前任者への連絡は不要、志那羽岩子。作品共通タイトル画像。

怪談 n+2026 オリジナル作品

前任者への連絡は不要|第十章 返す相手 iwa+

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立会いの日までに、用事を三つへ分けた。

 作業室の仕事。
 成瀬さん本人が決めること。
 他の人が、すでに自分の判断で続けていること。
 第三の区分には、名前をつけるのが難しかった。私用の代行と書けば、成瀬さんから頼まれたように見える。善意の手伝いと書けば、本人たちが不自由を感じていることが抜け落ちる。
 結局、担当者各自が続けていた用事、とした。

 杉浦さんは、家に買物を持っていくのを終えると片桐さんへ伝えた。
 黒田さんは、修繕を頼む場合は改めて本人へ連絡してほしいと話した。作業室の引出しに置いた予備の鍵も、立会いの日に回収することになった。
 野間さんは、模型の材料を受け取らないと成瀬さんへ伝えた。
 まだ届く予定の品物があるかどうかは、注文者である成瀬さん自身に確かめてもらった。継続注文はすでに終わっており、最近の配達は、別に頼んだ消耗品や広告に近い小さな品物だった。
 それでも、いつ荷物が来るかわからないという理由だけで、野間さんは家へ寄っていた。
 成瀬さんは、発送元へ住所の変更と今後の送付停止を連絡したと報告した。
 その手続きの詳細は私の担当ではない。こちらでは、本人から連絡を受けた日時だけを残した。

 小野寺さんには、成瀬さん本人が電話をした。
 毎週の席を、いったん終える。
 今後食べに行くことがあれば、そのときに自分で連絡する。
 小野寺さんは、誰から電話が来たのかわからず、はじめは野間さんだと思ったという。
 声が違うと気づき、名前を聞き直した。
 そのやり取りを、小野寺さんは後で私へ話した。
「ずいぶん久しぶりだったんだね」
「何がですか」
「成瀬さんの声を聞くの」
 私は、店に来る人の顔と、電話で話す相手の声は、同じようにはつながらないのかもしれないと思った。

 全員の話を一つにまとめた説明会は開かなかった。
 人の話を聞くことで記憶が変わることを、できるだけ避けたかった。誰がどの時点まで何を知っていたか、後でわからなくなる。
 成瀬さんが立会いに来ることと、用事を終える方針だけを、それぞれに伝えた。
 事情を全部、同じ言葉で納得してもらう必要はなかった。

 その過程で、黒田さんから、修繕写真の元のデータを預かった。
 本人が他の写真を除き、関連するものだけを複製したものだった。
 二〇二四年二月十四日の修繕を撮った写真群のうち、最後の、台所全体が写る一枚には、午後二時二十八分という記録が残っていた。
 黒田さんは、その日の午後、窓の補修をしてから舟を少し削り、三時すぎに帰ったと説明した。
 家には一人でいた。

 その日付に見覚えがあった。
 野間さんの控えに、同じ日の配達の記録があった。杉浦さんが二度目の面談で持ってきた買物の控えにも、二月十四日があった。
 私は三人へ、他の人の記録を見せずに聞き直した。
 古い出来事なので、日付に合わせて思い出してもらうこと自体に限界がある。そのことは、聞き取りの最初にも伝えた。

 野間さんは、午後の配達を待った日だったと答えた。
 一時すぎに家へ入り、三時前までいた。配達は二時半ごろ。受取の印を押し、台所で荷物を開けた。
 家には一人でいた。
 杉浦さんは、買った品物を持って寄り、茶を飲んだと答えた。
 二時すぎには家へ入ったはずだという。雨が降りそうで、三時より前に帰った。
 家には一人でいた。

 資料十 照合記録
 二〇二四年二月十四日について

 黒田氏
 修繕時に撮影した台所の写真 十四時二十八分
 説明 午後、窓の補修。作業後、舟を削った。
 他にいた人 なし

 野間氏
 配達控え 受取時刻十四時三十一分
 説明 十三時すぎから十五時前まで在宅。配達後、台所で開封。
 他にいた人 なし

 杉浦氏
 買物控え 十四時六分
 説明 買物後、私宅で茶を飲んだ。十五時より前に退出。
 他にいた人 なし

 杉浦さんの買物控えは、入室の証拠にはならない。
 黒田さんの写真の時刻も、機器の時計が正しかった保証はない。
 野間さんの受取控えだけで、家にいた時間の全体を確定することはできない。
 三人が同時に在室し、互いに見えなかったとまでは言えない。
 ただ、別々に記された時間が、同じ二十分ほどの中へ集まっていた。
 家の広さから考えて、三人が互いに気づかず用事を済ませたとは考えにくかった。

 写真に写っている丸いテーブルには、青いマグが一つ置かれていた。
 杉浦さんは、その日、自分が使ったと言った。
 野間さんも、荷物を開ける前に、茶を飲んだと言った。
 黒田さんは、作業で喉が渇いたので使ったと話した。
 誰かが洗い、次の人が使っただけかもしれない。
 私はその可能性を書いたあと、写真を拡大した。
 マグの取っ手は、空の椅子に向いていた。
 どの人が座っていたと考えても、位置は合った。
 椅子は二脚あり、三人とも、一人でいたと話していた。
 それぞれの説明は成り立った。三人の説明を同じ写真の中へ置く方法だけが、見つからなかった。

 この照合について、成瀬さんには立会いの前に話さなかった。
 彼の記憶と無理に結びつけるのを避けたかった。
 私は、別の記録として保留した。
 立会いの一覧には、誰が何を持ち帰り、誰へ返すかを書いた。この照合の答えを待つ欄は設けなかった。

 立会いの前日、私は片桐さんへ、確認用の一覧を持っていった。
 家具のうち、丸テーブル、椅子、棚は家主の物。
 成瀬さんの物は、作業台、模型と材料、残っている食器、封書類。
 黒田さんの工具、杉浦さんが持ち込んだ布巾など、本人が引き取るものは別。
 不明なものは、その場で勝手に捨てず、成瀬さんへ判断してもらう。
 鍵は二本。木綿紐のついた一本と、黒田さんが作った予備の一本。
 作業室の緑札の鍵は、この一覧には入れなかった。

 片桐さんは、いちばん下の〈退去確認者〉という欄を見た。
「これは私ですね」
「はい」
「ここ、成瀬さんにも書いてもらってください」
 私は二つの欄へ分けた。
 退去する人。
 明渡しを受ける人。
 その二行を見て、片桐さんは、自分が初めて家を貸したときのことを話した。
 成瀬さんは、家具を少し置いたままでよいという条件を喜んだ。机だけは自分のものを入れたいと言った。好きな工作をする場所が欲しかったのだという。
「出るときも、自分で見せて返してくれると思ってたんです」
 片桐さんはそう言って、確認表を丁寧に折った。
 その程度の約束が、まだ終わっていなかった。

木の作業台に置かれた、二つの欄に分けられた確認用紙とペン。
挿絵:AI生成による架空の場面

[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]

本作はフィクションです。団体、場所、人物、取材、年月日および資料は、すべて作品内の架空の設定です。挿絵は架空の場面を描いた生成画像で、実際の記録写真ではありません。

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