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短編 奇妙な話・不思議な話・怪異譚 n+2025

削除完了 n+

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私は自分のことを、自分で説明できない。

記憶というものが、まるで粗末な布切れのように、少し引っ張ると縫い目が裂けて、中身がぽろぽろ零れていく。

小学校のことなど、ほとんど何も覚えていない。
友達がいたはずだ。運動会もあった。百人一首や古典を暗記させられた記憶の断片はあるのに、誰と遊んでいたのか、誰に笑われ、誰を嫌っていたのか、一切、思い出せない。
まるで、私がそこに存在していたという確かな証拠を、何者かが少しずつ消しゴムで削り取っているかのようだ。

中学の頃も同じだ。いや、さらにひどい。
教室の匂い、黒板の粉、制服の重さ、そういった周辺の「雰囲気」はぼんやりあるのに、顔が浮かぶ人間がひとりもいない。
私の青春は、抜け殻のアルバムのように、写真の人物だけがごっそり切り取られている。

高校に入ってからは、アルバイトを始め、自由に使える金が増えた。映画に夢中になり、ビデオを週に五本も借りていた。観終わった夜には胸が熱くなるほど感動し、涙でまぶたが腫れるほど泣いた作品もあったはずだ。
なのに翌朝になると、タイトルすら曖昧になる。ストーリーを語ろうとすると、あやふやな言葉しか出てこない。まるで観客席に座ったことだけは覚えているのに、舞台の幕が上がった瞬間から映像が真っ黒に塗りつぶされているかのようだ。

ある時、友人からこう聞かれた。
「昨日観た映画、どうだった?」
私は口ごもり、かろうじて俳優の名前や舞台となった町の名前を出した。だが肝心の内容が出てこない。友人は眉をひそめて、冗談めかして言った。
「お前、若年性のボケじゃないの?」
笑い声に混じって、私だけが冷たい汗をかいていた。

もっと恐ろしいのは、意識して記憶しようと努めた時だ。
例えば、友人とケンカをして、その場で反省の言葉を繰り返し、和解に至ったとする。
「二度と同じことを繰り返さない」
「自分の短所を直す」
そう誓った翌日、私はふと気づくのだ。――何を反省したのか、思い出せない。

ただ空虚な約束だけが残り、中身はごっそりと抜け落ちている。
そのせいで同じ過ちを繰り返し、友人から信用を失い、縁を切られたこともある。
「また同じことを言ってる」
「この前も聞いた」
そう指摘されるたび、喉が凍りつくような恐怖を味わった。

私は電話で友人と語り合う時、自分が何を言ったか忘れないよう、紙に書きながら話すことがあった。
笑いながら話す口の横で、手は必死に鉛筆を走らせ、言葉のかけらをメモに残す。
それを見返して、ようやく「ああ、私はこういう話をしたのか」と思い出す。
私自身が、私に教えている。滑稽で、惨めで、恐ろしい。

最初は単なる「物覚えの悪さ」だと思っていた。
しかし、これはもう単なる健忘とは違う。
ある部分に集中して記憶しようとすれば、その部分は鮮明になるのに、他の全てが消える。
昨日の映画の台詞を暗記しようとした翌日、映画館に誰と行ったか思い出せない。
友人の顔が、声が、手を振った仕草すら霧に隠れてしまう。

その空白は、静かに増えていく。
一度なくなったものは、二度と戻らない。
削り取られたページは、永遠に白紙のままなのだ。

……先日、夢を見た。
教室に座っている。前には黒板。窓の外は真夏の光。
ところが、周りに誰もいない。机も椅子も一列だけ。
私は確かに誰かの名前を呼んでいた。
その瞬間、黒板に大きな文字が浮かび上がった。

「削除完了」

その言葉を読んだ瞬間、目が覚めた。汗でシーツがびっしょり濡れていた。
何の削除だ? 誰が? なぜ?

私は本当に人間なのだろうか。
もし、私の記憶が、外部の何者かに「消去」されているのだとしたら。
残されているこの自覚さえも、いずれは消えるのではないか。

最近では、鏡を覗き込むのが怖い。
映っているその顔に、見覚えがないのだ。
どうして、この顔が「私」なのか。
そう考えた瞬間、背筋を凍らせる声が耳元で囁いた。

――「次は顔を消そう」

私は今、震えながらこれを書いている。
明日の朝には、これを書いたことすら忘れているかもしれない。
もしあなたがこの文章を読んでいるなら、どうか私がここに存在した証として、覚えていてほしい。

私は確かに生きていた、と。
だが、消えるのも時間の問題だ。

[出典:689 :あなたのうしろに名無しさんが……:02/07/07 23:42]

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