第37話:帰ってこい
世の中には不思議な話が絶えませんが、私もそんな不思議な体験をしたうちの一人でございます。
今から貴方にお話するこの出来事は、私の母がなくなる直前に起こりました。
私、生まれ故郷は福島ですが、現在は宮崎に住んでおります。
それというのも、父の転勤の関係で、小学校から中学校の後半まで、ここに住んでいたという理由がございます。
宮崎はとても懐かしい匂いがして、それでまた舞い戻ってきたというわけでございます。
住みやすい町を選んだのはよかったと思います。
しかしすべてがうまくいっていた、というわけではございませんでした。
個人的な話になって恐縮ですが、女房との離婚もありました。
それに私の仕事がとてもキツイということもあります。
しかし、故郷の母にはいつも私は平気だと嘘をついていたのでございます。
今となっては、母には嘘をつかなかったらよかったと思います……
私は六畳一間の、古いアパートにすんでおります。
そんな狭い部屋でも、仕事の疲れをいやすために私が毎日帰宅する、安らぎの場所であります。
あの出来事が起こった日も、私はクタクタになってアパートに戻ってきました。
鉄製の階段をいつものように、音をたてて登ります。
そして重い足取りでお隣さんの部屋を過ぎ、木製の鍵を開けます。
女房がいたときは、夕飯とうまいビールが私を待っていたのですが、今となっては暗い部屋だけが寂しく私を迎えます。
部屋の照明をつけ、ネクタイをゆるめながら部屋に入ります。
「やれやれ、どっこいしょっと」
私は通勤カバンをテーブルの脇におき、畳の上にごろんと寝転がりました。
「あーあ。今日も一日、忙しく終わったなぁ。明日もすぐに来るんだろうなぁ」
泣き言ばかり言っているようで、とても情けないのですが、やはり女房がいなくなってからというもの、なんだか毎日が楽しくないのでございます。
しかし、故郷の母親に心配もかけれません。それゆえ自分に嘘をつき、母に嘘をついて、毎日を過ごしておったのでございます。
いつものように、コンビニで買った弁当を食べ、缶ビールを一本。タバコをゆっくりと吸い込んで、喫煙を楽しんでおりました。
ジリリリン!ジリリリン!
電話が慌てふためいたように、小さい部屋に鳴り響きました。
一人暮らしになってからというもの、このように電話がかかってくる事は少なくなりました。
ですから少々驚いて、タバコを灰皿で消しました。
まるで誰かの電話を待ち望んでいたようにするのは、少々こっけいではございますが、誰からだろうと心に尋ねながら受話器をとりました。
「はい……もしもし?」
返事をすると、電話の向こうは大学時代の親友のKでした。
「よお、久しぶりだなぁ!」
親友というのは良いものです。
何十年たっても若い頃の事を話しだしますと、すぐに昔に戻ったような気分にさせてくれます。
それから1時間くらいは、ずっとしゃべっていたと思います。
友人が故郷からはるばる遠距離で電話をかけてくれているのを忘れるくらいですから。
そしたら、急に私の電話に雑音が入りだしたのです。
ジジジジ……ジジジジと音がして、ちぎれた電話線をつなげたり、またはずしたりしているように、音が途切れます。
おかしいと思いました。
私の電話は流行の携帯ではありませんでしたし、友達のもコードレスではないと言っております。
「なんだろうなぁ。あ、そうか、遠距離だからか」
そう私がいったとき、急に電話の向こうの友達が、反応しなくなったのです。
「もしもし?もしもーし??」
電話の向こうからは何の反応もありません。
そして、切れたのだろうと勝手に解釈して受話器を置こうと思ったときです。
「ううううーん……うううーむ……」
と電話の向こうから、苦しそうな声が聞こえます。
それは友人の声ではありませんでした。どこかで聞いたような声です。
そしてその声がふと途切れた後、
「淳やぁ……はよう……、はようかえってこい……はよう……」
と電話の向こうで母の声がしました。
その声はとても苦しそうで、なんだかとても悲しくなる声でした。
何がどうなったか、私にはわからなかったんですが、必死に叫んだのでございます。
「かーちゃん、どうした!?」
でも返事はなく、またあの雑音と共に親友の声が返ってきました。
どうしたんだ?と友人が電話の向こうから聞きます。
私は慌てた声で、
「すまない、ちょっと急用が。悪いが、また電話する」
と、理由をつけて友人にさよならを言ったのでございます。
電話の受話器を置きました。
それと同時に、ポタリと額から汗が一滴落ちました。
冷や汗というものでしょう。
真夏のこの時期ですが、汗が冷たく感じました。
その時、言葉では言い表せないような、とても嫌な予感がしたのです。
母が電話に割り込んできた事を不気味に思う暇もなく私の心は不安一色でした。
ふとセミの声が耳にはいってきました。
不気味さが私の背中を襲い、背筋がゾッとしました。
そして私は、かみしめるように、一つ、二つ、実家の電話番号をダイアルしていました。
電話先には私の父が出ました。そして、嫌な予感は的中したのです。
父は悲しそうな声で言いました。
「淳、たった今、かあちゃんが息を引き取った。お前の名前を何度も呼んどったぞ。淳、はよう帰ってこい、とな。不思議なこともあるもんじゃて、めったに電話してこんお前が、電話してきた直前に、亡くなるとはのう……」
私は声が出ませんでした。
そして自分がいままでしてきた親不孝な事を、電話の向こうの父の声を聞きながら回想しておりました。
そうです、私はあの時、確かに電話の向こうから母の声を聞きました。
もう一度確かめる意味で父に聞きましたが、その時、母は電話なんてできる状態ではなかったそうなのでございます。
私は母に嘘をたくさんついてきました。
妻との離婚も隠しておりました。
仕事も楽で、いいマンションに住んでいるとミエをはっておりました。
しかし、そんな嘘つきの私も今日まででございます。
母は電話で私に自分の死を伝えてくれました。
そして私に新しい人生を歩むことを伝えてくれたのだと思います。
私は明日、生まれ故郷の福島に帰り、家業をつぐことにいたしました。
もう、母に嘘はつけません。
[出典:大幽霊屋敷~浜村淳の実話怪談~]