俺は岩手のあるド田舎に住んでるんだが、そこの話。
519 本当にあった怖い名無し 2009/02/19(木) 18:42:10 ID:TEqjvpEI0
俺は小学校時代に郷土史に興味を持って、町立図書館とかから郷土史の本を借りてきたりしてた。
で、小学校六年の夏休み、町内にある古墳だとか、奥州仕置以前まで城が建ってた場所なんかを回って、それを夏休みの自由研究にしようと思った。
で、研究のために自転車で回れる範囲のことを調べてたら、本の中に面白い話を見つけた。
俺の住んでる町に熊野神社があるんだが、その歴史と由緒についての話だった。
さらに面白かったのは、現在その神社が建ってる場所は三代目で、もっと昔は別の場所に建ってたんだと。
さらに驚いたのは、その神社は現在の場所に移される前、なんと現在俺ん家の畑がある場所に建ってたらしい。
興奮した俺は仕事から帰ってきた親父にそのことを尋ねてみた。
すると親父は「言わなかったっけ?」みたいなことを言ってはなし始めた……
その神社は、江戸中期ぐらいに京都だかどこだか(いずれ関西方面)から御神体を譲り受けて来て建立されたらしい。
最初は俺の実家の近くにある山の山頂に建立されたらしいんだが、とてもじゃないが年寄りは登れないような山だ。
だから江戸時代末期頃にその御神体を山の麓に下ろして、そこに新しいお宮を建立した。
つまり、俺ん家の畑に建ってたのは二代目なんだそうだ。
しかし、なにぶん山の麓に建てたものだから、狼が怖い。
それで結局、山から遠く離れた現在の場所にお宮を移したんだそうだ。それが現在の神社だという。
そのうち家族全員が帰ってきて、親父の晩酌しながらの講義が始まった。
俺んちの畑はある里山の入り口にあるんだが、そこにちょっと開けた竹林がある。
「神社は大昔そこに建立されてた」と親父は説明してくれた。
「昔タケノコ掘ったりすると、六文銭だかなんだか、とにかく古い小銭が出てきてな。子供の頃拾って集めてきたもんだ。珍しかったからなぁ」
親父はそんな風なことを言ってた。
今もその山頂には小さいけれどお宮があって、俺の亡くなった祖父は延々と山を登って周辺を掃除したりしてたらしい。
ちなみに、親父が子供の頃拾った古銭は今も家にある。
時代劇に出てくるようなあの小銭を思い浮かべてくれればいい。
いいくらいに酒も進んできた親父が
「ところでなんでそんな話知ってるんだ?」と俺に聞いてきた。
俺は郷土史の本に書いてあったと言ったら
「他にどんなことが書いてある?」と聞いてきた。
親父も興味が出てきたようで俺はその郷土史を開いて該当箇所を読み聞かせた。
大体こんなことが書いてあった。
- 大昔から飢饉が多かったから、当時の人々は神仏に助けを求めた。
- 神社の御神体は関西方面から貰われて来た。
- 非常にご利益があるご神体らしい。
- 山頂から下ろされてきた時、俺の家の近所の家(仮にA家)がその神社の『守り』になった。
読んだら、親父の顔色が急に変わった。
明らかにピクッ、という感じで酒を飲む手が止まった。
「その守りってどこの家だ?」
と聞いて来たのでもう一度「A家だ」と俺が言ったら
「ああ……」と何か納得したような顔になった。
しかし依然として表情が強張っていた。
その家は俺の家から数キロ離れた場所にある家で、俺の家とはあんまり関係がない。
しかし、親父の反応が気になったので、俺はどうしたと問いただしたんだけど、親父は答えない。
明らかに話すのを嫌がってる感じだった。
けれど、俺がなおもしつこく問いただしたら下を向いてポツリと呟いた。
「あの家、今もよくねぇもん」
良くない、というのは東北の田舎なら『悪い』というニュアンスになる。
俺がどうよくないんだと聞いたら、親父が何か覚悟を決めたような顔になって
「俺も良くは知らねぇ」と前置きしてから話し出した。
親父の話によると、その家は俗にいう『村八分』みたいな状態になっているとのこと。
『村八分』というと語弊があるけど、とにかく周囲の家はA家とあまり深く付き合いたがらないし、A家も周囲の家と付き合うのを拒んでいるらしい。
言うなれば一軒だけ被差別部落状態。
知っての通り、東北には被差別部落は存在していないのにも関わらず。
「どうして」と聞いたら、どうもその『守り』というのにいわくがあるらしい。
関西からその神社のご神体が貰われて来たとき、この地方にご神体と一緒に何か『良くないもの』も一緒に持ち込まれたのだという。
無論、その『良くないもの』までが、ある種の呪物なのか、それとも風習とか文化のことを指していたのか、そこまではわからないけど、とにかく『守り』というからにはちゃんとした物だと思う。
親父は「なるほどな……A家だったのか……道理で……」としきりに頷いていた。
つまり、その本と親父の話を合わせて考えると、その神社とご神体、それとその『良くないもの』を外に出さないように『守る(管理する)』家の末裔がA家ということになる。
しかし、親父から言わせればそれは違うらしい。
狭い田舎のこと、A家だけに皺寄せが行くのはどうもおかしいし、それだけでハブられるのもおかしい。
大昔、この辺りの人々は元々根無し草だったA家の先祖をこの地に住まわせる交換条件として、その『良くないもの』の管理する役目をA家の先祖に押し付けたんだろう、と、そういうことを言っていた。
親父もその『良くないもの』が何なのかは知らないが、それはかなり力があるものだとも言った。
どうやらその『良くないもの』は強い呪いを振りまく、ある意味、神仏にも近いものらしい。
無論、A家がその役目を遂行している限り、一族にいい影響は出ないだろう。
しかし、A家はそうでもしなければ住まわせてもらえなかった。
まさにこの辺りの事情は『コトリバコ』と同じなんだろうけど。
ごめん。これで終わり。
「この辺りは飢饉ばっかりだったろ? だから神仏にすがろうと思って神社を持ってきたんだろう。なんでそんな『良くないもの』まで持ってきたのかは知らないし、知らないほうがいいと思う。けどな、昔から言うべ? いいものと悪いものは一緒に持ってないと効果が出ない。だから持ってこなくちゃならなかったんだろうけどよ……」
親父はそう言って、今度こそ口をつぐんだ。親父以外の家族は顔を見合わせていた。
しかし、ばあちゃんだけはやっぱり親父と同じように顔を伏せていた。
実はA家は跡取り息子がいわゆる『その道の人』で、借金に借金を重ねているという噂があった。
そういう噂があったから、親父の話には説得力があった。
もう一〇年以上前の話だし、今もその神社には毎年初詣に行く。俺の実家と神社には直接しこりはない。
けれど、やっぱりA家だけは違った。三、四年前に、A家は破産して一家離散してしまった。
今A家の家には新しく来た人が住んでいるけど、その『守り』の役目がどうなったのか、その『良くないもの』の管理がどうなったのかは、今もわからない。
(了)