小学校三年生の秋、音楽室で見たものを、四十年以上経った今でも忘れられない。
そのせいで私は、いまだにシューベルトの肖像を正面から見ることができない。
当時、私は愛媛県のある市に住んでいた。第二次ベビーブームの頃で、学校には児童があふれていた。一学年に八クラス、ひとクラス四十人近く。三階建ての鉄筋校舎が三棟、そのほかに木造二階建ての校舎まであり、それぞれが渡り廊下で繋がっていた。
音楽室は、南から二番目の校舎の三階、一番東の端にあった。
東側の壁には、作曲家の肖像画が並んでいた。バッハ、ベートーヴェン、シューベルト。全部で十数枚はあったと思う。
B四判ほどの厚紙に描かれた水彩画だった。授業中に顔を上げると、必ず誰かの顔が視界に入った。
私は霊感などない。
だが、その音楽室だけは嫌だった。
カーテンを全部開け、蛍光灯を点けても薄暗い。授業を受けているあいだ、後ろから誰かに見られているような感じが消えなかった。
同じことを言う友人も何人かいた。
先生には何度か訴えた。
「なんか、この部屋、変です」
そのたびに先生は笑った。
「気のせい、気のせい」
そう言われ続けるうちに、私は音楽の授業そのものが嫌いになった。
とくに一時間目が音楽の日は憂鬱だった。朝、まだ校内に人の少ない時間から、あの部屋へ行かなければならない。
秋も深まった、ある朝だった。
その日も一時間目が音楽だった。
教室には、まだ数人しか来ていなかった。私は窓際の自分の席に道具を置いた。
そのとき、後ろのほうで女子が声を上げた。
悲鳴というほど大きな声ではなかった。ただ、いつもの話し声とは明らかに違っていた。
振り返ると、数人の女子が床を見ながら後ずさっていた。
私も近づいた。
床に白っぽいものが落ちていた。
最初は、小さな芋虫だと思った。
そのすぐそばに、濃い赤色の跡があった。
もう少し近づいて、それが何なのか分かった。
人間の小指だった。
爪がついていた。
切れたところから、白い芯のようなものが見えていた。
すぐには理解できなかった。
作り物ではないかと思った。誰かの悪戯なら、それでよかった。
だが、近くまで行くと鉄のようなにおいがした。
誰かが床を指した。
赤い跡が続いていた。
指の周りだけではない。
血のようなものが細い筋になって、床を横切っていた。ぽたりぽたりと落ちた跡ではなかった。何かを引きずったように擦れながら、壁まで続いていた。
赤い筋は、壁に着いて終わっていなかった。
そこから上へ伸びていた。
私は顔を上げた。
バッハ。
ベートーヴェン。
その隣に、シューベルトがいた。
口が赤かった。
肖像画の唇から、細い赤い筋が垂れていた。
紙が濡れていた。
水彩絵の具ではない。そこだけ色が違った。赤黒いものが口元から顎へ滲み、さらに下へ伸びていた。
床に落ちている小指。
そこから続く赤い筋。
壁を上り、最後はシューベルトの口に繋がっていた。
誰かが先生を呼びに走った。
私は動けなかった。
肖像画は、三年生の子供では届かない高さに貼られていた。
しばらくして先生が駆け込んできた。
まず床を見た。
次に壁を見た。
最後に、シューベルトを見た。
先生の顔から表情が消えた。
何も言わなかった。
そのまま教室を出ていった。
その日の音楽の授業は中止になった。
学校の中が騒がしかったことは覚えている。大人が何人も出入りしていたような気もする。警察が来ていたのかもしれない。
だが、小学三年生だった私たちには何も知らされなかった。
翌日、音楽室を覗いた。
最初に感じたのは、壁が広くなったことだった。
作曲家の肖像画が、一枚もなかった。
バッハも、ベートーヴェンも。
シューベルトも。
床の小指は消えていた。
赤い跡も残っていなかった。
先生に何があったのか聞いた。
答えてはくれなかった。
ただ一言、
「あまりこの話はしないように」
と言われた。
それから、その音楽室で授業を受けることはなかった。
別の部屋が音楽室として使われるようになった。
なぜ部屋まで替えたのか。
あの小指は誰のものだったのか。
なぜ作曲家の肖像画を全部外したのか。
何ひとつ知らされないまま、私はその学校を卒業した。
あれから四十年以上経った。
テレビでも本でも、シューベルトの肖像を見ることはある。
本物の肖像は、あの日学校に掛かっていた水彩画とは違う。
それでも私は、シューベルトを見ると最初に口元を確認してしまう。
赤いものが垂れていないことを確かめる。
それからでなければ、目を見ることができない。
[出典:99 :シューベルト:2022/03/12(土) 13:55:23.48 ID:L2zLOUTS0.net]