七年ほど前の話だ。高校に入学したばかりの夏に聞いた話がある。
俺の父親は三男坊の次男で、家を継ぐこともなかったため都会に出てきた。しかし、父の実家――つまり本家――はそれなりに由緒ある家らしい。祖父も三男坊で、本家には一生のうち数度行ったかどうかという程度だったが、俺は家系図マニアだった。中学生の頃から皇室や貴族の家系図に興味を持ち、そこから派生して、あらゆる「家の血筋」を知りたがるようになっていた。
親父の家の血筋がそんなに歴史あるものなら、自分のルーツを一度は詳しく知りたいと思うのは当然だ。中学最後の正月、父の実家に里帰りしたときも、墓を見たのだが、その墓には高々祖父――つまりひぃひぃひぃじいさん――より上の名前は書かれていなかった。十数年前に墓地が移設された際、古い名前が消えてしまったのだという。親父からは、「曾祖父は四十代を前にして亡くなり、その翌年、曾祖父の叔父(つまり祖父の大叔父)が亡くなって、子供がいなかったため祖父がその家を継いだ」といった話を聞いたが、それ以上のことはわからなかった。
受験を終えた翌年の夏、盆の時期に父の実家に帰ることになった。今回は本家で家系の謎を明かしてやると意気込んでいた。タイミングよく、本家の長男の長男――俺から見ればハトコで、本家の次々代の跡取り――に息子が生まれたことで、親戚一同が本家に集まることになった。生きているひいばあちゃんにとっては玄孫に当たり、百歳近い彼女にとってもめでたい出来事だった。
八月十二日に実家へ帰り、十四日に宴会が予定されていた。十三日は墓参りを済ませた後、祖父に家系の話を詳しく聞くことになった。祖父は気さくに応じてくれたが、その話の中には奇妙なエピソードが含まれていた。
曾祖父が亡くなった年、その前後には近所の住人や親戚が相次いで亡くなっていたという。戦争前夜のことで、戦争被害ではなく主に病死だったらしい。また、曾祖父の弟に当たる人もその一人で、祖父は当時わずか十三歳ながら、ほとんど知らない大叔父の家を継ぐことを命じられた。
さらに祖父はこんな話をした。祖父が家を出る数週間前、本家に五、六歳の少女二人が養女として迎えられたという。名前は「千代」と「万里」。それぞれ「ちーちゃん」「まーちゃん」と呼ばれていた。家には既に十二人もの子供がおり、さらに養女を迎える余裕があるとは思えなかった。疑問に思った祖父が高祖父に尋ねると、二人の元々の名前を高祖父が改名し、特別な理由で迎えたとだけ説明されたという。
ちーちゃんは迎えられて五年ほどで亡くなり、まーちゃんも間もなくして亡くなった。だが、その死因や扱いには奇妙な点が多かった。本家では二人の墓を他の墓地とは別の場所に置き、勝手に墓参りすることを禁じていた。理由を尋ねても、「本家の許可を得た者しか参れない」としか説明されなかった。
翌日、本家に行くと百歳の曾祖母に質問する機会を得た。家系図や先祖の話、そしてちーちゃんとまーちゃんのことも尋ねた。だが、曾祖母は話をはぐらかし、代わりに次男さんや他の親戚が教えてくれた内容は驚くべきものだった。
二人は不幸を肩代わりするために迎えられた「犠牲」の存在だった。当主や家の不幸を引き受けるための依り代として扱われ、不幸を吸い尽くしていずれ亡くなる運命にあったのだという。さらに驚いたのは、当主が亡くなる直前、不幸避けの少女たちはひっそりと当主の手で命を絶たれていたということだ。
少女たちの代替として、現在は雛人形が使われているという。部屋に飾られた簡素な雛人形は、かつて少女たちが過ごしていた部屋に置かれていた。その場所には奇妙な空気が漂っていたが、それが少女たちの残した何かだったのかもしれない。
これらの話を聞き、家の「伝統」にぞっとしつつも、また実際の人が犠牲になることがないようにと願った。その願いが、今も続いていることを信じたい。
[出典:157 :本当にあった怖い名無し:2012/11/14(水) 12:14:48.41 ID:pKaiE3qJ0]