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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

午前二時の砂利道 nw+

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あれは、五年前のことだ。

練馬の外れにある、ロフト付きのワンルームに住み始めたばかりの頃だった。

前の会社を喧嘩別れ同然で辞め、社宅も失った。貯金は底をつきかけ、保証人も頼れない。無職の身で部屋を探すのは無謀に近かったが、池袋の不動産屋を回っているうち、妙にあっさりと決まった物件があった。

家賃は相場より安い。ロフト付き。築年数のわりに内装も悪くない。
難点は、昼でもほとんど日が入らないことだった。

出窓の外には細い砂利道があり、突き当たりは隣のアパートの外壁で塞がれている。内見のときも、そこだけが湿ったように暗かった。だが当時の俺には「どうせ一時しのぎだ」としか思えなかった。

引っ越し後すぐに仕事は見つかった。だが、長くは続かなかった。
望んだ職種だったはずなのに、朝起きる気力が湧かない。三ヶ月で辞めた。ほぼ同時に、交際していた彼女にも理由を告げられないまま別れを切り出された。

そこから先は、転落だった。

昼夜が逆転し、オンラインゲームに没頭した。食料とタバコを買うためだけに外に出る。部屋はゴミで埋まり、足でかき分けて寝床を確保した。窓の外の世界は遠く、切り離されていることがむしろ心地よかった。

最初の異変は、笑い声だった。

耳元で「クスクス」と湿った音がする。虫かと思ったが、どう聞いても子どもの声だった。数日後、それはすすり泣きに変わった。布団に顔を押しつけて泣くような、押し殺した呼吸音。

無視した。幻聴だと思い込むほうが楽だった。

やがて隣室から、夜中に叫び声が響くようになった。管理会社に連絡しようか迷ううち、隣人は次々と入れ替わった。短期間でこれほど住人が変わる建物は見たことがない。

午前二時。
決まってその時刻になると、出窓の外の砂利道で足音がした。

じゃり、じゃり、と一定の歩幅で。

突き当たりは壁だ。通り抜ける道はない。
隣人に尋ねると「ああ、二時の人ね」と平然と言った。

ある夜、外に出た。

二時ちょうど、足音が始まる。懐中電灯を握り、砂利道へ向かう。奥に黒い影が立っていた。こちらに背を向けたまま、動かない。

三十分、煙草を吸いながら見張った。
影は微動だにしない。

痺れを切らして踏み込むと、そこには何もなかった。

その夜から、部屋の中でも音が鳴り始めた。

木が裂けるような「バキン」という破裂音。
金属が衝突する「ガキィィン」という響き。

そして、布団の横に立つ人影。

痩せた男だった。輪郭が曖昧なのに、目だけがはっきりしている。
ベッドの上に立ち、顔を覗き込む。

「ここは俺の家だ。出て行け。殺すぞ」

低く濁った声が落ちてくる。

俺は怒鳴り返した。
「家賃払ってるのは俺だ」

男は同じ言葉を繰り返すだけだった。

恐怖はあったが、疲労のほうが勝った。
「好きにしろ」と目を閉じると、声はなおも続いた。

それ以降、男は定期的に現れた。
「出て行け。殺すぞ」
壊れた機械のように同じ台詞を吐く。

手を出してくることはない。
俺が「殺せ」と言っても、変わらない。

粗塩を盛ると静まる。
忘れると戻る。

お札を貼ると距離ができる。
剥がれると近づく。

飼っていたフェレットは、男が現れる夜に限ってケージの隅に身を押しつけ、何かを避けるように震えた。

それでも生活は続いた。

新しい恋人ができ、彼女の部屋に泊まることが増えると、出現は減った。部屋に戻っても何も起きない夜がある。やはり精神の問題なのだと、自分を納得させた。

引っ越しを決めたのは、怪異が理由ではない。
更新料が惜しかっただけだ。

荷物を運び終えたとき、父がぽつりと言った。

「お前の部屋の砂利道に、変な男が立ってたな」

血の気が引いた。

「痩せてて、髪が長くて、じっとこっち見てた。あれ、近所の人じゃないだろ」

父は部屋の中の出来事を知らない。
俺は話していない。

あれは、部屋の中だけの存在ではなかったのか。

今は別の場所で暮らしている。
夜中に目が覚めると、無意識に時計を見る。

二時。

その数字を確認した瞬間、どこかで砂利を踏む音がした気がする。

ここにも、砂利道はないのに。

[出典:353 :280:2006/11/21(火) 16:59:32 ID:ikwjRB/00]

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