数年前の夏、ある温泉地で「当たる」と噂の占い師に見てもらったことがある。
観光ついでの軽い気持ちだった。霊感がどうこうという話も、正直なところ半信半疑だった。
鑑定は静かに始まった。生年月日を伝え、しばらく黙ってこちらを見ていた占い師は、ふと視線を私の肩越しにずらした。
その瞬間、空気が変わった。
「……後ろにいますね」
冗談だと思って笑おうとしたが、喉が引きつった。
占い師は笑わなかった。
「ニタニタしてます。かなり近い。しかも一人じゃない」
続けて、こう言われた。
「私の力では祓えません。仏さんの力を借りないと無理です」
霊ならある程度祓えるらしいその人が、そう断言したのは初めてだという。週に二回、二ヶ月ほど寺に通い、そこで貰える御札を持ってもう一度来るように言われた。鑑定料は数千円だった。脅すでもなく、淡々と事務的に言われたのが、逆に妙に引っかかった。
その夏、私は言われた通り寺に通い始めた。だが真夏の暑さと仕事の忙しさを理由に、次第に足が遠のいた。
「また今度でいいか」
そう思ったまま、年が変わった。
それから少しずつ、歯車が狂い始めた。
もともと安定している方ではなかった精神状態が、目に見えて悪化していった。眠れない。理由もなく不安になる。自分が自分でない感覚が続く。気づけば、自殺について具体的に考えるようになっていた。
未遂に終わったが、そのまま実家には戻れず、父方の祖母の家に身を寄せることになった。
ここで私の家族の話をしておく必要がある。
父と母は私が中学生になる頃に離婚している。母はその後、私が十五の時に病気で亡くなった。私は母方の親戚に引き取られ、大人になるまで父とは距離のある生活をしていた。
父は再婚しており、平日は単身赴任で祖母の家に住んでいる。その流れで、私もそこに身を置くことになった。
環境が変われば良くなると思っていたが、逆だった。
症状はさらに悪化し、最終的には精神病棟への入院となった。
退院後、久しぶりに父と二人で食事をした。沈黙を埋めるつもりで、私は例の占い師の話を持ち出した。
「もしかしたらさ、あの時ちゃんと祓ってもらわなかったから、こうなったのかもね」
冗談めかして言ったつもりだった。
だが父は、箸を止めた。
「……それさ」
声が低かった。
「正体、わかったかもしれない」
私は笑いながら返した。
「なに、母の学生時代のファンとか?マドンナだったって聞いたし」
父は首を横に振った。
「違う。お父さんのことを、好きだった人だ」
その言い方が、妙に引っかかった。過去形なのか現在形なのか、判断がつかない。
「昔から……そう言われてたんだ」
誰に、と聞き返す前に、父は続けた。
「お父さんの周りの人間だけ、調子を崩すって」
確かに、思い当たる節はあった。
私。
再婚した義母。
そして、長い闘病の末に亡くなった母。
「母さんが亡くなった時で……味をしめたんじゃないかって」
父はそう言って、それ以上は何も説明しなかった。
まるで、それ以上口にすると何かが近づくとでも思っているようだった。
その夜、祖母の家の客間で横になった。天井を見つめていると、あの占い師の言葉が、遅れて蘇ってきた。
――後ろで、ニタニタ笑っている。
息苦しくなり、体を横に向けた。
背中側の空気が、やけに重い。
誰かの気配がある。
振り返れば何もいないと分かっているのに、首が動かない。
そのとき、はっきり思った。
あれは、私についているのではない。
私を通して、ここにいる。
父の部屋は、この客間のすぐ隣だ。
もし、私がいなくなったら。
次は、誰のそばに立つのだろう。
背後で、微かに息を吐く音がした。
笑っているのか、泣いているのかは分からなかった。
ただ、それ以来、父の名前が表示された着信を見るたび、胸の奥がざわつく。
近づいているのは、私なのか。
それとも、あれなのか。
今も、判断がつかない。
[出典:949 :本当にあった怖い名無し:2025/08/10(日) 20:59:59.86ID:tdAYTjJA0]