助けてくれたあの人の話を、ここで書いておこうと思う。
あの人とは、私を川岸で引き上げてくれた祖母のことだ。幼いころ、溺れて、息が詰まり、視界が真っ暗になった時、泥だらけの手で私の腕をつかんだ祖母の顔が、今でも瞼の裏にこびりついている。
その祖母が、生前、夜更けのちゃぶ台で湯呑を握りしめながら語ってくれた話だ。
祖母は七人きょうだいの五番目だったという。どういうわけか、一番目、三番目、五番目、七番目だけが「見える子」だったらしい。祖母自身も、薄ぼんやりと、死んだ者やこれから死ぬ者の気配がわかることがあったと笑っていた。
その中でも、三番目の兄――つまり私からすれば大伯父――は、ずば抜けていた。
両親は猛反対したが、大伯父は若くして警官になった。世の中の役に立ちたい、というありふれた言葉を本気で口にして、町の交番に立った。
制服姿の彼は、指名手配が出た窃盗犯や空き巣を、紙が掲示板に貼られたその日のうちに捕まえてくるような人間だった。まるで、犯人がどこに潜んでいるのか、最初から知っているみたいに。
数年で刑事課に異例の抜擢を受けた。ノンキャリアで刑事になるのは珍しい。だが、その異才は同僚の妬みを招き、事件の情報を与えられない、無視される、そんな嫌がらせを受けた。
ある日、彼は苛立った顔の先輩に向かって、こう言ったらしい。
「私のような身分の者につまらんことをするより、母君が亡くなる前に仕切りに気にしとった家宝の掛軸の修理でもしたらどうです。何日も前から母君がうるさくてかなわん」
その瞬間、先輩の顔が蒼白になったという。彼の母親は病床にあり、その掛軸のことを本当に気にしていたのだ。以後、嫌がらせはぴたりとやんだ。
逮捕はいつも無駄がなく、見事だった。署内で十五回も表彰され、「千里眼」の渾名までついた。
けれど、ある誘拐事件で、歯車が狂った。
被害者の子供に情が移りすぎたせいなのか、いつものように犯人の姿や逃走経路が、頭の中に浮かんでこない。
「子供の命がかかっとるのに……ワシの力はこんなもんか……」
悔しさに泣いていた時、耳元で誰かが怒鳴った。
「たわけが!お前の力で今があると申すか!」
声の主はわからない。なのに、気がつくと畳に額をこすりつけ、土下座していたという。
子供は無事に保護された。だが、それを境に、大伯父は勘に頼らず、組織的な捜査に重点を置くようになった。
しかし、誘拐や神隠しの類になると、どうしても見えないことが多かった。後で亡くなった子供たちが、飴玉を欲しがったり、おかあちゃんを呼びながら彼のそばに立っているのを何度も見た。
そのたびに、力の限界と無力感に押しつぶされていったらしい。上官が数年も引き止めたが、最終的には退職した。
祖母は、湯呑の底をじっと見つめながら、
「兄さんは、最後の方は笑わなくなってたよ」
とつぶやいた。
祖母の瞳の奥に、ひどく冷たい光が沈んでいたのを、今でも覚えている。
私はこの話を聞いて以来、テレビに出る霊能者や占い師を信じなくなった。あれはほとんど霊能ごっこの延長だと思っている。
本物は、そんな風に騒いだりはしない。
そして、本物にとって、その力は誇るべき才能ではなく、重い呪いに近いのだ。
……一つだけ、祖母が話さなかったことがある。
あの日、私を川から引き上げてくれた祖母の背後に、見たことのない男が立っていたこと。
びしょ濡れで、私と同じように泥だらけで、だけど笑っていた。
後で写真を見せられた時、それが大伯父だと知った。
その時には、もうとうに亡くなっていたはずなのに。
[出典:180 :可愛い奥様:2011/10/23(日) 00:37:48.69 ID:l/TTa4LtO]