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誰も知らない常連客 rw+2,804-0805

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あの婆さんを、店の誰も知らなかったと聞いたのは、何年も後のことだ。

けれど俺は、その人の家へ行った。

菓子を食べ、話をして、また店へ戻ってきた。

平成の始め頃、俺は小学一年生だった。

親父は、近所のスーパーに入っていた鮮魚店で働いていた。刺身の盛り合わせがよく売れ、母まで手伝うようになったため、二人が帰宅するのはいつも夜八時を過ぎた。

俺を一人で留守番させるわけにもいかず、鮮魚店のバックヤードに小さな机とテレビ、スーファミが置かれた。

学校が終わると、家ではなくスーパーへ帰る。

それが俺の日常だった。

最初は秘密基地みたいで楽しかったが、じきに飽きた。店内を歩き回り、八百屋の隣で売り子の真似をしたり、常連客を眺めたりして時間を潰した。

その中に、ひどく目立つ婆さんがいた。

七十歳くらいだったと思う。

顔の片側が、熱で溶けたように崩れていた。片目は潰れ、口の脇には小さな穴が開いていた。その穴は、瞬きをするたび、目と一緒に閉じたり開いたりした。

初めて見たときは、さすがに声が出なかった。

だが、何度も見かけるうちに慣れた。

婆さんはよく一人で買い物に来た。俺が遠巻きに見ていても怒らなかった。そのうち向こうから声をかけてくるようになり、俺も普通に話すようになった。

冬休みに入ると、魚屋は年末の客で身動きが取れないほど忙しくなった。

両親は夜十時を過ぎても仕事をしていた。

俺は毎日のように聞いた。

「今日は早く帰れる?」

「一緒にごはん食べられる?」

そのたびに母は、忙しそうな顔で言った。

「今日も遅くなるから、裏でゲームしてなさい」

そんなある日、婆さんが俺を手招きした。

「清助くん、退屈なら、お婆ちゃんちへ遊びに来るかい」

俺はすぐに「行く」と答えた。

親に何と言ったのかは覚えていない。

そもそも、何か言ったのかどうかも思い出せない。

婆さんについて商店街を抜け、住宅街の一軒家に入った。

家の中には、ほとんど何もなかった。

がらんとした和室に、ちゃぶ台が一つだけ置かれていた。婆さんは飲み物と菓子を出してくれた。

俺はずっと聞きたかったことを口にしかけた。

「おばあちゃん、その顔――」

婆さんは笑って遮った。

「ああ。これかい」

戦争のとき、爆弾で焼かれたのだという。

片目は見えなくなった。

その代わり、見えなくていいものまで見えるようになった。

婆さんはそう言った。

「清助くんが寂しいことも、わたしの顔をずっと見ていたこともね」

それから、声を少し落とした。

「火事には気をつけるんだよ」

長く話したはずなのに、覚えているのはその言葉だけだ。

スーパーへ戻ると、俺は母に言った。

「ただいま。あの婆ちゃんちに行ってきた」

母は作業の手を止めずに答えた。

「そんなことどうでもいいから、裏で勉強かゲームしてなさい」

正月、家族と叔母で鍋を囲んだ。

誰かの足がガスホースに引っかかり、鍋が倒れた。外れたホースからガスが噴き、コンロの火が一気に走った。

大事には至らなかった。

けれど俺は、婆さんの言葉を思い出していた。

火事には気をつけるんだよ。

年が明けると、婆さんは店に来なくなった。

初売りの日も、その次の日も現れない。

俺は一人で、婆さんの家へ行った。

中は空だった。

もともと何もない家だったが、以前とは違っていた。畳も柱も乾ききり、長い間、誰も住んでいなかったように見えた。

それきり、婆さんには会っていない。

数年後の盆休み、親戚が集まった席で、ふと思い出してその話をした。

顔の崩れた婆さん。

鮮魚店の常連客。

冬休みに家へ招かれたこと。

両親も叔母も、黙って聞いていた。

やがて三人とも、同じことを言った。

「そんな客、知らない」

見れば忘れられない顔だった。

何度も店に来て、俺と話していた。

それなのに、誰も知らないと言う。

母に、あの日のことを覚えていないかと聞いた。

俺が店へ戻ってきて、「婆ちゃんちに行ってきた」と話した日のことだ。

母は少し考えてから、首を振った。

そんな話を聞いた覚えはない、と言った。

俺がいちばん怖いのは、婆さんの正体ではない。

小学一年の俺が、年末で混み合う店を抜け、知らない家へ行き、菓子を食べ、また店へ戻ってきた。

その時間を、家族の誰も覚えていない。

俺だけが、まだ持っている。

[出典:674 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/08/18(金) 07:18:41.36 ID:W6Su2EFy0.net]

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