短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2026

水深1m以上 nc+

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時々、雨も降っていないのに、水たまりができていることがある。

たいていはただの水たまりだ。アスファルトのくぼみに溜まった水で、しばらくすれば蒸発して消える。だから誰も気に留めない。だが、ごく稀に、見てはいけないものが混じる。

中学三年の夏期講習の帰りだった。昼過ぎの道は焼けつくように熱く、息を吸うだけで喉の奥が乾いた。畑と果樹園に挟まれた一本道で、車も人もほとんど通らない。雨の気配はなく、空は薄く白んでいるだけだった。

その車道の真ん中に、水たまりがあった。直径は一メートルほど。縁ははっきりしていて、こぼれも染みもない。誰かがわざわざ置いたように、そこだけが濡れている。

不思議に思って近づいた。しゃがみ込むと、反射する空の色が妙に濃い。覗き込んだ瞬間、息が止まった。

水たまりの中を、小さな魚が泳いでいた。

青白く、細長い体で、鱗が光を弾く。大きさはカタクチイワシほどだが、尾びれも胸びれも不釣り合いに長く、ひらひらと揺れている。海の魚だという確信だけが、理由もなく湧いた。

あり得ない。ここは道路で、水深など数センチもない。魚が泳げるはずがない。それなのに魚は、ゆったりと弧を描き、こちらを恐れる様子もなく水中を行き来している。

さらにおかしかった。水たまりの奥が、異様に暗い。見下ろしているはずなのに、底が見えない。青さが重なって、奥行きがあるように感じられる。時折、影が横切った。小魚よりもはるかに大きい、何かの影だ。

手前を泳いでいた小魚が、ふっと縁の外側に消えた。こちらの視界から外れただけなのに、戻ってこない。水たまりの内側が、見えている範囲よりも広い。そうとしか思えなかった。

小さな穴から、封をされた箱の中を覗いているような感覚だった。あるいは、壁に穿たれた小さな窓から、別の場所を覗いているような。

騙し絵だ、と思おうとした。だが目を離せない。喉が鳴り、汗が背中を流れ落ちる。

私は辺りを見回し、足元に落ちていたアスファルトの破片を拾った。意識的に、確かめようとしたのだと思う。これは現実だ、と。

破片を、水たまりに落とした。

とぷん、という音がした。浅い水に石を落とした音ではなかった。深い井戸に物を投げ込んだときのような、吸い込まれる音だった。

小魚が一斉に散り、水面が揺れた。破片は沈んでいく。ゆっくりと、しかし止まらずに。数センチで底に着くはずなのに、いつまでも沈み続ける。青さに溶け、やがて見えなくなった。

その直後だった。

水面の向こうに、口が現れた。

巨大だった。歯が不揃いに並び、白く光っている。がちん、がちん、と顎を打ち鳴らす音が、水を隔てて伝わってくる。目は見えない。ただ口だけが、こちらに向かって開閉している。

鮫、という言葉が浮かんだが、違うと直感した。鮫よりも、もっと近い。もっと、こちら側に寄ってきている。

後ずさろうとして、足が動かなかった。視線が水たまりから離れない。離した瞬間に、何かが起きる気がした。

次の瞬間、水たまりが音を立て始めた。

しゅうしゅう、と、熱した鉄板に水を落としたような音。湯気が立ち、縁から一気に縮んでいく。水面の奥にあった青さが、引き剥がされるように消えていく。

口が、最後にもう一度、大きく開いた。

そして、水たまりは跡形もなく消えた。

乾いたアスファルトだけが残り、さっきまでそこにあったものが、すべて幻だったかのようだった。だが、鼻の奥に、生臭い匂いが残っていた。

その夜、激しい雨が降った。雷を伴い、川の水位が危険だと騒ぎになった。偶然だと思った。そう思うしかなかった。

後になって、似た話を断片的に聞いた。昔から、集落の周辺で、乾いた道に水が現れることがあるらしい。誰かが覗き込み、誰かが何かを落とし、誰かが二度と近づかなくなる。名前があるらしいが、人によって違う。共通しているのは、詳しく語られないことだ。

あの青白い小魚についても、噂だけが残っている。捕まえた者はいない。食べた者がいたという話もあるが、誰なのかは語られない。ただ、長生きした者がいた、という結果だけが、妙に強調される。

私はもう、あの道を通らない。

今でも、雨の降らない暑い日に、アスファルトから立ち上る湿った匂いを嗅ぐことがある。そのたびに、あの水たまりの奥行きを思い出す。

あそこは、こちらから覗いていただけなのか。それとも、向こうからも、覗かれていたのか。

確かめる気には、なれない。

[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「ほしな ◆YZpuwgGc」 2019/03/27]

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