これは、あの夏に友人から聞いた話ではなく、私自身の身に起きた出来事として語らざるを得ない。
実家のある町は、電車も一時間に一本しか通らないような田舎で、周囲は見渡す限りの田んぼだった。空は広く、風の音ばかりが響く。子どものころから慣れ親しんだ景色だが、あの時の私は、退屈に耐えかねてわざと違う帰り道を選んでしまった。あれがすべての始まりだった。
普段の通学路を外れて十分ほど歩いたところに、小さな祠があった。草に隠れて気づかないほどの場所で、地面に沈むようにして置かれていたのは高さ五十センチほどの石の地蔵。その横に、不自然に立てられた石を見つけた。猫のようでも狐のようでもある、不格好な形をした十センチほどの石。誰かがふざけて置いたのか、それとも信仰の対象なのか、判別のつかないものだった。
そこで私は、悪戯心に任せてその石を指で押して倒した。たいした力を入れた覚えはない。だが石は呆気なく真っ二つに割れた。中身は空洞のようにすら見えた。奇妙に思ったものの、それ以上気に留めることもなく帰宅した。
その夜、布団に入って灯りを落とした直後、身体が鉛のように固まり動かなくなった。世に言う金縛りというものだ。目の前に白い塊が浮かび上がり、耳元で低い声が囁いた。
「……戻せ……戻せ……戻せ……」
声は湿った風のように耳の奥を這い回り、心臓を掴むような重さを持っていた。やがて塊は白装束の女の姿へと変わった。顔は歪み、怒りと憎悪に満ちていた。その女が五センチの距離まで迫り、腹の底から絞り出すような叫び声をあげた。
「戻せ!!!」
意識はそこで途切れた。
翌朝、青ざめた顔で学校に行った私は友人に相談した。「石を戻さないとまずい」と言われた。だが、私は頑なに首を振った。理由は単純で、気絶させられたことが我慢ならなかったのだ。恐怖よりも屈辱が勝った。だから私は「闘う」と口にした。
その夜、木刀とサバイバルナイフを用意し、酒で無理やり勇気を煽った。深夜二時頃、再び「戻せ」の声が響いた。電気をつけたままの部屋に白い塊が現れた。恐怖で震えながら木刀を振り回したが、塊は消えては背後に回る。振り払っても当たらない。耳鳴りが酷く、頭の奥が裂けるように痛んだ。
やがて私は部屋のステレオを誤って叩き壊し、裸足で外に飛び出した。田んぼばかりの夜の草むらで、家に向かって叫んだ。
「かかってこい!!!」
その瞬間、家の屋根から白い塊がゆらりと浮き上がり、三十メートルの上空を漂った。月光に照らされながら、鳥のように急降下してきた。近づくにつれ、それが昨日の女であることが分かった。凄まじい形相のまま私の目前に迫る。木刀を振ったが、またもや当たらず背後へ回られる。耳元に吐息をかけるように囁かれた。
「戻せ……さもないと……」
恐怖で涙が出た。泣きながら木刀を振り回したが体力が尽き、最後の力で腰のナイフを投げた。だが前に投げたはずのナイフは、自分の胸元へと返ってきた。驚きに目を見開いたところで意識は闇に沈んだ。
次に目覚めた時、私は自室の布団に横たわっていた。母が言うには、近所の人が田んぼの脇で倒れている私を見つけ、家まで運んでくれたらしい。だが異常だったのは、私の両手に握られていたものだ。あの時割った、不格好な石の二つの破片を、血が滲むほど強く握り締めていたのだ。
私はもう抵抗できなかった。石を接着剤で慎重にくっつけ、地蔵の祠に戻した。手を合わせ、何度も謝罪を繰り返した。饅頭を供え、声が枯れるまで許しを乞うた。
その後、女が現れることはなくなった。だが、あの夜の光景はまぶたに焼きついたままだ。割れてしまった石の継ぎ目は今も残っている。通学路を外れるたびに、あの祠が目に入る。石のひびが、笑っているように見えて仕方ない。
私は決して、二度と手を触れることはしない。
[出典:183 :1:2005/08/08(月) 22:27:04 ID:Q9TlGBtu0]