二つの神社があった。
登山道というより、谷底をなぞるように続く古い作業道の途中だった。両脇を切り立った斜面に挟まれ、空は細長く裂けた帯のようにしか見えない。人の気配はなく、鳥の声も谷に吸われて反響するだけで、どこか現実感が薄い場所だった。
その道の途中、左右の斜面に、ほぼ同じ高さで鳥居が立っているのが見えた。右にも左にも石段が伸び、どちらの上にも小さな祠がある。向かい合っているという表現が正確だった。偶然とは思えない配置だった。
時間には余裕があった。深く考えず、右側の石段を登ることにした。登り始めてすぐ後悔した。段の高さが一定でなく、斜面に無理やり積み上げたような急勾配だった。途中で何度も息が切れ、引き返そうかと思ったが、鳥居をくぐった手前でやめるのも気持ちが悪く、黙って足を動かし続けた。
ようやく辿り着いた上には、想像以上に小さなお堂があった。屋根は苔に覆われ、壁の木材は黒ずんでいる。だが異様だったのは、その前に下がっているものの量だった。
無数の木簡。
絵馬と呼ぶには簡素で、細長い板切れに近い。風に揺れ、かすかに乾いた音を立てていた。近づいて目を凝らすと、文字が見えた。願い事だとすぐ分かったが、内容に違和感があった。
誰かを深く恨む言葉。
相手の破滅や不幸を、具体的に書き連ねたもの。
名前が書かれているものもあれば、関係性だけが記されたものもある。
さらに気味が悪かったのは、木簡に結び付けられている物だった。腕時計、ペン、鍵、ライター。どれも日常的に使われていたであろう私物だ。未使用の木簡が、黒い木箱に整然と収められているのも見えた。
胸の奥がざらつくような感覚を覚え、長居は無用だと思い、石段を降りた。
谷底に戻ると、今度は正面に、もう一方の石段がそびえていた。先ほど登った神社と向かい合う位置だ。嫌な予感はあったが、ここまで来て見ないまま帰るのも落ち着かない。背中に先ほどの祠の気配を感じながら、反対側の石段を登った。
こちらの祠も大きさはほぼ同じだった。だが、下がっている木簡の雰囲気がまるで違う。書かれているのは、幸福や成功を願う言葉だった。他人の健康、家族の平穏、仕事の成就。中には、記入者自身に向けた励ましのような文章もあった。
だが、ここにも私物が結び付けられている。種類も数も、先ほどの神社と変わらない。
幸福を願う言葉に囲まれているはずなのに、心は少しも温まらなかった。むしろ、冷たいものが背中をなぞる感覚があった。
石段を降り始めたとき、下から人の気配がした。竹箒を持った老人が、ゆっくりと登ってきた。すれ違いざまに軽く会釈をしたが、老人は立ち止まり、俺の顔をじっと見た。
「奉納に来た顔じゃないな」
そう言って、石段に腰を下ろした。道を塞ぐ形になり、俺も立ち去れず、仕方なく近くに座った。
老人は、この二つの神社について語った。
木簡を奉納する者は、必ず両方で行わなければならない。
怨みだけでも駄目。
幸福だけでも駄目。
「決まりを破るとどうなるんですか」
そう聞くと、老人は淡々と答えた。
「死なん。むしろ逆だ。寿命が伸びる。ひたすら、苦しんで生きる」
冗談めかした調子ではなかった。
「幸福を願うだけでも、ですか」
「そうだ」
ふと、先ほど見た光景を思い出した。怨みの木簡の方が、圧倒的に多かった理由が、少しだけ分かった気がした。
「もう一つ決まりがある」
老人は続けた。
「自分の不幸や幸福を願ってはいけない」
理由は語られなかった。
やがて老人は立ち上がり、箒で石段を掃き始めた。俺は礼を言い、谷底の道へ戻った。
歩きながら、違和感が膨らんでいった。
両方で奉納しなければならないという決まり。
だが、俺は何も奉納していない。
ふと振り返ると、二つの鳥居が、変わらず向かい合って立っていた。だが、その距離が、来たときよりわずかに近く見えた気がした。
それ以来、妙なことが起きるようになった。
人の不幸を目にすると、胸の奥が軽くなる瞬間がある。
誰かの成功談を聞くと、理由の分からない苛立ちが湧く。
どちらの感情も、すぐに後悔へと変わる。
だが、その揺れそのものが、どこかで見られている気がしてならない。
あの山は、首都圏にある。
名前も案内板もない。
だが、誰かが怨みと幸福のどちらかを強く願ったとき、谷底の道は、静かにそこへ続く。
[出典:25 :全裸隊 ◆CH99uyNUDE :2005/04/16(土) 12:59:19 ID:uf+bNRRW0]