私の住む集落の近くに、「拾いの滝」と呼ばれる滝がある。
子供のころから、そこに行けば子供が拾えるのだと聞かされてきた。拾うと言っても、迷子を見つけるとか、捨て子を保護するといった話ではない。滝壺で何かを拾うと、家に子供が来る。そういう言い方だった。
私はその集落で生まれた。生まれたばかりのころ、同じ時期に近所の家にも子供が生まれた。長く子供に恵まれなかった夫婦の、待望の第一子だったと聞いている。男の子だった。
私と同じ年に生まれた子供は、その子だけだった。
成長の具合も似ていた。保育園に上がるころには、二人ともひどくおとなしく、活発に走り回ることもなく、よく一緒に校庭の端に並んで座っていたらしい。なにをしていたのかと聞かれても、私はほとんど覚えていない。ただ、座っていた、という感覚だけが残っている。
当時のことを思い出そうとすると、景色が薄くなる。色も音も抜け落ちて、遠くから見ているような感じになる。写真を水に沈めたような記憶だ。
その日も、私たちは校庭の端にいた。
先生たちは、私たちにあまり注意を払わなくなっていた。どこかへ行くわけでもなく、問題を起こすこともない。園には、もっと目を離せない子供がたくさんいた。
気づいたとき、校庭には私しかいなかった。
さっきまで隣にいたはずの男の子が、いなくなっていた。立ち上がって探した記憶はない。呼んだ覚えもない。ただ、いない、という事実だけがあった。
園は騒ぎになった。先生たちが集まり、私のところに来て、さっき一緒にいた子がどこへ行ったのかと尋ねた。
「たきにかえった」
私はそう言ったらしい。
らしい、というのは、覚えていないからだ。自分がそう答えたことは、大人になってから聞かされた。
翌日、その男の子は「拾いの滝」で見つかった。
助からなかった。
事故なのか、事件なのか。警察が長く調べていたが、結論は出なかった。滝の上流は、当時まだ整備されておらず、足を滑らせる事故が多い場所だったという記録も残っている。だから事故だろう、という曖昧な扱いで終わった。
男の子の葬儀のあと、両親が親類に語った話がある。
「あれは、滝で拾ったのだ」
親類は当然否定した。間違いなく、母親の腹から生まれてきた子供だ。拾ったなどという話ではない。
すると両親は、泣きながらこう言ったという。
「拾いの滝の滝壺で、石をひとつ拾う。それを一晩抱いて寝ると、子供がお腹に宿る。そう聞いて、やったんだ」
私はその話を、ずっと昔話だと思っていた。
「拾いの滝」には、そういう言い伝えがある。だが、それには続きがある。
滝で拾った子供は、神様の子供だ。七つになるまでに、神様が取り戻しに来る。七つになるまでは、光の差さない部屋に隠しておかなければならない。
男の子の両親は、この続きの話を知らなかったのだと、大人たちは言った。
私は七歳を過ぎた。
そのころの記憶も、やはり薄い。誕生日のことを聞かれても、はっきりした出来事を思い出せない。ケーキを食べた気がする年もあるし、何もなかった気もする。写真は残っているが、その場に自分がいたという感覚がない。
七歳の年、私は何度か高熱を出して寝込んだ。母は、夜中に私がうなされながら、同じ言葉を繰り返していたと言う。
「まだ」
「まだだめ」
なにがまだなのかは、わからない。
拾いの滝については、ほかにも話がある。昔は、上流から水死体が流れ着くことが多かったという。今でこそ整備されているが、それ以前は事故の多い場所で、身元のわからない遺体が見つかることも珍しくなかったそうだ。
だから、こんな話も囁かれている。
拾いの滝で拾えるのは、子供ではない。死んだ誰かの魂だ、と。
私は今でも、ときどき夢を見る。
水音の中で、石を拾う夢だ。手のひらに乗るほどの、丸い石だ。それを胸に抱えると、ひどく安心する。かわりに、どこかから視線を感じる。
夢の中で、いつも同じ場所に立っている子供がいる。私と同じ年頃の男の子だ。顔はよく見えない。声も聞こえない。ただ、こちらを見ている。
目が覚めると、胸の奥が冷えている。
私は、自分が拾われた側なのか、拾われなかった側なのか、わからない。
ただ、あのとき、校庭に残っていたのが私だった、という事実だけがある。
そして今も、「拾いの滝」はそこにある。
[出典:怖い話&不思議な話の投稿掲示板/投稿者「ほしな ◆YZpuwgGc」 2019/03/25]