ネットで有名な怖い話・都市伝説・不思議な話 ランキング

怖いお話.net【厳選まとめ】

短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

春の穴 nc+

更新日:

Sponsord Link


小学六年生の立春の日のことだ。

その日は、暦の言葉とは裏腹に、指先がかじかむほど冷たい風が吹いていた。歌では南国と呼ばれる土地でも、冬はちゃんと冬の顔をする。校門を出てから家までの道は、畑と古い家がだらだら続くだけで、季節の変わり目を感じさせるものは何もなかった。

「〇〇ちゃん」

背中越しに声をかけられて振り返ると、祖母が自転車を押して立っていた。前かごには買い物袋。中身を盗み見しようとした私に気づいたのか、祖母は何も言わず、私の横に並んだ。

「今、帰りかえ」
「うん」
「一緒に帰ろう」

そう言って歩き出した祖母は、急に鼻を上に向けて、くん、と小さく息を吸い込んだ。

「まだやな」

何が、とは言わない。

「何が?」
「春」

私は思わず笑った。春など、どこにも来ていない。空は薄く白んで、風は冷たく、制服の隙間から冷気が入り込む。

「今日、立春やって先生が言いよった」
「人間が決めた日やな」

祖母はそう言いながら、また鼻を鳴らした。

「春はな、土の中におる」
「……虫みたい」
「虫より厄介かもしれん」

祖母は少し声を落とした。

「冬が終わりかけると、土の中に穴が開く。その穴から、ぬくい空気と一緒に、春が出てくる。それが春の穴や」

私は足を止めた。

「穴?」
「見えん。けど、匂いはする」

祖母はそう言って、もう一度深く息を吸った。

「草が腐ったような、湿った匂いや。ええ匂いではない」
「それ、春の匂いなん?」
「そうや」

私は真似をして鼻から息を吸い込んだが、冷たい空気が鼻の奥を刺すだけだった。

「わからん」
「今日はまだや」

祖母は断言した。

「穴がちゃんと開いとらん。近くに開いちょれば、その辺だけ、ほわっとぬくい」

歩きながら、祖母は何気ない口調で言った。

「昔な、春の穴の上に家を建ててしもうた人がおったそうや」
「どうなったん?」
「その家だけ、春が来ん」

冗談のように聞こえたが、祖母は笑っていなかった。

「年中寒くて、草も芽吹かん。理由は誰にも分からん。穴を塞いだからや、っち言う人もおる」

そのとき、ふいに風が止んだ。ほんの一瞬だったが、足元の空気だけが、妙にやわらいだ気がした。

「あれ」
「動くな」

祖母が、私の腕を掴んだ。

「今、吸い込むな」

私は訳が分からず、その場に立ち尽くした。祖母はじっと地面を見つめ、しばらくしてから、ゆっくり息を吐いた。

「……気のせいやった」

そう言って手を離したが、その表情は、どこか迷っているようだった。

家が見えてくる頃、私は鼻を鳴らしてみた。

「今日、カレーの匂いする」
「それは春やない」

祖母は小さく笑った。

「カレーの前じゃ、春も負ける」

その言葉で、その日の会話は終わった。

それから何年も経った。祖母はもういない。

けれど、冬の終わりが近づくと、私は無意識に鼻を動かしている。春の匂いを探しているのだと、あとから気づく。

ある年、仕事帰りに、ふと足を止めた場所があった。何の変哲もない空き地だったが、その一角だけ、空気がぬるかった。

匂いがした。

草が腐ったような、湿った匂い。いい匂いではない。むしろ、気分が悪くなる。

私は、その場から離れなかった。

なぜか、そこを離れてはいけない気がした。祖母が言っていた「吸い込むな」という言葉が、遅れて胸に浮かんだ。

それでも、私は深く息を吸った。

その翌年からだ。

毎年同じ場所だけ、妙に早く草が芽吹くようになった。周囲がまだ枯色のままでも、そこだけ若葉が出る。けれど、触れると冷たい。

別の変化もあった。

私の家だけ、春が来るのが早くなった。暖房を切っても寒くならない。逆に、外が暖かくなっても、家の中は妙にひんやりしている年もあった。

理由は分からない。

ただ、冬の終わりになると、家の中で、あの匂いがする。

祖母の言葉を思い出す。

春は、穴の周りから広がる。

私は最近、思う。

あのとき、私が吸い込んだのは、春だったのだろうか。

それとも、春が出ていく側だったのか。

[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「凪 ◆gRc5iHyE」 2018/12/01]

📚 この怪談の続きは、Kindleで

伝聞怪談コンプリート合冊

サイト未公開の話を多数収録。Kindle Unlimitedなら追加料金なしで読み放題。

【合冊版】558ページ・100円のお得セットあり

伝聞怪談1 伝聞怪談2 既刊6冊

Sponsored Link

Sponsored Link

-短編, 奇妙な話・不思議な話・怪異譚, n+2026

Copyright© 怖いお話.net【厳選まとめ】 , 2026 All Rights Reserved.