山のしきたりには独特な戒めがある。
その一つ一つに理由があり、理屈に合ったものもあれば、いかにもおまじないめいたものも混ざっている。それでも、山を歩く者には自然と守るべき規律として根付いているようだ。
まず、先頭をうつむいて歩いている隊には挨拶をしてはいけないらしい。何かの暗黙の了解があるようだが、理由までは聞きそびれた。
それから、下着は必ず白。これは簡単なルールのようで、実は山の精神性を象徴しているという話を聞いたことがある。清浄さを保つことが、山に入る者の基本ということだろうか。
山中で物をなくしても、決して探してはいけないというのも不思議な戒めだ。失ったものを探す行為そのものが山の神や物の怪を刺激するのかもしれない。
弁当の話も興味深い。携行食は決して食べ尽くしてはいけない。家や小屋に戻るまで、たとえ一口分でも形式的に残しておくのが習わしだそうだ。これには非常食としての実利的な意味ではなく、むしろおまじない的な意味があるらしい。確かに、残した一口が暑さで腐る可能性を考えると、純粋に実用的な理由ではないのだろう。
用便に関するしきたりも面白い。山側の斜面に向かって用を足すべきだというのだ。落石を避けるためというもっともらしい理由もあるが、実は山の神が女性だという信仰が関係しているらしい。男性が山に向かって用を足すことで、神が喜ぶという話もあるとか。
山への礼と刃物の意味
登山口では山に向かって一礼する。そして山頂では頂そのものを踏んではいけない。これも山の神に対する畏敬と感謝の現れだという。
刃物を肌身離さず持つというのも有名なしきたりだ。寝るときには枕元に置いておく。これも魔除けの意味があるらしい。携える刃物は特別なものでなくてもいい。ナタやマキリのような立派なものから、ビクトリノックスや小さなナイフまで何でも構わないそうだ。ただし、ボンナイフが適切かどうかは聞いたことがない。
背後と名前
人の真後ろには立たない。背後から声をかけることも禁じられている。これもまた魔除けの一つ。物の怪が背後から現れるという考えがあるようだ。
そして、山に入った後はお互い本名では呼び合わない。屋号や通り名を使うのが決まりだという。これも魔除けの一種で、言霊信仰が関係している。山で本名を口にすると、物の怪や山の神に連れ去られるとされている。
山のしきたりには、単なる迷信を超えた奥深さと重みがある。人が自然に対して抱く畏敬の念が、こうした習慣を作り上げてきたのだろう。