「呪い返し」というと、まるでホラー映画や怪談話のような響きだが、実際のところ、その概念には古代からの知恵が詰まっている。
特に日本の神話や歴史的な宗教観において、呪いを「返す」という行為は、敵意を無力化する術として知られていた。
「大国主ノ神。またの名は大穴牟遅(オオアナムジ)ノ神とまをし、またの名は葦原色許男(アシハラシコヲ)ノ神とまをし、またの名は八千矛(ハナホコ)ノ神とまをし、またの名は宇都志国玉(ウツシクニタマ)ノ神とまをす。あわせて名五つあり」
大国主命(オオクニヌシノミコト)の逸話を振り返ると、その精神性がよくわかる。彼は「大穴牟遅(オオアナムジ)」という異名を持つが、この「大穴」は黄泉の国、「牟遅」は「持つ」という意味を持つ。この名は、黄泉の力を持つ存在としての威厳を示しているが、一方で他者から付けられたあだ名のような「醜男(シコオ)」という名も持っていた。(葦原色許男のシコは醜の字もあてられる。)
普通なら「醜い男」と呼ばれるのは屈辱的に思えるかもしれない。しかし、大国主命はこの名を堂々と受け入れた。それどころか、「俺は醜男だ」と自ら名乗ることで、他者の侮蔑を力に変えた。これがまさに呪い返しの基本原則だ。他者のネガティブな意図を自らの強さとして吸収するというものだ。
呪い返しの方法論
室町時代の法然や親鸞も、この「呪い返し」の思想を活用した例と言える。彼らが唱えた「南無阿弥陀仏」の教えは、他宗派から批判を受けた。「八万四千の法門があるのに、ただ六字名号で救われるなど、門徒に過ぎないではないか」と。これを聞いて普通なら反発しそうなものだが、彼らは「はい、その通りです」と平然と受け入れた。
「門徒」という言葉を自分たちの誇りとして逆転させた結果、浄土真宗は大いに広まり、現在に至るまで続く巨大な宗派となった。これは相手の批判をそのまま肯定し、自分たちのアイデンティティに取り込むことで呪い返しを成し遂げた成功例だ。
クエーカー教の由来
さらに興味深いのは、アメリカのクエーカー教徒の事例だ。彼らは祈りに熱中するあまり体が震える(クエーク:quake)ことがあった。それを見た他者が「お前たちはクエーカーだ」と嘲ったが、彼らはその言葉を気にするどころか、自らの宗派の名として採用した。このように、相手の攻撃的な言葉を逆に自分の象徴とする姿勢は、強い精神的な余裕と戦略を物語っている。
実践的な呪い返し
現代において呪い返しの方法を活用するには、以下の3つのステップが鍵となる。
- 言葉を受け入れる
他者から侮辱や批判を受けた際、その言葉を一旦受け入れる。「お前は◯◯だ」と言われたら、「そうだよ」と堂々と返すことが大切だ。 - 意味を再構築する
批判の言葉に込められた意味をポジティブに捉え直す。「醜男」と呼ばれたなら、それを「強さの象徴」と解釈し直すように。 - 言葉を誇りに変える
他者から与えられた言葉を、むしろ自らのアイデンティティとして誇る。「俺はその◯◯だ」と名乗ることで、攻撃を無効化する。
神話と現代に共通する力
呪い返しの本質は、自分の心の持ち方にある。日本神話の大国主命も、宗教改革の法然や親鸞も、そしてクエーカー教徒も、共通しているのは精神の柔軟さと強さだ。他者のネガティブな意図に飲み込まれるのではなく、それを逆手に取ることで自分を高めている。
この方法論を知ることで、現代社会でのいじめや誹謗中傷、職場での厳しい言葉なども、自分にとっての糧に変えることができるだろう。それがまさに、古代から受け継がれる「呪い返し」の真髄である。