二年前の秋のことだ。
月末テストの問題作成がどうしても終わらず、田舎の小学校に一人残っていた。普段なら職員室には誰かしら残っているのだが、その日は運が悪かったのか、気づけば校舎にいるのは自分だけだった。窓の外はすでに真っ暗で、校庭に立つ木々が風に揺れる影だけが、蛍光灯の光に滲んで見えていた。
三階の理科室で作業していたときだ。
バタン、バタン、と扉を叩きつけるような音が、廊下の奥から聞こえた。
最初は気のせいだと思った。古い校舎だ。夜になれば温度差で建具が鳴ることもある。そう自分に言い聞かせ、問題文に視線を戻した。
だが数分後、今度は明らかに近い位置で、同じ音がした。間隔も一定ではない。風任せの音ではなかった。
コピーを取りに一階へ降りる途中、音は止んだ。階段を下りるたびに、足音だけがやけに大きく響く。廊下の水槽から聞こえるモーター音と、金魚の酸素の泡が弾ける音が、不自然なほどはっきり耳に入ってきた。
コピーを終え、再び三階へ戻ろうとしたとき、また音がした。
今度は、二階の踊り場の上からだ。
空耳ではない。誰かがいる。
警察を呼ぶべきか一瞬迷ったが、学校の備品が盗まれていたら責任問題になる。何より、子どもたちが使う場所だ。確認せずに帰るという選択肢はなかった。
廊下を進むたび、蛍光灯を一つずつ点けていった。光が背後で消えるたびに、暗闇がゆっくり追いかけてくる気がして、何度も振り返った。
二階へ続く階段を上る。壁に飾られた卒業制作の絵や粘土のオブジェが、昼間とは別物に見えた。目が合った気がして、無意識に視線を逸らす。
踊り場に着いた瞬間、頭上で、はっきりと扉の音がした。
三階だ。
心臓が一度、大きく跳ねた。
理屈では、誰かがいる可能性のほうが高いと分かっている。それでも、視界に入る暗い階段の上は、どうしても現実から切り離された場所に見えた。
一段、また一段と階段を上る。
音は、こちらの動きに合わせるように、不規則に続いていた。
二階と三階をつなぐ踊り場の手前で、ふと視線を上げた。
そこに、いた。
白い顔だった。
天井の高さ近くに、頭がある。胴体までしか見えないが、明らかに人の大きさではない。髪は長く、顔の輪郭に貼り付くように垂れていた。目と呼べる部分が、こちらを向いているのが分かった。
時間の感覚が狂った。数秒だったのか、もっと長かったのか分からない。ただ、互いに動かず、見合っていた。
次の瞬間、それは甲高い声とも音ともつかないものを発した。
意味のある言葉ではない。ただ、喉の奥から無理に絞り出したような、不快な響きだった。
そして、三階の廊下の奥へと消えた。
扉の音は止まった。
しばらく、その場から動けなかった。逃げた、という安堵よりも、校舎のどこかに「まだいる」という感覚のほうが強かった。
結局、その日は三階へは上がらず、施錠だけ確認して学校を出た。帰り道、振り返ることができなかったのを覚えている。
翌朝、早めに出勤した。
昨夜の出来事が、夢だったのか現実だったのか確かめたかった。
三階の廊下は、いつも通りだった。扉も壊れていない。足音以外、何も聞こえない。
ただ、一点だけ違っていた。
踊り場の壁に、白い粉のようなものが付着していた。手の跡に見えなくもないが、形は曖昧で、拭けば簡単に落ちた。誰かが触れた痕跡なのか、ただの汚れなのか、判断はつかなかった。
それ以来、夜に校舎に一人残ることは避けている。
理由を聞かれても、うまく説明できない。
今でも、ときどき思う。
あのとき、逃げたのは本当に「向こう」だったのか。
階段の途中で立ち尽くしていた自分を見て、どちらが異物だと判断されたのか。
その答えだけが、いまだに残ったままだ。
[出典:214 :本当にあった怖い名無し:2006/11/21(火) 01:45:23 ID:AyHmqWZpO]