一月に入って、姉から額の寸法が送られてきた。
店の奥に飾る写真をようやく決めたらしい。僕が描くはずだった展示に添える絵は、まだ仕上がっていなかった。姉は急がなくていいとも、もういらないとも言わなかった。写真だけ先に並べるから、額の内側に合わせた小さな見出しを考えてほしい、と書いてあった。
僕は、いつまでに必要か聞いた。今度の日曜日、と返ってきた。短いと思ったが、短いと伝えたら早く相談しろと返されるだろう。それを想像できたことが嬉しかった。姉へそう書くのはやめて、二案送る、とだけ返した。
姉の足は、まだ冷えると痛むことがあった。写真店には戻っていたが、長く立つ日は途中で椅子を出していた。新しく入った従業員に、姉が座って指示ばかり出す人だと思われたくない、と言っていた。僕が気にしすぎだと返すと、お前に接客の何が分かる、と来た。十月のことがなかったような会話ではなかった。あれ以来、初めて出てきた別の苛立ちだった。
僕が送った見出しは片方だけ使われた。もう片方は字が大きすぎると言われた。以前なら、離れて読むためだから、と説明しただろう。今回は店の壁の写真を送ってもらい、実際に使う幅へ合わせ直した。姉の画面の中には、客が置き忘れた傘と、空いた写真の箱があった。山と関係のないものを見ているうちに、仕事は終わった。
霧生山の絵については、別に話した。姉が求めていたのは、母を待った場所を含む図だった。今もその希望は変わらないという。ただ、弟が描いたから正しい道になると思っていた部分はあった、と言った。僕は現地で確かめた北の道と、記録だけに出る南回りとを、一枚の中で同じ線につながない案を見せた。
「つながないと、地図じゃなくなるね」
「うん」
「それでいいと思う」
実際に何かの出版物へ載せるための話ではなかった。姉と僕が、どこまでを同じ紙に置けるか話していた。絵はまだ机の引出しにある。いつ完成するか、姉には約束していない。
父は運動会の写真を玄関に置いたままにしていた。年末に帰ったとき、額の裏の留め金が一つ曲がっているのを見つけた。直そうかと言うと、父が自分で小さな工具を持ってきた。僕は額を押さえた。父はなかなか真っすぐにならない金具を見て、こういう安いのが一番面倒なんだ、と言った。姉はその額を選んだのは自分だと台所から言い返した。
母は写真の中で、片手に靴を持っていた。僕が知らない方を見ていた。以前は家族の写真を見ても、母がこちらを向いているものばかり探していた。今は、その顔を正面へ直そうとは思わない。父が何か言い、母がそちらを見た一瞬が、僕を置き去りにしたわけではないからだ。
七重さんから、借りた写しを返すのは急がなくていいと連絡があった。原本は七重さんの家にある。路子さんには会っていない。二人の記録の不一致はそのままで、僕らの出来事を足しても解消しなかった。一九六九年の冊子の書き手も、まだ確かめられていない。
父へ話した翌日、僕は父と一緒に、母の捜索について相談してきた窓口へ証言の訂正を伝えた。二十一年後の記憶であることも含めて、最後に見た姿と、僕が作った言葉とを分けて話した。それで何かが見つかったという連絡は、まだない。
そうした不足を残したまま、僕はこの文章をまとめた。母に何が起きたかを決めるためではなく、僕が実際に言ったことと、言わなかったことが、また一つに混ざらないようにするためだった。姉には自分の言葉として載せた箇所を読んでもらった。僕が付け足した説明を、姉は二か所消した。どちらも、姉がどう感じたかを僕が先回りして書いた箇所だった。
七重さんには、家族の外で読まれる可能性も含めて、今回の文章に記録を引用してよいか改めて確かめた。路子さんの記録の抜粋と手紙の三行については、本人が引用を認めた、と七重さんから返事をもらった。話を聞かせてほしいという頼みは、繰り返さなかった。
最後まで姉に見せるのを迷ったのは、橙色の帳面だった。
山で汚れた紙を乾かしたあと、下の端に泥の跡が残った。僕と姉が手を重ねた見開きである。右のページには、石積みの絵とは別に、道が下へ曲がる短い線を描いていた。いつ描いたのか、はっきりしない。白い倒木のところで時刻を書いたページの次だった。道の先に、小さな人の背中があった。人を描いた記憶も薄かったが、鉛筆の線は僕のものだった。
左ページの下端に、指を並べて置いたような泥の跡がある。そこから紙の小口へ、汚れが回っている。僕の右手の跡と、姉がつけたと考えられる跡は、それより上にあった。僕らは何度も持ち直した。湿ったページは重なり、片づけたあとにも人の手に触れた。
それでも、下端の指の跡を自分の指でなぞると、僕は帳面を逆向きに持つことになる。絵の人が立っている側から、紙をこちらへ引くような持ち方だった。

十二月に姉へ見せた。姉は見開きをしばらく眺め、机の上で半回転させた。指を当てることはしなかった。
「私も、何回か持ったよ」
「うん」
「直人も持ち替えたでしょう」
「そうだと思う」
姉は帳面を元の向きへ戻した。そのあと、絵の中の小さな背中を指さした。僕は、母を描いたつもりだったと思う、と答えた。姉は、どうしてそんなに小さく描いたの、と聞いた。遠くにいたから、と言うと、遠かったかな、と独り言のように返した。
僕らの記憶は、その距離でも合わなかった。姉は最後の斜面で、もう少し近くにいたと思っていた。僕が顔を見られないくらいだと感じていたとき、姉には振り返りさえすれば分かる距離だった。どちらの方が正しいのか、帳面の絵から決めることはできない。
「お母さんに、見てほしかった」
姉が言った。
「私たちが帰るところ」
僕は姉の顔を見た。姉は下の泥の跡を見ていた。あの日、僕らが上がるあいだにも、母らしい背中は下り続けていた。最後にこちらへ顔を向けたかどうか、僕は知らない。姉も知らない。見られなかったことを、見たことにして残したくはなかった。
姉は帳面を閉じた。開きっぱなしで乾かしたせいで、表紙が少し反っていた。上へ手を置くと、紙のあいだから細かな土が落ちた。姉が払おうとしたので、そのままでいいと言った。姉は手を引き、僕の机に置いてあった紙箱の蓋を貸してと言った。箱の蓋に土が落ちた。
今、帳面はその箱に入っている。ほかのスケッチ帳とは分けた。机を汚さないように、という説明を姉にはした。
展示の見出しを送った夜、僕は箱を開けた。仕事を終える前に、描きかけの霧生山の絵を一度見ておこうと思った。母の背中を描いたページが自然に開いた。泥で硬くなった端が、ほかのページより少し厚い。
人のいる側を上にして置くと、その人へ向かう道が下っている。帳面を回し、僕らが帰った側から見ても、下っているように見える。平らな紙に描いた線だ。そう見える絵は、僕も仕事で何度か描いていた。今度はどこを直せばいいのか、わからなかった。
小さな背中の先に、道を描ける余白があった。そこへ樺平を置けば、僕の図はようやくつながる。
僕は鉛筆を机へ戻した。紙の中の人は、その先へ歩いていた。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]
本作はフィクションです。登場する人物・団体・地名・資料・捜索記録は創作であり、実在の登山道案内や安全指針ではありません。挿絵は架空の場面を描いた生成画像で、実際の記録写真ではありません。