二十五になったばかりの春、数年ぶりに実家へ帰った。
薄曇りの空の下、田んぼの水面が風で細かく震えていて、ああ、やっぱり帰ってきたな、と息をついた。
茶の間では母がちゃぶ台に新聞を広げ、膝の上で湯呑を転がしていた。
挨拶もそこそこに腰を下ろすと、母は唐突に「そういえば……あんたが小さい頃の、不思議な話があったわね」と呟いた。
物心つく前のことだという。
俺は生まれつき体が弱く、家より病院の匂いを覚えていたらしい。
点滴の針を刺す場所もなくなるほど注射を受け、背骨を弓なりに反らせて骨髄液を採る注射も二度ほど受けたそうだ。
そのあたりの記憶は当然ない。ただ、母の声の奥底で、何か硬いものがこすれるような響きがあった。
ある日、京都から判子屋が来た。
町内を回って、家々の名前を鑑定している老人だった。
母はなんとなく家族全員の名前を見てもらったらしい。
結果は驚くほど的確で、家の事情まで言い当てられたと母は言った。
そして俺の名前を見た瞬間、老人の眉が吊り上がったという。
「この子は……画数も漢字も、最悪です」
吐き捨てるようにそう告げられたらしい。
大凶、大禍、二十歳までは生きられない……。
母は笑い飛ばそうとしたが、老人の目はまるで黒曜石のように冷たかった。
解決するには実印を作るしかない、と老人は言った。
しかも普通のものより二ミリ大きなものを、と。
「今行った家にも同じような子がいました。その子も……」
老人は言葉を濁した。
その家の子も二十歳までは生きられない、と。
めったにない凶名だ、と老人は言い、母をこっぴどく叱ったらしい。
母は迷った末、この機会に実印を作ることにした。
桐箱に収められた、少し大きめの立派な印鑑。
その日から、不思議と俺の体調は持ち直していった。
小学校に上がる頃には、骨折や擦り傷こそ絶えなかったものの、頑丈な体になっていた。
中学一年の春。
二つ上の先輩が、部活中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
当時はただ、姉の同級生が亡くなったのか、くらいにしか思わなかった。
だが先日、母の口からその先輩の名前が出た瞬間、背筋がすうっと冷えた。
あの日、判子屋が言っていた「もう一人の最悪な名前」――それが、その先輩だった。
母がこの話を持ち出したのには理由があった。
俺が帰る二日前、あの京都の判子屋が再びこの町に現れ、実家に立ち寄ったのだという。
父は船乗りで、長期の航海に出ていた。
母が「実印は船に持って行ってます」と言うと、老人は顔をしかめた。
「実印は帰る場所に置いておくものです。そうしないと……帰って来られなくなります」
その声は、湯気の立つ茶の間にそぐわないほど冷ややかだった。
実際、今回俺が帰ってきたのは、父が軽度の胃がんで入院したからだ。
診断は早期で、命に別状はないと聞いている。
それでも母は、あの言葉を何度も繰り返していた。
母が判子屋を信じるには、もう一つ理由がある。
俺には一つ下の従弟がいた。
その子の鑑定結果は「長く生きられない」。
数年後、その従弟は日本でも百人に一人いるかどうかという先天的な病にかかり、六歳で逝った。
母はそれを境に、あの老人の言葉を疑わなくなった。
夕方、二階の自室で荷物を整理していると、引き出しの奥から桐箱が出てきた。
埃を払って蓋を開けると、少し大きめの黒い実印が鎮座している。
木目の中に赤い筋が、まるで血のように滲んでいた。
そっと蓋を閉めた瞬間、階下から母が呼ぶ声がした。
「ねえ、その判子……船には絶対持って行かないでね」
母は俺がそれを触ったことなど知るはずもない。
なのに、あの声は、階下から響いたものではなかった気がする。
耳の奥で、老人の低い声が重なったように思えた。
「帰る場所に置いておきなさい……さもないと……」
その夜、布団に潜り込んでも、印鑑の朱色が瞼の裏にこびりついて離れなかった。
母の話は、不思議というよりも、もっと冷たい何かに触れていたのかもしれない。
[出典:913 :本当にあった怖い名無し:2010/07/14(水) 09:43:17 ID:5iLMIDEL0]