人生で三度、奇妙な心霊体験をしたことがあります。
530 :本当にあった怖い名無し:2023/08/18(金) 13:45:34.09 ID:rpUILjwh0
その度になぜか空から豆のようなものが降ってきます。
一度目、二度目は築100年超える京都の祖母宅のお風呂場で奇妙な足音が続いた際、建物の屋根になにか固い豆のようなものがパラパラ落ちてくる音がしました。
この頃、取り憑かれたように夜の京都の神社巡りをしていました。
乃木神社に行ったあとの出来事でした。実は、京都の神社は多くの伝説や怪談が伝わる場所で、特に夜の参拝は「もののけ」や「霊」を呼び寄せると言われています。乃木神社も例外ではなく、夜に訪れると不思議な現象に遭遇することがあるとか。
平家の霊が漂う赤間神宮
三度目は、山口下関の赤間神宮。ここは耳なし芳一の舞台で、平家の塚があるエリアを一人で散策していたときにおきました。件の場所に踏み入れてしばらくすると、なにか豆のようなものが空からパラパラ降ってくる音がするのです。
近くに木があったのでその実かな?とも思いましたが、見上げても実は見当たらず、落ちてくる数もパラパラとすごい数でした。一旦その場を離れると音は止み、また近づくとパラパラと何かがふる音がしました。以前のことを思い出し、気味悪くなりその場を立ち去るとパラパラと言う音もしなくなりました。
空から降る謎の音の正体
あのパラパラと落ちる豆のような音は何だったのか、ずっともやもやしています。何か似たような話や、パラパラ音の意味などご存じの方いらっしゃいませんか?
532 :本当にあった怖い名無し
音はするけど、豆自体は見当たらないということです。533 :本当にあった怖い名無し
ID変わってました。改めて自分で調べて見たのですが、もしかして天狗の礫というやつでしょうか。534 :本当にあった怖い名無し
確かに天狗の伝説でそう言うのありますね535 :本当にあった怖い名無し
「天狗の礫」なら悪いものではないのかな?536 :本当にあった怖い名無し
でも天狗に好かれてるとしたらもしかしたら良くないかもですね…
続く怪異、そして20年前の記憶
お風呂の件は20年前、赤間神宮は10年ほど前の出来事です。お風呂の件はたぶんなにか連れて帰って来てしまっていて、古いお風呂の床に敷くビニールマットの上をヒタヒタ歩く音がずっとしていました。
お湯を流してもみても止まらず…湯船でじっとしていると、お風呂の上の屋根に硬い豆(つぶて?)が当たる音が続きました。
外に出て確認しましたが、何も落ちておらず。そもそも傍に木もありません。そして翌日も同じ事がおきましたが、それが最後でした。
赤間神宮の件も同じで、それらしいものは何も落ちておらず。
当時夕暮れ時で天気も曇天の冬。平家の塚の周辺はこと更に薄暗く、また自分自身も悩み事があり結構暗い気持ちで彷徨いていたので、なにか引き寄せたのかもしれません。
心霊的なものから私を守ってくれてるのかな?と好意的に解釈していましたが、天狗の礫の色んな話を見る限り「悪いことが近づいてきてるサイン」だったのかも知れません。
後日談
余談ですが、同じぐらいの時期に悪天候の中、飛行機で羽田から北九州へ飛んでいる途中で雲の切れ間から大きな迷彩柄の飛行機(ラピュタのゴリアテみたいなサイズ感)を見てパニックになったことがあります。
ぶつかる位近くて、一度雲間に消えたので見間違いかと思いましたが、次の瞬間再び雲間から出現。北朝鮮が攻めてきたのか?!とか色んなことが頭を駆け巡り、もう墜落すると思いました。
雷はなかったけれど、パズーの父が龍の巣でラピュタ見た時みたいな感じでした。誰に話しても疲れてたんだと言われて信じて貰えませんでした。ちなみにこの時は豆はなかったです。
それから数年後、再び赤間神宮を訪れる機会がありました。
今度は友人たちと一緒でした。その時、私が以前体験した話をすると、彼らは半信半疑ながらも興味を持ちました。ちょうどその日、地元の祭りが行われており、境内は賑やかでしたが、私はどうしてもあの場所に行きたいと思い、友人たちを連れて平家の塚へ向かいました。
その時、不思議なことが起きました。突然、またあのパラパラとした音が聞こえてきたのです。友人たちも驚き、音の正体を探ろうとしましたが、やはり何も見つかりませんでした。しかし、一人の友人が妙なことを言い出しました。
「これ、実は豆じゃないんじゃないか?」
彼の言葉に皆が耳を傾けました。
彼は歴史マニアで、この地域の古い伝承にも詳しかったのです。彼は、古代の戦場では、死者の霊が現れる際に「霊石」という小さな石を使うことがあると教えてくれました。
それは、霊が自分の存在を知らせるための手段であり、守護霊が悪い霊を追い払うために使うこともあるそうです。
この話を聞いて、私は一つの結論に達しました。あの音は、私を守ってくれる存在がいる証なのかもしれないと。
豆のような音の正体は未だに謎ですが、歴史と伝承の中にその答えがあるのかもしれません。そして、その音が聞こえる度に、自分の周りで何かが起きる前兆であることに気づきました。それは、私にとっての警告音であり、同時に守護のサインなのです。
以来、私はその音を恐れるのではなく、受け入れることにしました。
それが私の人生の一部であり、歴史と共に生きる証であることを。いつの日か、その音の正体が完全に解明される日を夢見て。
(了)