俳句をやっていると話すと、決まって少し意外そうな顔をされる。
まあ、教師なんていうものは、生徒の前では常に「こうあるべき人間」を演じる職業だから、俳句のようなものにうつつを抜かす余裕はないと思われているのかもしれない。
けれど実際はその逆で、私は日々の現実に倦んでいる。だからこそ、俳句のような「ことばの遊び」に惹かれるのだ。
私は中学校で国語を教えている。部活動は担当していないので、土日はまるまる空いている。
四年前、ある保護者から勧められて、地域の俳句会に参加するようになった。月に二度、日曜日の午後に地元の公民館に集まり、互選形式の句会をする。年に二度の吟行会では、近郊の神社仏閣や名所に出かけ、句を詠む。メンバーは十人にも満たず、ほとんどが退職した高齢の男性で、女性は私を含めて三人しかいなかった。
年齢差があるぶん、妙に可愛がってもらっていたし、あれこれと野草や古語の知識を教えてもらうのも、正直楽しかった。
私は、言葉を教える側にいるけれど、それと同じくらい学ぶことが好きだ。だから、俳句会のあの穏やかな空気に身を置くと、自分が浄化されていくような気がした。
問題が起きたのは、五月の吟行会だった。
その年の連休の最中、快晴の一日を選んで、私たちは郊外の山あいにある古い神社に出かけた。名前は伏せるが、主祭神は菊理媛命で、調べた限りでは縁結びや和解の神様らしい。
メンバーは九人。いつもの大学講師の先生が大型バンを運転してくださり、出発前に「今日の席題は“立夏”。それと、もう一句は自由題で」と伝えられた。
車内では、水筒のお茶を飲みながら、窓の外の新緑をぼんやり眺めていた。
「立夏」はさほど難しい題ではない。けれど、言葉の切れ味をどう詠むか考えていたとき、ふと後部座席で小声がした。
「……あそこ、あまり近づかない方がいいかもしれませんね」
話していたのは新沼さんだった。七十近いが姿勢がよく、かつて商社に勤めていたらしい。語彙が豊富で、句も洗練されている。ただ、ちょっと不思議なところがあった。
「“あそこ”って?」と訊ねたが、新沼さんは首をかしげて「いや、何でもないんです」と笑ってごまかした。
神社に着いたのは午前十一時すぎ。境内の木々がすっかり若葉色に染まっていて、風が吹くたびに光が揺れていた。
参道を歩きながら、あちこちで名も知らぬ花が咲いていて、みな足を止めては句帳を取り出していた。
そのときは、何もおかしいことはなかった。あの日のことを思い返すと、あまりに美しかったことの方が、かえって恐ろしい。
本殿に近づき、手水舎で手と口を清めていたときだった。
空気が急に変わった。背後で誰かが息を呑んだ音がした。顔を上げると、空が突然煤けたように暗くなり、西の山あいから太い稲光が走った。雷鳴が来る前に、何かが「切れる」ような感覚があった。
その直後、新沼さんが呻くような声を上げた。
「う……あっ」
見ると、彼の鼻と口から黒っぽい血が溢れ出し、白目を剥いたまま、のけぞるように倒れた。
私は、ただ凍りついていた。
「新沼さん!」と誰かが叫び、師範の先生ともう一人の会員と三人で彼を支え、社務所まで運んだ。
その瞬間だった。ドーン、と腹の底に響く雷鳴が落ち、参道脇にあった小さな祠の観音扉が、すべて同時に開いた。
何かの偶然だと思いたかった。
だが、風がなかった。戸が開くはずがなかった。
そこからは、記憶が細切れだ。
雨が急に降り出した。まるでバケツをひっくり返したような、激しい雨。濡れた苔の匂いと、神域の空気が混じって、どこか生臭い気配を帯びていた。
師範の先生は、神官と話し、境内を歩き回り、新沼さんの句帳を拾い上げた。
そのあと、神官に見せると、神官の顔色が見る見るうちに変わった。
「これは……」と口ごもり、すぐに奥へと消えていった。
午後の句会は中止になり、私たちは昼食をとったあと、無言のまま帰路についた。
神社を離れると、雨は嘘のように止み、また初夏の青空が戻っていた。
師範が携帯で連絡を取っていたが、その夜、新沼さんは病院で亡くなったと聞かされた。
次の句会は、いつもと違う空気に包まれていた。
師範は躊躇しながらも、話してくれた。
「……あの神社にはね、昔から伝わる“忌み言葉”があるんです。書いても、口にしてもいけない。その言葉を神域で発すると、命を落とすと言われている」
誰も口を開かなかった。私は、何かの宗教的な迷信だと、無理にでも思おうとした。
師範は俳句帳を取り出し、そこに書かれていた文字を指差した。
「新沼さんが詠もうとしていた俳句の途中に、その言葉が、はっきり書かれていたんです。“かつて聞いたことがある”と、神官が青ざめて……」
その忌み言葉が何だったか、今も私は知らない。師範も、決して教えてくれなかった。
けれど、あの雷のような空気の裂け目と、血を吐いて倒れた新沼さんの白目だけは、今も記憶に焼きついている。
それ以来、私はどんな句にも、神社を詠むことはしなくなった。
そして今でも、ノートに俳句を書くとき、知らずのうちに“ある言葉”を書いてしまうのではないかと、時々恐ろしくなる。
言葉は、ただの記号ではない。
ましてや神の領域においては──
文字とは、封印を破る鍵にもなるのだと、思い知らされた気がしている。
[出典:2012/02/02(木) 22:59:36.84 ID:LmP+DcSK0]