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黒い封筒 r+4,754

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一昨年の冬、婆ちゃんが死んだ。

静かな死だった。あっけないとも言える。高齢だったし、震災の後、急に弱っていったから、仕方がないとは思った。
それでも、あの人のいない仏間の冷たさには、何か底知れぬものがあった。

葬式の夜、雪が降った。地元の町は積もるほどの雪にはならなかったが、婆ちゃんが着ていた灰色のちゃんちゃんこが、降り積もる雪のように思えてならなかった。
それでも爺ちゃんは元気だった。
九十を超えても足取りはしっかりしていて、むしろ俺たちのほうが心配されるくらいだった。

爺ちゃんは俺にとって特別な存在だった。
幼い頃、漢字の読み方を教えてくれた。英語の発音も爺ちゃんから覚えた。
相撲の決まり手、戦時中の飢え、マラリア、疎開先での出来事……。どの話にも誇張がなく、湿った匂いがした。

中学に上がったあたりから、俺のほうから手紙を送るようになった。季節の挨拶や試験の結果、テレビで見たニュースについて書いた。
高校生になると俳句に凝り始めて、俳句雑誌を買っては爺ちゃんとやりとりした。
盆暮れや正月には必ず手紙が来て、達筆で、どこか筆跡に余白があるような、そんな文字だった。

婆ちゃんの葬式のあと、父に言われて、手紙のやりとりを再開した。
「寂しいだろうから」と父は言ったが、それ以上のことは言わなかった。
最初は当たり障りのない内容を書いた。大学の授業のこと、姉に子どもが生まれたこと。
だんだんと、爺ちゃんの字が読めなくなってきた。筆跡が崩れて、紙に染みのように広がっていた。

電話をかけても、ほとんど耳が聞こえないのか、受話器の向こうで「ああ、ああ」と繰り返すだけ。
最後には、同居している叔母が出て、話を代弁してくれるようになった。

父はあるとき、「そろそろだな」と言った。
「悔いが残らないようにしておけ」と。

婆ちゃんの一周忌で帰省したとき、久しぶりに爺ちゃんと会った。
車椅子に座っていた。
片方の目がうっすらと濁っていた。あれほど達者だった人が、俺の名前を思い出すのに数秒かかっていた。

法事のあとの夜、親戚が集まる座敷が賑やかになった頃、俺は買い出しに行くよう頼まれた。
寒かった。凍てつくような風が吹いていた。車のキーを探して玄関を出ると、背後から声がした。

「おい、俺も連れてけ」

振り返ると、爺ちゃんが立っていた。車椅子に座っていたはずの人が、杖もつかずに立っていた。

不思議と疑問に思わなかった。
二人で車に乗って、スーパーまで行った。
店の中で爺ちゃんが手に取ったのは、小さなガラス瓶に入った日本酒だった。
「これ、婆さんに飲ませてやりたくてな」
と笑った。

帰り道。雪がちらついていた。
俺の吐く息は真っ白だった。けれど、隣を歩く爺ちゃんの口からは、何も出ていなかった。

「最近……黒い封筒で、手紙を出したか?」

突然の問いに、俺は首を振った。
黒い封筒なんて、見たこともない。
「出してないよ」と答えると、爺ちゃんは「そうかぁ……」と、どこか納得したようにうなずいた。

家の前に着くと、爺ちゃんがぽつりと言った。
「俺はな……来年の今頃には、逝くからな」

なぜかその瞬間、「逝く」という字が、頭の中にくっきり浮かんだ。
死ぬ、ではなく、逝く。そういう言葉だった。
妙に冷静になって、俺は訊いた。

「じゃあ、何か欲しいもんある?」

爺ちゃんは笑って、手に持っていた酒瓶を差し出した。
「これ、渡しといてくれ。婆さんのところにな」

家に戻り、親戚に買い出しの品を渡してから、爺ちゃんに酒を手渡した。
掘り炬燵に座っていた。表情は穏やかだった。
爺ちゃんはお猪口に酒を注ぎ、一杯だけ飲んだあと、それを婆ちゃんの仏壇に置いた。

その仕草は、静かで美しかった。

俺は思い出して、あの「黒い封筒」についてもう一度訊いた。
しかし、爺ちゃんは言葉にならない何かを呟き、いくつかの単語が断片のように漏れただけだった。

「……向こうから……届く……あれは……先に……」

意味はわからなかった。
誰から? 何が? なぜ黒い封筒なのか。
聞いてはいけないような気もした。

次の日の朝、車椅子に座った爺ちゃんを見て、背筋が凍った。
昨日、確かに一緒に歩いていた。車までの道、スーパーの中、帰り道。すべて杖もなしで歩いていた。
しかし今、爺ちゃんは一歩も歩けないような顔をしていた。

叔母に尋ねた。

「昨日、爺ちゃんと出かけたけど、誰か付き添ってた?」

叔母は「え? 出かけてないよ」と言った。
「買い出しに行ったの、あんた一人でしょ?」

頭が真っ白になった。
あの夜、あの道、あの声。
何を話したのか。あれは誰だったのか。

そのあと、爺ちゃんは本当に、翌年の一周忌の少し前に亡くなった。
静かな、まるで眠るような死だったという。

葬式のあと、遺品整理の最中、古い箪笥の奥から、一通の手紙が見つかった。
黒い封筒に入っていた。
差出人の欄は空白だった。
封は開いておらず、中身も読んでいない。
父は仏壇にそれを供えたまま、何も言わなかった。

俺はそれを、今も開けられずにいる。
きっと、読むべきじゃない。
けれど、次に夢に出てきたときには、封を開けてしまうかもしれない。

そう思って、机の引き出しにしまってある。

──爺ちゃんが、最後に俺に遺したものだから。

(了)

[出典:773: 2013/02/04(月) 07:23:30.15 ID:TSNEfTd/0]

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