ドルフィンリングと言うイルカの形をした指輪が流行った1990年代初頭の話。
951 :本当にあった怖い名無し:2011/05/31(火) 22:57:27.90 ID:BndriAnC0
当時私は小学低学年で十才、歳の離れた姉がいるんだけど、姉はいわゆるDQNで夏休みになるとほぼ毎晩DQN仲間をうちに連れてきては親と喧嘩をしていた。
で、この当時子供嫌いの正隆お兄さん、優しい志保美お姉さんという二人がいつも家に遊びに来ていた。
正隆さんは私が姉の部屋に近づくと凄い怒って
「ガキがくんじゃねーよ!」って怒鳴り散らすのね。
その度に志保美さんや他の人たちが
「小さい子にそんな事言うなよ~」とフォローしてくれて、
「元子ちゃんだって遊びたかったんだよね」
とか言ってお菓子くれたり、部屋に入れてくれた。
正直私は正隆さんが嫌いだった。
だって人の家に来て泊っていったりするのに優しくしてくれないし、
私が姉の部屋に近づこうとすると「チッ!」って舌打ちして威嚇するし、
たまに外で会っても「ガンくれてんじゃねーぞ!」とか言ったりしてとにかく怖かったから。
逆に志保美さんのことは大好きだった。
志保美さんは正隆さんと違っててうちに来る度に花火やお菓子をくれたり、
正隆さんのフォローもしてくれたり、外で会えば必ず声をかけてくれて、
友達のいない私が寂しいだろうからって一緒に遊んでくれたりもしたんだ。
志保美さんの口癖は「元子ちゃんが私の妹ならいいのに」だった。
そんな荒れた夏休み(我が家の黒歴史)が終りに差し掛かったある日、急に正隆さんがドルフィンリングをくれた。
姉の部屋にも行かず私の部屋に来て「ほら」って投げてよこしたピンクのラッピングした箱に入ってた。
誕生日でもなんでもない普通の日なのにおかしいな?っとは思ったけど、友達いなさ過ぎて頭がお花畑だった私は、やっとこのお兄さんとも仲良くできるんだ!って思った。
当時の流行り物だったし初めて正隆さんがプレゼントしてくれた物で、当時の私の指には親指でもブカブカだったけど凄く嬉しくて貰った日は握りしめて寝たんだ。
そしたら真夜中に手が熱くなってびっくりして目が覚めた。
正隆さんから貰った指輪が焼けたように熱くなってた。
せっかく貰った指輪が壊れた~!って熱いわ寝ぼけてるわで、ギャン泣きしたのを今でも覚えてるんだけど、誰も様子を見に来てくれないのね。
真夜中だからしょうがないんだけど、横に寝てたはずの母もいなくて、流石におかしいなっと思った。
指輪はそのころには熱くなくなってて、その指輪を握りしめて明かりがついてたリビングに行ったら、両親が真っ青な顔して「お姉ちゃんが事故にあった」って言った。
この辺りはもうほとんど覚えてないんだけど、姉とそのDQN仲間たちがバイクでどこぞの山に遊びに行ってその帰りに仲間全員バイクの玉突き事故にあったらしい。
姉の容態は電話じゃよくわからなかったけどとにかく危ない状態だったらしい。
なのに両親リビングにいてちっとも病院に行こうとしないの。
私はパニックになって
「おねーちゃんが死んじゃうかも知れない!病院に行こうよ!」
って泣いて訴えたが両親は頑として動かなかったのね。
で、私が自棄になって私だけでも行くから!って、パジャマのまま玄関に向かったら、父が全身で阻止してきた。
私はドアに突っ込んでいく父の異常さが怖くてまた泣いた。
母親は「元子ちゃんお部屋にもどろ? ね? ね?」って一生懸命なだめてくれるんだけど、その母親の顔も泣きそうっていうかおびえまくってた。
その両親の異常な雰囲気で私も『あ、コリャなんか変だぞ?』って。
妙に冷静になってよく見ると両親ちゃんと外着に着替えてたんだ。
何でだろうっと思った瞬間、ピンポンが鳴って志保美さんの声が聞こえて
「元子ちゃん迎えに来たよ、お姉ちゃんの所においでー!」
みたいな事を言ってた。
私は「志保美さんが迎えにきた!おねーちゃんところ行こう」
って親に言ったんだけど両親ガクブルして顔真っ青なの。
母親は私を全力で抱き締めて締めて苦しかったし、父親は何かブツブツ言い出すし、かなり異常な状況だった。
あまりに異常すぎて私は親が狂った!と思って志保美さんの名前を呼びまくった。
「志保美さん怖いよ!おねーちゃんが死んじゃう!パパとママがおかしくなった!!志保美さん!志保美さん!!」って。
でも相変わらず志保美さんは助けてくれるどころか玄関の外で
「元子ちゃん、お姉ちゃんのところにおいで」
しか言わないの。
しかも声は凄く冷静…っていうかむしろ楽しそうな感じ。
「元子ちゃーん、お姉ちゃんの所おいでー」
「志保美さん怖いよ!たすけて!」
どのくらいそのままギャーギャーしてたかわからないけど、急にまた正隆さんから貰った指輪が熱くなって手をはなそうと思ったんだけど、手だけ金縛りにあったみたいにグーの形のまま動かない。
そのうち喉が苦しくなって声がうまく出なくなってきて、しまいには叫んでるつもりが全く声が出なくなった。
母親が口をパクパクさせてるのに声が出なくなった私を見てぎょっとしてたけど、声が出なくなったせいで更にパニックが加速して暴れる私を抱き締めてる力は緩めてくれなかった。
その間も志保美さんは楽しそうに私を呼んでた。
その内かすれた声が出てきたなっと思ったら、今度は勝手に言葉が溢れてきた。
「お前なんか私のお姉ちゃんじゃない!私のお姉ちゃんは大久保サト子だ!!」
「私は知ってるんだぞ、私に友達がいなくなったのはお前が私の友達をいじめて私に近寄るなって言ったからだ!!」
「お前が持ってきたお菓子や花火は全部、なとり屋で盗んだ物だ!気持ち悪い!!」
「お前なんか大嫌いだ!お前は私のお姉ちゃんじゃない!帰れ!二度と家に来るな!」
「私の家族は全員こっちにいる!私をそっちに連れて行こうとするな!!!」
実際はもっと田舎のヤンキー口調で、方言も入ってたけど大体こんなことを叫んだ。
と言うか、この叫んだ内容は私は全然知らなかった。
志保美さんが私の友達を苛めてなくした事も、いつもくれるお菓子が盗品だった事も。
パニック状態だったのに更にパニックに陥ってそこから何も覚えてない。
たぶん気を失ったんだと思う。
目が覚めたらもう朝で、泣きはらした母親とげっそりした父親がいた。そして
「病院から連絡があったお姉ちゃんは足を折っただけだよ、お昼になったらお見舞いに行こう」
って言ってくれた。
そしてそのときは理解できなかったけど
「正隆君にお礼を言いなさい。その指輪は一生大事にしなさい」
って言われた。
ここまで書いたらもう察しがついてる人もいるけど……
姉たちが起こした事故で志保美さんは亡くなってました。
それも両親が病院から連絡を貰うより前……多分即死に近かったんだと思います。
それなのに両親が病院に行こうとしたら玄関の向こう側に志保美さんが見えたらしい。
(※玄関の一部がすりガラスになって外が見えるタイプだった)
姉と一緒に出かけたはずの彼女が無事でいるはずない!と思った両親は家から出るに出られず、時々
「元子ちゃんを迎えに来ました。あけてください」
と言う声が怖くてリビングにいたそうな。
そして正隆さんも事故当時は意識がなくて危うい状況でしたが意識を取り戻し、面会できるまで回復をまってお見舞いにいった時、正隆さんはろれつの回らない状態ですが泣きながらぽつぽつと話してくれた。
_志保美さんがなぜか私に執着して
『元子ちゃんは妹のようだ、妹にしたい』
『元子ちゃんは私の妹!他の子と仲良くさせたくない、一緒にいる!』
となってた事や、万引きしたお菓子などを与えてた事など……
そして、志保美さんになついてた私を遠ざける方法が解らなくて、むやみに怒鳴ったりして申し訳なかった、流行のアクセサリーを持ってれば女の子だから友達ができるんじゃないかと思って指輪をあげた……
_と話してくれました。
あれからもう十五年以上経つけど、私は毎年夏はお盆が終るまで帰省できないでいる。
志保美さんが私を諦めて無いからだって姉や両親は言うけど、確かに夏場になると例の指輪が焼けたように熱くなって、変な事が起きる時があるんですが、それはまた別の話。
志保美さんの姿を両親が見たのはこれっきりですが、婿とって実家に住んでる姉は毎年見ているそうです。
年を重ねるごとに輪郭が変わってきてここ数年ほぼ別人のようになってるらしいですが、お盆最後の晩、送り盆の日に来るそうです。
お祓いは何度か頼んでますが、やはりお盆の時だけはきてしまうそうで……
私は志保美さん関係以外の霊感は全くないので分かりませんが、姉はなんとなくわかるという人なのでそういうものかもしれないと納得しています。
実家も引越しを考えましたそうなんですが、よくわかりませんがなぜか引越しをしていません。
私だけ中学進学と同時に父方の叔母の家に預けられていました。
残念ながら実話です。
(了)