第35話:峠のサンルーフ
まるで銀座の美しい女性のようだと言えば、少々オーバーかもしれません。
毎日、当たり前のように通っている道も”夜の顔”と”昼の顔”があります。
それらはまるで光と影の如く、それぞれ全く違ったように見えますよね。
そして時には、そこで不思議な現象に遭遇してしまう事もあるでしょう。
そうです。僕もあの夜、いつもの峠の別の顔を見てしまった一人でした……
それは夏の暑い夜、僕と彼女でドライブに出かけた時の事です。
東大阪には、大阪と奈良とを結ぶ、”阪奈道路”という峠があります。
自然環境に恵まれた、夜景を見るには絶好の高台です。
貴方がこの阪奈道路を走って、カーブの要所要所に目をやれば、花束が供えてあるのを見られると思います。
実を言うと、ここは六甲山ハイウェイに次いで死亡事故の多い峠なのです。
車の多い所に事故はつきものと言えばそれまででしょうが、ここでは幽霊の目撃も非常に多いのです。
いつも夏になると、幽霊目当てに肝試しに来る人が少なくありません。
しかし、僕と彼女はその夜、幽霊の事は気にもせず、普通にドライブを楽しんでおりました。
「綺麗な夜景やなぁ。今日は晴れてるからよう見えるわ」
ガラス越しに彼女と夜景を楽しんでいました。
なるほど夜空は雲一つなく、星がまたたいておりました。
月はその神秘的な輝きを僕たちに投げかけ、そのために影ができるほどです。
「なぁ、明日はどこへ行こか?多分晴れやろうから海でも行ってみるか」
そんな、とりとめのない話をしていたその時でした。
サイドミラーの中に、1台の車が後ろから近づいてくるのが見えたのです。
乗員は確認できませんでしたが、この阪奈道路の夜景はデートコースとして割とポピュラーだったので、
「ここの夜景を見に来たカップルかな」
などと思って気にしませんでした。
すると、その車やけに車間距離をつめてきます。
そしてライトをアップにするのでとても眩しく思いました。
「なんや、後ろの車。えらい寄ってくるなぁ」
そう彼女に言うと、「先、いきたいんちゃう?」といいます。
なるほどそうかと思いまして、車を路肩の方に寄せました。
しかし、狭い道で親切にも道を譲ろうとしている僕の好意を無視して、その車は僕の車の後ろを、ピッタリとついてきます。
そしてそれに加えて、ライトをピカッ、ピカッと光らせパッシングをしてくるのです。
「なんやろう。まだ道幅たりんのかな?クソォ、カーブあるから危ないのに」
僕は少し機嫌を悪くしながらも、ギリギリまで路肩に車を寄せて減速しました。
しかし、後ろの車も同じように、僕の車を尾行するかのように左に寄ります。
その時、車の屋根につけられたサンルーフから峠の澄んだ空気がフッと流れ込んできたのが感じられました。
ルーフを開けたつもりはなかったので、おやっと思いましたが、ちょうどそのとき後ろの車が再びピカピカっと、何度もパッシングをしてくるのです。
ついに僕も頭に来て車を止める事にしました。
道路とタイヤがこすれる音が夜の山に響きます。
崖の脇に車を止めました。
「なんか私コワイわぁ。あんた気ぃつけてや」
彼女は心配そうに僕に言います。
「わかってるって。そんでも、なんやねんなぁ。ちゃんと道譲ったってんのによぉ。ちょっと話つけてくるわ」
そう言って、その車の方に歩いていきました。
すると、後ろの車の運転手もドアを開けて降りてきたのです。
50才くらいの眼鏡をかけたオッサンでした。
僕はケンカごしにオッサンに駆け寄り、
「オッサン、なんや言うねん!道、ちゃんと譲ってるやないけぇ!」
と叫びました。
しかし、そのオッサンは僕の怒鳴り声にも動じる気配を見せません。
そして妙に青い顔をしながら、僕の車の方をジーッと見ています。
そしてしばらくすると、暗い崖の上の方を見上げました。
これは何かあるなと僕も思いました。
「な……なんなんや?どうしたんや?」
少し拍子抜けしたふうに、オッサンに尋ねます。
すると、「兄ちゃん……アンタの車、サンルーフ付いてるん?」
僕の顔をじっと見ながら男は聞きます。
「おぉ……ついとるけどぉ……それがどうかしたん?」
このオッサン、何を言い出すのかと思いました。
トランクが開いてるとか、タイヤに異常があるとかならわかりますが、サンルーフの有無を聞いてくるとは思わなかったからです。
オッサンは質問を続けます。
「ほんで……サンルーフの窓ぉ、、開いてんのん?」
メガネをヒョイと上にあげながら、少し上目遣いで、僕に尋ねます。
少しおどおどした様子です。
僕は先程流れ込んできた空気を思い出して答えました。
「おう……空いてる思うよぉ。それがどうかしたん?」
オッサンが本当に真剣な表情で聞いてくるので、僕も態度を変えるしかありませんでした。
オッサンは生唾をゴクリと飲み込んで僕にこう言いました。
「あのな、わし、ずっと気になってて、兄ちゃんの車の後ぉ、つけとったんやけどな……」
そう切り出したオッサンの唇は白く、乾ききっている様子です。
その乾ききった口からその理由が吐き出されていきます。
「わしなぁ、ずっとな、危ないなぁ思て……」
僕はオッサンに返すようにして聞きました。
「え?何が?」
オッサンは少し眉をひそめて、こう言いました。
「いやな……兄ちゃんの車の屋根に、女の人がへばりついてて……なんか中に入ろうとしてるみたいやってん……それでな、わし、ライトでしらしたってたんや……」
それを聞き、僕はよもやと思って車の屋根を見ましたが、女の姿はありませんでした。
オッサンが言うには、その女は僕が車を止めたとたん、この世のものとは思えぬスピードで山の崖を駆け上がって消えていったそうなのです……
「う……うっそ……」
僕は息が一瞬止まる思いでした。
しかし、オッサンの真剣な顔を見ると、オッサンがウソをついているとは思えません。
第一、そんなことをしても何の得もありませんから。
「ほんま……おっちゃん、おおきに」
僕はオッサンに礼を言うと、慌てて車の方に走りました。
バックミラーから、そのオッサンを見ると、まだ心配そうな顔をしてこっちを見ています。
僕はUターンし、もと来た道を戻り、急いで峠を立ち去りました。
「なぁ……あのおっちゃん、何やったん?」
彼女が聞いてきました。
しかし僕は何も言えませんでした。
翌日、僕は洗車をする事にしました。
そして、屋根をブラシで擦ろうとしてあるものを見つけました。
サンルーフに深い爪痕のようなものが幾つも残っていたのです。
これには肝を冷やしました。
僕はあれから、夜はサンルーフを開けないようにしています……
[出典:大幽霊屋敷~浜村淳の実話怪談~]