作業室は予定どおり、十一月末で閉まった。
引戸の内側にあった利用時間の紙が外され、ベージュの書棚は空になった。作業台は建物と一緒に残された。
私は分類した記録を佐伯さんへ渡した。会計として保管するもの、建物に関わるもの、利用者へ返却したもの。最後に、私宅の件は別の封筒へ入れた。
その封筒には、成瀬さんの許可を得て保管することになった資料の複写と、聞き取りの一覧が入っている。
元の書類の持主は変えなかった。
杉浦さんの臨時引継ぎ票は杉浦さんへ、片桐さんの受取の記録は片桐さんへ戻した。野間さんと黒田さんの私用の控えも、それぞれに返した。
青灰色のファイルは、作業室の書類として残った。
継続事項の別紙は抜かず、二〇二五年十一月二十九日に確認した結果を、新しい紙にまとめて挟んだ。
資料十一 継続事項の確認結果
水曜日の食事
定期の席を終了。今後の来店は各人が個別に連絡する。
私宅への配達
注文者本人が発送元へ連絡。事務担当者による受取りは終了。
窓、水回り、私宅の維持
家主へ返還。旧担当者による対応は終了。
退去の立会い
二〇二五年十一月二十九日、本人立会いにより完了。
家の鍵 二本、家主受領。
後任者
なし。
最後の欄は、佐伯さんに確認してから書いた。
そこには、私の名前も、成瀬さんの名前も入れなかった。

その後のことは、二〇二六年一月上旬まで確認した。
杉浦さんは、最初の一週間、買物をするときに同じ洗剤を二本取りかけたという。一本を戻し、それ以降、家へ品物を持っていくことはなかった。
「まだ残ってるんじゃないかって思うんですけどね」
何が、と聞くと、次の用事、と答えた。
私が一覧を見せると、残っていないことはわかると言った。
「自分で終えたことを、覚えていかないと」
彼女は、私のために言い方を整えたのではなかった。そういう言葉を選ぶ人なのだと思った。
黒田さんは、作業室の近くへ行ったときに、一度だけ私宅のほうへ曲がりかけた。
窓の状態が気になったが、頼まれていないので戻った。
「壊れたら、持主が考えますから」
そう言ってから、本人は少し笑った。
家を直していたことを、後悔しているわけではないという。ただ、誰が呼んだのかわからない用事は、もう引き受けない。
手元に残っていた修繕写真は、削除しなかった。自分がした作業の記録だからと話した。
私も、その扱いを変えてほしいとは頼まなかった。
野間さんからは、十二月の二度目の水曜日に連絡があった。
小野寺食堂へ、自分で電話をしてから食べに行ったという。
席は入口側だった。以前の席には別の客がいた。
小野寺さんは注文を聞き、野間さんは肉の定食を頼んだ。魚の小皿は出てこなかった。
食事代を払い、自宅へ帰った。
「普通でした」
彼はそれだけを先に送ってきた。
翌日、私が具体的なことを聞くと、誰と食べたか考えずに済んだ、と答えた。
店にいるあいだに名前を呼ばれることはなかった。会計のときにも、次の水曜日の話はしなかった。
私は、その晩について、それ以上の意味をつけずに記録した。
小野寺さんも、成瀬という名前で席を空けるのをやめていた。
古い予定帳は、これまでどおり店に保管している。
間違いだったところを直しておこうか、と言われたが、私は、当時の記載を残してほしいと頼んだ。
現在の理解で古い名前を書き換えると、何が起きていたかを確かめる材料がなくなる。
小野寺さんは、空いている次のページへ、席の予約は終了、とだけ書いた。
成瀬さんは、模型の舟を現在の部屋へ持ち帰った。
完成させるかどうかは決めていないという。
杉浦さんが削ったところ、黒田さんが直したところ、野間さんが貼ったところを、私が一覧にしようかと尋ねると、成瀬さんは少し考え、いまは要らないと言った。
「全部、ここにあるので」
引継ぎのように聞こえる言葉ではあった。
ただ、彼は誰にも続きを頼んでいなかった。
青いマグも持って帰った。割れていないかと聞くと、縁の欠けは前からあったままだ、と答えた。
杉浦さんが割ったと記録していたのは、別の茶碗だった。マグの欠けがいつできたかは、聞かなかった。
片桐さんは、家をしばらく貸さずにおくと言った。
窓と玄関戸は、黒田さんが直した部分をそのまま使っていた。台所の丸テーブルと二脚の椅子も、同じ位置にある。
ひと月ほどたってから訪ねたとき、テーブルには片桐さんの買物袋が置いてあった。
青いマグのあった場所に、蜜柑が三つ転がっていた。
窓は閉じていた。昼間でも照明をつけないと、台所の奥は少し暗かった。
私が鍵のことを聞くと、片桐さんは、自宅の棚へまとめたと言った。誰かに預けてはいなかった。
確認できた範囲では、用事は終わった。
成瀬さんがどうして自分の生活から離れたのか、誰が何を引き受け、どの言葉が途中で省かれたのか。その経緯も、すべてではないが追うことができた。
最初の引継ぎには期間があり、終わりを知らせる人が決まっていた。
後の紙では、項目が残り、その二つがなくなっていた。
成瀬さんは家の使用料を払い、後任たちは家へ通い、家主は立会いを待った。誰か一人の記録だけを読めば、それぞれの用事は続いているのが自然だった。
そこまでは、私は書くことができる。
説明しきれない部分は、別に残った。
小野寺さんが異なる人を同じ常連として扱っていたこと。
家へ入ると、用事と自分の暮らしの境が薄くなるという、担当者たちの話。
家へ行っていない成瀬さんが、他人の作業を自分の手の記憶として話したこと。
聞き取りの影響、古い記憶の混同、時間の記録の誤り。そのどれか、あるいはいくつかが重なれば説明できる部分もある。
残った記録を、どの説明に揃えるかは決めなかった。
二〇二四年二月十四日の件については、立会いのあと、三人へ同じ写真を一人ずつ見せた。
黒田さんが窓枠を直した日に撮った台所の写真である。
写真には人物は写っていない。
丸いテーブルと二脚の椅子。テーブルの上には、青いマグが一つ。取っ手は、流しから遠いほうの椅子に向いている。
誰も、写真自体がおかしいとは言わなかった。
座っていたところを指してもらうと、三人とも同じ椅子を指した。
別の日と混同しているかもしれないことは、全員が認めた。
それでも、自分が誰かと同席していた可能性については、答えが変わらなかった。
私は当初、この照合記録を資料十一の後へ続けて置こうとした。
用事が終わった記録と、説明のつかない記録を、同じ順番の中へ入れたほうが読みやすいと考えた。
しかし作業室の返却書類としては、後者を載せる理由がない。
佐伯さんに渡した一覧には、退去完了とだけ書いた。
以下は、私が別に保管した聞き取りの記録である。
資料十二 写真確認時の回答
杉浦千里氏
「こちらです。お茶を飲んでいたので。誰かがいたら、もう一つ出すと思います。マグは一つしか使っていません」
黒田恒一氏
「ここに座った。窓のところから戻って。工具は向こうに置いたので、こっちは空いてた。誰も来てないです」
野間透氏
「荷物を置くために、テーブルの上を空けました。マグだけ、端へ寄せています。人が座っていたら、先に声をかけます」
三人の回答は、それぞれがした作業と矛盾していなかった。
写真の中のマグも、どの説明を採っても同じ位置にある。
台所全体の写真を、成瀬さんにも改めて見せたのは、一月八日だった。
新たな説明を求めるつもりではなく、記録として残す写真の範囲を確認してもらうためだった。
成瀬さんは、窓枠の補修について以前話したことを覚えていた。
私は、二〇二四年二月十四日には、この家へ行っていないのですね、と改めて聞いた。
行っていない、と答えた。
写真を指で動かし、角度を変えて見てから、彼は言った。
「この椅子、こっちへ寄せると、窓を開けやすいんです」
流しから遠いほうの椅子だった。
私はその一言も記録に加えた。
写真の説明欄は、最初に作ったものから変えていない。
二〇二四年二月十四日、十四時二十八分。
私宅台所。撮影者、黒田恒一。
丸テーブル一。椅子二。マグ一。
人物は写っていない。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]
本作はフィクションです。団体、場所、人物、取材、年月日および資料は、すべて作品内の架空の設定です。挿絵は架空の場面を描いた生成画像で、実際の記録写真ではありません。