十センチで折れている物差しが、机から落ちなかった。
父の道具箱を片付けていたとき、短い木の物差しが出てきた。ゼロから十までの目盛りが残っていて、その先は斜めに折れている。裏に、私が子供の頃に書いた名前があった。
捨てる前に、机へ置いた。書類を入れる引き出しの幅を測ろうとして、短すぎると気付いたところだった。折れた方を机に乗せ、ゼロの方を外へ出していた。机の上に残っていたのは、二センチくらいだ。
手を離しても、落ちなかった。
木だから軽いにしても、八センチが空中に出ている。指で端を押してみた。少し下がったが、離すと水平に戻った。机に接着剤でも付いているのかと思って持ち上げると、簡単に取れた。
置き直す。やはり落ちない。さらに滑らせ、机に一センチだけ残した。それでも同じだった。折れた先に、まだ長い部分が続いていて、その重さで支えているように見えた。
昔、私が折った物差しだった。工作で薄い板を押さえるのに使って、端を踏んだ。父には、折ったことだけ話した。折れた残りは見つからなかったが、父は捨てずに道具箱へしまっていた。
私は机の上を片付けて、折れ目から先を指でなぞった。何も触れない。机の木目と、ところどころにある傷だけだった。
それで、短い物差しを机の縁から全部出してみた。
最後の一センチが外へ出た瞬間、木片は床へ落ちた。普通の音がした。私は少しほっとした。拾ってから、何を試していたのか、自分でもおかしくなった。
その夜、机の端に小さなへこみが出来ているのに気付いた。物差しを置いていた場所から、二十センチほど奥だった。横に長い跡で、端の二か所だけ深くへこんでいる。
上には、何も置いていなかった。
翌朝、物差しは道具箱の中で、斜めになっていた。ほかの道具に乗っているわけではない。短い木片のゼロの端が箱の底に付き、折れた端は数センチ浮いている。
その先には箱の側面があった。折れ目から側面まで、二十センチくらい空いていた。側面には、細い横線が付いていた。
私は物差しを取った。線の位置を確かめようと、折れた端を道具箱の側面へ向けた。木片が側面に届くより先に、手の中で止まった。
押すと、箱そのものが動いた。
折れ目と側面の間は空いている。そこには何も見えない。私は木片を離し、箱から手を抜いた。支えを失った物差しが、底に落ちた。
父はもう亡くなっていたので、聞く相手はいなかった。姉に写真を送った。こんな物を残していたのか、と返事が来た。姉も、私が折ったことは覚えていた。
「あのとき、残りって見つかった?」
そう尋ねると、電話がかかってきた。
「見つからなかったでしょ。だからお父さん、机の下をずっと探してた」
覚えていなかった。姉は、その晩遅く、父が私の部屋で寝ていたことも話した。私は叱られて、先に寝たのだと思っていた。父は布団には入らず、机のそばの畳に寝ていたという。
「机の下、何回も手で触ってた」
父が何を探していたのかは、それ以上分からなかった。
私は物差しを紙で包んだ。包みを大きくするのは変な気がしたので、木片の長さに合わせた。折れた端も隠れるように包んで、机の真ん中へ置いた。
数分後、紙が破れる音がした。
折れた側の包み紙に、一本の細い穴が開いていた。木の先が出ているのではない。穴から先には何もない。ただ、紙の縁が小さく浮いていた。
紙を全部外すと、穴は物差しの折れ目の真正面だった。
物差しをつかんだまま、折れ目を壁へ向けた。二十センチほど手前で止まった。今度は押さず、そのまま上下に動かした。
壁紙に、縦の傷が付いた。
同じ動きをした位置に、細い傷が伸びていく。物差しを引いても、傷は消えなかった。折れたはずの残りが、そこにある。そう考えるほかなかった。
それでも、手で触ると何もない。木片を机へ置いたあと、その先に手を出しても、空気にしか触れなかった。物差しを握っているときだけ、向こうに何かが続いていた。
私はその夜、物差しを道具箱へ戻さず、居間の床に置いた。周囲に物がないところを選んだ。触らなければ、何も起きないと思った。
寝室へ行く前に振り返ると、木片が立っていた。
ゼロの端が天井へ向き、折れた端が床から浮いている。見えない残りが、床に立っている格好だった。私は近づかず、しばらく見ていた。
木片が、私の方へ倒れた。
途中で止まった。折れた端は床の方を向いたまま、ゼロの端だけがゆっくり動いた。物差しの長さを変えず、向こうの端を中心に回っている。
その動きに、見覚えがあった。細い棒を渡すとき、受け取る側が端をつかんで傾ける。手前をまだ離していなければ、棒は同じように動く。
私は居間の入口で、両手を開いていた。
木片は床へ落ちた。それから何も動かなかった。私は玄関にあった靴べらで押して、物差しを道具箱へ戻した。蓋を閉めると、内側で木がこすれた。
箱の側面に、細い縦線が一本、付いた。折れた先を当てると止まった、あの場所だった。
少し間を置いて、その右にも同じ線が付いた。
二本目は、一本目より少し長かった。
目盛りだった。
[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]