせず、試合の盛り上がりもあって酒を飲みながら雑談していたが、ふと先月の事件の話題に触れると、田中さんはどこか他人事のような態度だった。それが妙に気になった。

さらに不可解だったのは、田中さんがテーブルにお吸い物を三つ並べたり、座布団を三つ出したりしていたことだ。まるで、もう一人誰かがいるかのような振る舞いだった。その異様さに気付いた俺は、なんとなく不快な気分になり、トイレに立った。

用を足し居間に戻る途中、玄関に漂う香りに覚えがあることに気付いた。それは以前、あの女性の部屋をリフォームした際に嗅いだ香料の匂いと同じだった。そして玄関を見ると、なぜかハイヒールが置かれていた。

俺は田中さんが女性と同棲を始めたのだろうと結論づけ、二人の邪魔をしないように帰ろうとした。しかし、田中さんは「もう遅いから泊まっていけ」と言う。時計を見ると23時を過ぎていた。断る理由を考えた俺は、「帰ってから仕事がある」と嘘をつき、同僚に迎えに来てもらうことにした。

帰り際、同棲相手の女性について田中さんに探りを入れてみた。「その人、いくつなんだ?」と聞くと、田中さんははずんだ声でこう答えた。

「恥ずかしながら、一回り下の22歳だよ。お前も知ってるだろ、加奈子さんだよ」

その名前を聞いた瞬間、背中に冷たいものが走った。加奈子――それは先月亡くなった女性の名前だった。

「加奈子さんって、田中さん……」

言いかけたところで、なぜか冷たい視線を感じ、俺はそれ以上言葉を続けられなかった。「何だい?」と上機嫌で返す田中さんに、「いや、何でもない」とだけ言い残し、靴を履いて玄関を出た。

ドアの前で改めてお礼を言い、「楽しかった。また来るよ」と告げると、田中さんは「おうっ、また来いよ」と返事をした。その声に重なるように、田中さんの背後から女性の声が聞こえた。

「マタイラシテネ……」

その声は田中さんとは明らかに違う、透き通った小さな声だった。振り返ると、田中さんの後ろには誰もおらず、居間とテーブルが見えるだけだった。

その瞬間、全身に冷や汗が噴き出し、ぎこちなく別れの挨拶を交わしながらその場を去った。そして、同僚の車に乗り込んだ。

家に帰ろうとしていたが、どうしても確かめたいことがあり、同僚と共に自殺した女性の元住居へ向かった。

深夜0時を回り、玄関先に到着すると、表札は外されていたが、ポストにはダイレクトメールが差し込まれていた。その一つを取り出し、ライターの火で明かりを灯して宛名を確認した。

そこには――「木原加奈子」と書かれていた。

その場で田中さんに電話をかけると、彼はすぐに出た。「どうしたんだい?」と笑いながら答える田中さんに、俺は思い切って核心を問いただそうとした。

「田中さん、同棲してるのは……死んだ人間なんじゃないか?」

その瞬間、電話越しに女性の低い声が響いた。

「カレヲハナサナイ……」

その声は、先ほどの透き通った声とはまったく異なる、低く重い響きだった。そして、電話は突然切れた。

俺は同僚とともにその場を離れ、車に飛び乗った。事態を飲み込めない同僚に一部始終を話すと、彼はこう言った。

「さっき部屋の前にいたとき、加奈子さんが携帯をかけてる横で、低い男の声が聞こえた気がしたんですけど……気のせいですかね?」

それから4日後、田中さんは亡くなった。死因は衰弱死とされ、警察は熱中症だと説明したが、彼の部屋にはエアコンが設置されていた。

あのメゾネットマンションは、経営者が変わったが、今も存在している。

[出典:372 :山師さん:2001/09/22 22:46]

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