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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

見知らぬ駅から続く世界 n+

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今でも、あの時の車内の静けさを思い出すと、背中の奥が冷たくなる。

二年前の七月二十八日、月曜の朝。夏休みももらえず、実家にも帰れず、会社へ向かう足取りは最悪だった。狭山の金剛駅から天下茶屋へ向かう途中、電車の中で携帯ゲームに没頭していたはずなのに、気づくと様子がおかしい。
通勤時間の南海本線の混雑が、忽然と消えていた。あの押し合いへしあいの群衆が、一人もいない。耳を澄ませても、人の咳払いも、吊革のきしむ音もない。静まり返った空間の異様さに気づいた瞬間、電車が止まり、無人のホームに降ろされていた。

目の前の駅名板には、確かに漢字らしきものが記されているのに、読めない。見覚えのある形なのに、記憶にとどまらない。脳に入ったそばから滑り落ちていくような、意味を結ばない記号。
駅舎を出ると、町並みは大阪の下町そのものに見えた。けれども、どこか歪んでいる。道幅や看板の位置はそれらしくても、記憶にある景色とは重ならない。人影はなく、雑多な喧噪も聞こえない。私は焦りから、会社に連絡しようとした。だが携帯は圏外。公衆電話もなく、小さな食堂に駆け込んでも、誰一人いなかった。空間が空っぽで、ただ形だけが置き去りにされているようだった。

駅に戻った時、初めて「人間らしきもの」を見た。厚手のコートを着込んだ紳士風の影が、電車の前に立っていた。真夏の大阪でそんな格好をする存在は、現実感から外れている。声をかけようとした瞬間、そいつの口は動かず、両耳に直接差し込むように言葉が響いた。
「もう戻してあげられないから、代わりにこちらで」

意味を問う暇もなく、視界に閃光が弾け、目を開いた時には職場にいた。時計は午前九時二分。遅刻もしていない。息も乱れていない。なのに、鏡に映った顔は「自分に酷似した他人」のように違和感を孕んでいた。目元や髪の生え際が、記憶の中の自分とは微妙に異なっている。

それは職場の同僚も同じだった。誰もが「確かに知っている顔」なのに、経歴や振る舞いが少しずつ食い違っている。仲の良かった同期が留年していたり、喧嘩別れした友人が「そんなことはなかった」と笑ったり。家族に至っては、共有していた笑い話が通じない。子供の頃の悪戯話さえ、微妙に改変されている。

私はそのままこの世界で生活を続けた。仕事を辞め、地元に戻り、家族と過ごす日々の中でも、孤独は深まるばかりだった。確かに親も兄弟もそこにいる。だが、本来の記憶の中の彼らではない。かつて交わした言葉や温度は、別の場所に置き去りにされている。私はひとりで、誰にも打ち明けられない。病気だと思われるだけだからだ。

それでも、この世界に馴染むことはできる。働き、笑い、眠る。違和感を抱えたままでも日常は回る。けれど、私は時々考える。あの厚手のコートの男が言った「もう戻せない」という言葉の意味を。
あれは「不可能」だったのか。それとも「許されない」だけだったのか。

もし、この世界にも私と同じ「本来の住人」がいたのなら、私は誰かの席を奪って生きていることになる。その誰かは、今も別の見知らぬ世界で、鏡の前に立っているのかもしれない。自分そっくりの他人の顔を、私と同じように凝視しながら。

朝の通勤電車に乗るたび、私はわざとゲームに集中してみる。あの時と同じ条件を再現できれば、またあの駅に降り立つのではないかと。けれども二度と、電車は静まり返らない。群衆のざわめきは消えず、見知らぬ漢字の駅名板も現れない。

結局、あの世界は一度きりだった。
それでも、私はまだ信じている。今の私は「代わりのこちら」であり、本来の自分はどこか別の場所で息をしている。
もしも、この現実が即席に拵えられた舞台にすぎないのなら……観客が去った後、役者はどこへ戻ればいいのだろうか。

[出典:746 :本当にあった怖い名無し:2010/09/10(金) 14:00:10 ID:kRonFI020]

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