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【柳田國男】山の人生:22【青空文庫・ゆっくり朗読】

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二二 山女多くは人を懐かしがること

全体に深山の女たちは、妙に人に近づこうとする傾向があるように見える。或いは婦人に普通なる心弱さ、ないしは好奇心からではないかと、思うくらいに馴々なれなれしかったこともあるが、それにしては彼らの姿形の、大きくまた気疎けうとかったのが笑止である。
山で働く者の小屋の入口は、大抵たいてい垂蓆たれむしろを下げたばかりであるが、山女夜深く来たってその蓆をかかげ内をのぞいたという話は、諸国においてしばしばこれを聞くのである。そういう場合にも髪は長くして乱れ、眼の光がきらきらとしているために喰いにでも来たかの如く、人々が怖れ騒いだのである。或いはまた日が暮れてのち、突然として山小屋に入り来たり、囲炉裏いろりの向うに坐って、一言も物を言わず、久しく火にあたっていたという話も多い。豪胆な木挽こびきなどが退屈のあまりに、これに戯れたなどという噂のあるのは自然である。羽後の山奥ではこんな女をわざわざ招き寄せるために、ニシコリという木を炉に燃す者さえあると『黒甜瑣語こくてんさご』などには記しているが、それは果してどういう作用をするものか、その木の性質と共になお尋ねて見たいと思っている。
今から三十年あまり以前、肥後の東南隅の湯前ゆのまえ村の奥、日向の米良めらとの境の仁原山に、アンチモニイの鉱山があった。その事務所に住んでいた原田瑞穂という人が夜分少し離れた下の小屋に往って、人足たちと一緒になって夜話をしていると、時々ぱらぱらとその小屋の屋根に小石を打ちつける音がする。少し気味が悪くなってもう還ろうと思い、その小屋を出てうしろの小路をわずかくると、だしぬけに背の高い女が三人横の方から出て、その一人が自分の手を強く捉えた。三人ながらほとんと裸体であった。何かしきりに物を言うけれども怖ろしいので何を言うか解らなかった。その内に大声に人を喚んだ声を聞いて、小屋から多勢の者がどやどやと出てきたので、女は手を離して足早あしばやに嶺の方へ上ってしまった。これも小山勝清君の話で、経験をした原田氏は、そのころまだ若かった同君の叔父である。
自分はこの鉱山のあった仁原山が、前に挙げた獣のわなに山女の死んでいた三つの場処の、ほぼまん中である故に、ことにこの話に注意をする。もし山人にも土地によって、気風に相異があるものとすれば、南九州の山中に住む者などは、とりわけ人情が惇樸じゅんぼくでかつ無智であったように思われるからである。

この類の実例はゆくゆくなお追加しうる見込みがある。前にいう仁原山は市房山と白髪岳との中間にある山だが、その白髪岳の山小屋でも近年山の事業のためにしばらく入っていた某氏が、夜になると山女がきて足を持って引張るので、なにぶんにも怖ろしくて我慢ができぬといって還ってきたこともあった。球磨郡四浦ようら[#ルビの「ようら」は底本では「ようち」]村の吉という木挽が、かつて五箇庄ごかのしょうの山で働いていた時に、小屋へ黙って入ってきた髪の毛の長い女などは、にこにことしてしきりに自分の乳房をいじっていた。驚いて飛びだして銕砲てっぽうなどを持って、多勢で還ってきてみるともうその辺にはいなかったそうである。単に遠くから姿を見たというだけの話なら、まだこの附近にも近頃の例がいくつかある。東北地方では会津の磐梯山ばんだいさんの入山などにも、山女らしい話がおりおり伝えられる。『竜章東国雑記りゅうしょうとうごくざっき』の第六集に、「文化の初め頃、山麓某村の農民二人、※(「くさかんむり/弓」、第3水準1-90-62)せんきゅうといふ薬草を採りに、此山西北の谿たにに入って還ることなり難く、ながれうた大木の虚洞うつろに夜を過すとて、穴の外に火をいて置くと、たけ六尺ほどで髪の長さはかかとを隠すばかりなる女が沢蟹さわがにを捕へて此火にあぶつて食ひ、又両人を見て笑った」と記している。「これ俗に山ワロと謂ひ※(「けものへん+爰」、第3水準1-87-78)やえんとし経たるもの也。奥羽の深山にはまゝ居る由にて、よく人の心中を知れども人に害を為すことなし」などとあって、土地でも詳しいことは知らぬのである。また『老媼茶話ろうおうちゃわ』には猪苗代いなわしろ白木城の百姓庄右衛門、同じく磐梯山の奥に入って、山姥のかもじと称するものを見つけたことを載せている。「長さ七八尺にして白きこと雪の如く、松の大木の梢にかゝつて居た」とあって其末に、「世に謂ふ山姥は南蛮国なんばんこくの獣なり。其形老女の如し。腰に皮ありて前後に垂れ下りたふさぎの如し。たま/\人を捕へては我住む岩窟がんくつに連れゆき、強ひて夫婦のかたらひを求む。我心に従はざるときは其人を殺せり。力強くして丈夫に敵す。好みて人の小児を盗む。盗まれし人之を知り、多勢集まり居て山姥が我子を盗みしことを大音にののしり恥しむるときは、ひそかに小児を連れ来り、其家の傍に捨て置き帰るといへり」などといっている。実際の遭遇がようやくまれになって雑説はいよいよ附け加わるので、これなども支那の書物の知識が、もう半分ばかりもまじっているようである。

或いは単に人間の炉の火を恋しがって出てくるものとも想像しうる場合がある。冬の日に旅をした人ならこの心持は解るが、たとえ見ず知らずの人が焚火たきびをする処でも、妙に近づいて見たくなるものである。夜分に人の家の火が笑語の声とともに、戸の隙間すきまかられるのを見ると、ねたましくさえなるものだ。無邪気な山の人々もこの光に引きつけられてくるのかも知らぬ。『秉穂録へいすいろく』にはまた熊野の山中で炭焼く者の小屋へ、七尺余りの大山伏おおやまぶしの遣ってくることを録している。ただし「魚鳥の肉を火に投ずるときは、その臭気をいとうて去る」というのは、少しく前の沢蟹の話とは一致せぬが、火に対する趣味などにも地方的に異同があるのだろう。前に引用した『雪窓夜話せっそうやわ』の上巻には、また次のような一件も記してある。すなわち因州での話である。
「西村某と云ふ鷹匠たかじょうあり。たかを捕らんとて知頭ちず蘆沢山あしさわやまの奥に入り、小屋を掛けて一人住みけり。夜寒の頃なれば、庭に火をきてあたり居けるに、何者とも知れず、其たけ六尺あまりにて、老いたる人の如くなる者来りて、黙然とかの火によりて、鼻をあぶりてつくばひたり。頭の髪赤くちゞみて、面貌めんぼう人に非ず猿にも非ず、手足は人の如くにして、全身に毛を生じたり。西村は天性剛なる男なれば、更に驚くこと無く、なんじは何処に住む者ぞと問ひけれども、敢て答へず。暫くありて立帰る。西村も其後に沿ひて出でけれども、夜甚だ暗くして、其行方を知らずなりぬ。其後又来りて、小屋の内をのぞくことありしに、西村、又来たか、今宵こよいは火は無きぞと言ひければ、其まゝ帰りけると也。里人に其事を語りければ、山父と云ふもの也。人に害を為す者に非ず。之を犯すことあれば、山荒るゝと謂ひけると也。」
スキーで近頃有名になった信越の境の山にも、半分ほど共通の話があって、『北越雑記ほくえつざっき』巻十九に出ている。断って置くがこれら二つの書物は共に写本であって流布も少なく、一方の筆者は他の一方の著述の存在をすらも知らなかったのである。それを自分たちが始めて引き比べて見る処に、学問上の価値が存するのである。「妙高山・焼山・黒姫山くろひめやま皆高嶺にて、信州の飯綱いづな戸隠とがくし、越中の立山まで、万山重なりて其境幽凄ゆうせいなり。高田の藩中数十軒のまきは、皆この山中より伐出す。およ奉行ぶぎょうより木挽こびきそまやからに至るまで、相誓ひて山小屋に居る間、如何いかなる怪事ありても人に語ること無し。一年升山某、役に当りて数日山小屋にりしが、夜は人々打寄りて絶えず炉に火を焚きてあたる。然るに山男と云ふもの、折ふし来ては火にあたり一時ばかりにして去る。其形人に異なること無く、赤髪裸身灰黒色にして、たけは六尺あまり、腰に草木の葉をまとふ。更に物言ふこと無けれども、声を出すに牛のいばふ如く聞ゆ。人の言語はよく聞分くる也。相馴あいなれて知人の如し。一夕升山氏之に向ひて、汝木葉を着るは恥ることを知るなり。火にあたるは寒さをおそるゝなり。然らば何ぞ獣の皮を取りて身に纏はざるやと言ひしに、つく/″\と之を聞きて去れり。翌夜は忽ち羚羊かもしかひきを両の手に下げて来り、升山の前に置く。其意を解し、短刀もて皮をぎて与ふれば、山男はしきりに口を開き打笑ひ、よろこびて帰りぬ。すでにして又来たるを見れば、さきの皮一枚は、藤を以てつなぎ合せて背に負ひ、他の一枚は腰に巻き付けたり。されど生皮なまかわを其のまゝ着たる故、乾くにつれて縮みよりこわばりたり。皆々打笑ひ、熊の皮を取り、十文字にさす竹入れ、小屋の軒に下げて見せ、且つ山刀一梃いっちょうを与へて帰らしむ。其後数日来ずと謂へり」(以上)。これなどは秘密を誓約した人々の抜け荷だから、若干の懸値かけねがあっても吟味をすることが困難である。

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