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短編 r+ 後味の悪い話 ヒトコワ・ほんとに怖いのは人間 意味がわかると怖い話

永久借地 rw+9,744-0203

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Windows95が発売されて、都会が浮かれていたころの話だ。

俺は小学四年生だった。場所は山形県の、地図を広げても指が滑ってしまうような山の奥だ。人は少なく、出来事はもっと少ない。季節だけが律儀に巡って、他は何も変わらない。時間の流れが古墳時代で止まっているのではないかと、本気で思える土地だった。

戸締りをする家はほとんどない。道を歩けば、顔を見ただけでどこの家の誰の孫か分かる。「おらが育てたかぼちゃ食ってけ」「今朝漬けた漬物だ」そんな声が当たり前に飛んでくる。牧歌的というより、閉じている。よそ者が入る隙がなく、出ていく理由も与えられない場所だった。

冬の終わり、雪の縁が薄茶色に汚れはじめた頃、沢で死体が見つかった。

最初に見つけたのは、隣の竹内のおじさんだった。早朝、わさびを採りに沢へ入ったら、上流で女が仰向けに倒れていたという。水は浅く、流れも弱い。滑って転んだにしては不自然だった。

死んでいたのは、八十をとうに過ぎた一人暮らしの婆ちゃんだった。名前は今も言わない。うば車を押しながら、毎日のように村の中を歩いていた人だ。朝に会うと、決まって「今日は気持ちがいいねえ」と言った。俺にもよく缶ジュースを買ってくれた。田舎特有の、境界の壊れたやさしさを、疑いなく差し出してくる人だった。

その婆ちゃんが、沢で冷たくなっていた。

首にはナイロンテープが食い込んでいたと、大人たちは小声で話していた。こんな場所で、人が人を殺す。テレビの中だけの出来事だと思っていた現実が、いきなり自分の教室の隣に置かれたような感覚だった。黒板の文字が平面に見えなくなり、世界がわずかに歪んだ。

村は一気に騒がしくなった。大人たちは集まっては囁き、誰がやった、通りすがりだ、あの独り身の男じゃないかと、根拠のない噂だけが走った。昼間は平静を装っていても、夜になると家々の灯りが早く消えた。

俺はその日から、夜に一人でトイレに行けなくなった。家の裏には竹藪があり、その奥に沢がある。布団に潜っても、枕元で婆ちゃんが「気持ちのいい朝だねえ」と囁く気がした。声は優しいのに、なぜか体が動かなかった。

捜査の中心になったのは、村に駐在していた巡査だった。少し猫背で、目だけが笑っていない人だ。見回りも、相談も、揉め事の仲裁も、祭りの警備も、全部その人がやっていた。村にとって、外と内をつなぐ唯一の窓だった。

俺の家にも巡査は来た。母に何かを聞いていた。俺は隣の部屋で、それを聞くともなく聞いていた。ふと、巡査の横顔を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

既視感だった。

あの婆ちゃんが、俺をにらんでいた。以前、一度だけ交差点で見た顔だ。口角が不自然に引きつり、目だけが鋭く光っていた。鬼という言葉が、そのまま当てはまるような表情だった。その顔が、巡査の顔に重なって見えた。

理由は分からない。子どもの錯覚だと、大人なら片付けるだろう。それでも、その感覚は消えなかった。

三か月ほどして、突然、逮捕者が出た。

巡査だった。

新聞には、金銭トラブルと書かれていた。土地の件で口論になり、衝動的に近くにあったナイロンテープで首を絞め、遺体を沢に落とした。筋の通った話だった。大人たちは、それで一度、深く息を吐いた。

だが、話はそこで終わらなかった。

巡査は、村のあちこちから金を借りていた。家の建て替え、親の葬式、急な出費。理由はいくらでもあった。ギャンブル癖があるという噂も後から出てきたが、誰も強く責めなかった。巡査は必要な存在だったからだ。村のことを知り、村の側に立つ唯一の「外の人間」だった。

婆ちゃんは違った。

あの人は、村の土地を無償で貸していた。田んぼ、畑、山際の細い土地。名義は婆ちゃんのまま、使うのは村人だった。ところが事件の少し前から、県外の業者と接触していたという話が、ぽつぽつと出てきた。

売るつもりだったのか、脅しだったのか、誰にも分からない。

ただ、もしその話が進んでいたら、村の何割かは、今の生活を続けられなかった。それだけは確かだった。

婆ちゃんが死んで、土地の話は止まった。代わりに見つかったのは、古い書類だった。そこには「永久借地」という文言があった。つまり、婆ちゃんが死んでも、村人は土地を使い続けられる。

事件のあと、その話題を口にする人はいなくなった。最初から、何も知らなかったように。空気が、そう決めていた。

巡査が本当に一人でやったのかどうか、今では誰にも分からない。

俺は一度だけ、婆ちゃんの家に上がったことがある。奥に仏間があり、襖の模様が人の顔のように見えて怖かった。帰り際、婆ちゃんは俺の手を握って言った。

「誰にも言っちゃダメだよ」

何を、とは言わなかった。俺も聞かなかった。ただ、その手の冷たさと、声の調子だけが、妙に記憶に残っている。

十八で東京に出てから、実家には帰っていない。

帰れないのだ。あの村には、もう入れない。

夜になると、今でも夢に婆ちゃんが出てくる。沢の底に立って、にこにこしながら言う。

「今日は……気持ちのいい朝だねえ」

空は真っ黒だ。朝のはずなのに、何も見えない。

それでも、目が覚めると、胸の奥に残るのは安心ではない。
あの村が、今も何事もなかったように続いているという事実だけだ。

(了)

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