私は猫が大好きで、小さい頃から猫を飼いたいとせがんだ。
しかし、祖父母や父は頑として許さなかった。彼らによれば、この地域では猫を飼うと猫が絶対に良くない死に方をするという。交通事故や他の動物に殺されるなど、数々の不幸が起こるらしい。驚くべきことに、他のペットは大丈夫なのに、猫だけがそうなるというのだ。
祖母が幼い頃に家で飼っていた猫は、ネズミを捕るために飼われていた。しかし、ある日、近所の野良犬に襲われ、首を噛まれ、顎が外れた状態で血まみれになって帰ってきた。祖母は3日間つきっきりで看病し、水を飲ませたりしたが、結局その猫は死んでしまったという。
他にも、近所の野良猫が我が家の庭を通っていたとき、井戸の縁を歩いていてふいによろめき、井戸に落ちて死んでしまったという話がある。私が生まれた頃には既にその井戸には蓋がされていたので、中を見ることはできなかったが、そんな不吉な出来事があったために家族は猫を飼うのを忌避していた。
我が家は国道沿いにあり、野良猫や犬が頻繁に家の前で轢かれて死んでいた。祖母はその度に悲しい思いをし、家では犬猫を飼わないルールができた。だが、ただの事故だけではなく、祖母の話には呪いが絡んでいるという。
祖母が言うには、昔この地域には瓦を焼く職人がいて、その職人が猫を飼っていた。暖かい釜のそばに猫がよく寄ってきたのだが、ある日、猫が足を滑らせて釜に落ち、焼け死んでしまったという。それ以来、猫が次々と早死にや不幸な死に方をしたため、職人たちは祠を建てて供養した。しかし、祠を建てた後も不幸は収まらず、祖母の体験を通じてその呪いの存在は確かだと思わざるを得なかった。
実際に近所には猫を祀った祠があるらしいが、祖母はその場所を年のせいで忘れてしまったという。ただ、山に祠があることだけは覚えていた。私はその祠の場所を知りたいとは思わなかったが、何か不気味なものを感じずにはいられなかった。
ちなみに、どうしてもペットを飼いたかった私は、粘り強く家族と交渉してカメを飼うことになった。今年でカメは20歳になる。
この地域の猫の呪いにまつわる話を聞くと、どうしても思い出すのがエジプトの猫信仰だ。古代エジプトでは、猫は神聖な動物とされ、殺すことは重大な罪とされた。バステトという女神が猫の姿をしていることで知られており、エジプト人は猫を崇拝し、守護神として大切にした。猫が死んだ際には家族全員が眉毛を剃り、深い悲しみを表現したという。こうした背景を考えると、私の住む地域の猫の不幸な出来事も、何らかの歴史的な信仰や風習に根ざしているのかもしれない。
また、猫にまつわる呪いの話は他にも多く存在する。例えば、イギリスでは黒猫が幸運の象徴とされる一方で、特定の状況下では不吉とされることもある。こうした伝説や迷信が交錯する中で、私の家族の猫に対する忌避感もまた、単なる迷信ではなく、深い歴史的背景や地域の文化に根ざしているのかもしれない。
その後、私はどうしても祠の場所を知りたくなり、祖母の昔の友人たちに話を聞いて回った。すると、ある老人がその場所を知っていると言った。彼は子供の頃に祖母と一緒に祠を訪れたことがあるという。私はその老人に案内され、ついに祠を見つけることができた。
祠は山奥の静かな場所にひっそりと佇んでいた。古びた石碑には猫の絵が彫られており、その姿はまるで生きているかのように感じられた。私は祠の前で手を合わせ、猫たちの冥福を祈った。
その後、家に戻った私はふと思い立って、祖母が話していた「呪い」の真相を調べてみることにした。地域の古い記録を探るうちに、驚くべき事実が明らかになった。
なんと、この地域ではかつて、秘密結社が存在していたという。その結社は猫を生け贄にして何らかの儀式を行っていたらしい。祠もその儀式の跡地であり、猫を供養するという名目で隠された場所だったのだ。結社の儀式は、猫を火の中に投げ込むことで、火神に捧げ物をするというものだった。
この恐ろしい事実を知った私は、祖母が話していた猫の不幸な死がただの迷信ではなく、過去の忌まわしい儀式の影響だったのではないかと考えた。地域の人々はその事実を知ることなく、ただ猫の呪いとして伝えてきたのだ。
さらに驚くべきことに、その秘密結社は今も密かに活動を続けているという噂がある。私はその事実を知ってしまったことを誰にも話さず、ただ祠に再び足を運んで猫たちの冥福を祈り続けることにした。
この出来事を通じて、私は地域の歴史と深い闇に触れ、猫たちへの供養の大切さを改めて感じた。今後も私は猫を飼うことはないだろうが、その命に対する敬意と祈りを忘れることはないだろう。
この話を誰かに話すべきか、それとも永遠に胸の内に秘めておくべきか、今も悩んでいる。