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短編 家系にまつわる怖い話

秘められた神事【ゆっくり朗読】2800

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私は三十代の女です。一見男性のような名前でよく読み間違えられますが、二十歳になるまでは普通の女性名でした。

171 :2015/07/18(土) 21:55:54.08 ID:hK0bzUA00.net

前の名前は母と姉と共通の文字が入っていました。

二十歳になる少し前に母が突然名前を変えろと云い出し、二十歳の誕生日は今の名前で迎えました。

名前を変更するには、同じ市町村に同姓同名者がいるとか、何年も前から別の名前を使っているといった条件が必要です。

以前の名前はよくありがちな名前でしたので、母が同姓同名者を見つけてきて、それを理由に裁判所に申し立てました。

本来、名前が変わるなんて重大な事なのでしょうが、私自身いつからか自分の名前に違和感があったので、何の抵抗もありませんでした。

その件と関連があるかもしれない過去の出来事を思い出しまして、書かせていただく次第です。

思い出しながらなので無駄な描写が多いかもしれませんが、ご容赦ください。

母は東海地方のとある山間部出身です。

何年も前に亡くなっていますが、父が母の帰郷を極端に嫌がっていたため、母の生前から母方の親戚とはあまり関わりがありません。

母には兄の俊彰と二人の姉、結子と美千子がいました(私の叔父叔母です)

兄俊彰が本家を継ぎましたが、その奥さんが金銭にだらしがなく人間として問題のある人で、母と、結子・美千子は本家と距離を置いていました。

ですので、母の云う『実家に帰る』は山間部の本家ではなく、本家と同じ市内の住宅街にある美千子の家に行く事を意味していました。

美千子の家に行けば結子も母に会いに来るという感じで、私も姉も幼い頃に何度か美千子の家に遊びに連れて行ってもらった事があります。

こういった前提があり、私も母方の本家には行った事がないと思っていました。

今年の五月、仕事で母の実家のある市に出掛ける事があり、仕事も早く済んだので、藤の花を眺めながら山間部をドライブしていました。

するとなぜか急に懐かしい気持ちになり、あてもなくハンドルを切っている内に、昔一度だけ本家に行った事を鮮明に思い出したのです(このドライブでは本家には辿り着けませんでした)

私が小学校低学年、夏休み終盤の頃の事です。

両親は普段から口論の末に父が暴力を振るう事が多く、その日はいつもより激しい口論をして、母が私と姉を連れて飛び出しました。

私は美千子の家に行くのだと思ってましたが、その時は全く知らない家に連れて行かれました。

そこは母方の本家でした。

田舎の大変広い家だったので、昔ながらの公開所か何かと記憶違いしていたのだと思います。

事前に連絡を受けていたのか結子、美千子も来ていました。

俊彰の奥さんは見なかったように思いますが、よく覚えていません。

前述のように、母は父の反対で兄姉と会う機会が滅多になく、会うといつもお酒を飲んでは愚痴を延々と云っていまして、私と姉はその間二人で遊んでいました。

その時は遅めのお昼ご飯を軽くいただいて、姉と持ってきたトランプで遊んでいました。

甘い味付けの炊き込みご飯と、とき卵と麩の吸い物だったのを覚えてます。

俊彰の奥さんは全く家事をしないので、荒れに荒れたキッチンを結子、美千子が片付けながら調理し、母が配膳を手伝っていました。

生家ですから、勝手知ったる感じでした。

トランプにも飽きて退屈し始めると、結子が裏山に連れて行ってあげようと提案してくれました。

私も姉も喜んだのですが、道が危ないので一人づつしか連れていけないと云われ、先に姉が結子に連れられて出掛けて行きました。

ほどなくして結子と姉が帰ってきて、姉は特に山に関心が湧かなかったようで、持参していた漫画を読み始めました。

次に私が結子に連れ出されて山へ行きました。

別に道は危険でも何でもなく誰かの往来があるようで、田んぼの畦道のような、獣道のようなものがありました。

子供が歩くにも問題なく、知ってたら姉と二人で来れたなぁと思ったほどです。

夏休みも終盤で、ツクツクボウシとヒグラシが鳴いていたのをよく覚えています。

獣道を歩いて行くと、小さな祠がありました。

本当に小さな祠で、不釣り合いな一升瓶のお酒が供えてありました。

急に結子が「タケノコを取ってきてあげるから、ここで待っていなさい」と云い、どこかに行ってしまいました。

当時の私はタケノコがいつ取れるのかなんて知りませんでしたから、何の疑問も感じませんでした。

結子が離れてしばらくすると、今まで鳴いていたツクツクボウシもヒグラシも一気に鳴き止み、ひんやりとした空気に包まれました。

私は、小さなお山なのに山の天気は変わりやすいってこういう事かなぁなどと、頓珍漢な事を考えていました。

その祠のある場所は何だかとても居心地がよく、祠に寄り添う感じで座って、ひんやりと湿った林の空気を嗅ぎながら結子が戻るのを待ちました。

しばらくすると結子が「道具を持ってこなかったから掘れなかった」と云いながら戻ってきて、本家に戻ることになりました。

私はもっとそこにいたかったのですが、晩ご飯の買い出しに行くからと云われて結子と一緒に戻りました。

本家に戻ってから、結子美千子と母と姉と私の五人で車で三十分くらいのところにあるスーパーに買い出しに行って、そこでアイスのピノを買ってもらって、姉と半分こしました。

待ちきれなくて、ピノを先にレジ打ちしてもらったのを覚えています。

晩御飯は唐揚げとか、畑で作った枝豆や落花生を茹でたのとか、煮物とか、テーブルに大皿で目一杯並んで、田舎の家庭料理という感じでした。

晩御飯の後はお風呂をいただいて、私と姉は蚊帳を張ってもらって寝ました。

夜中、ふと起きてしまった私は、無性にあの祠の所に行きたくて仕方がありませんでした。

道は覚えてるし、すぐに戻れば見つからないと思って、虫刺され対策に鏡台のところに置いてあったキンカンを勝手に拝借して本家を抜け出したんです。

そっと玄関のドアを閉めてから、祠まで一目散に走りました。

今思えば、真っ暗な中を懐中電灯も持たずどうやってたどり着いたのか。

当時私は家族の事や学校でのイジメで爪噛み癖や抜毛癖があって、子供ながらに何かと悩んでいたのですが、その祠は私の悩みを全部理解してくれる気がしました。

何だかとても温かくて、心地良くて。ずっとそこにいたいと思いました。

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どれくらいの時間そこにいたか知らないけど、気づいたら朝で、本家で寝てました。

夢だったのかと思ったけど、キンカンは鏡台のところからなくなっていました。

蚊帳から出て起きていくと大人たちが慌ただしくしていて、美千子が私にお風呂に入るように云いました。

私は抜け出したのがばれて怒られるのかなと思ったけど、怒ってる口調ではなく、云われるままお風呂に入りました。いつの間にか足の裏も真っ黒だったし。

お風呂から上がると、美千子が服を着せてくれました。

巫女さんが着るような服で、髪にかんざしや何かの葉っぱをつけられて、「今日は大切なお祭りだから」と云われたと思います。

額に麻呂眉を描いて、口紅を差されました。

姉は普段通りの格好だったので、私は七五三的なイベントなんだと思っていました。

その日は朝食はなく、昼間からテーブルにたくさん料理が並べられて、結子・美千子の旦那さんや他の母方の親戚、知らない人達も集まって、宴会のような物が催されました。

田舎風のちらし寿司やお吸い物、お刺身、煮物、それこそ田舎のおばあちゃん宅にお盆に帰省したときに出てくるようなご馳走が並んでいました。

前日と違って、私だけ皆から離れた別の席に座らせられました。

私だけ丹塗りのお膳や高杯で、お料理も違いました。

焼魚、生野菜、果物、お餅、昆布とか……

もう素材そのまんまって感じのシンプルな物ばかりで。

ちらし寿司食べたいなぁなんて思っていました。

宴会が始まって間もなく、盃でお酒を飲むように云われました。

飲んだら子供なので眠くなってしまって、うつろな状態で大人たちが私の頭に触りに来るのを見ていました。

いつの間にか寝てしまい、目が覚めた時には家の中もすっかり片付いてて、皆で『志村けんのだいじょぶだ』だったか、『八時だよ全員集合』だったかを見ていました。

それで私だけお昼に食べれなかったちらし寿司を残しておいてくれたのを食べて、前の日蚊帳を張ってもらった部屋とは違う所で、一人で寝るように云われたのでそうしました。

次の日父のいる家に帰る事になり、それ以降は母方の親戚との付き合いは特に何もなくて、本家に行く事もありませんでした。

中学生くらいの頃に、ふと祠の事を思い出して母に聞いた事もありますが、そんな物はないの一点張りでした。

姉に本家での出来事を聞いてみても、

「あの日は夕食にご馳走をふるまってくれるから車で買い出しに行って、その途中で神社のお祭りがあって、あんただけ参加したんだよ」と云われました。

私は子供だったので時間や距離の感覚は曖昧としても、本家であの衣装を着せられて、妙な食事会をした事は確かだと思っています。

私が十九歳になった頃、母方の本家を継いでいた俊彰が亡くなり、母も本家とは一切縁を切りました。

それから母が私に名前を変えろと云い、私も自分の名前に違和感があったので、今の一見男性のような名前になりました。

読み方は女性名なので、呼ばれてもごく自然に感じますし、むしろ以前からこの名前であったように感じます。

父は今でも私を前の名前で呼びますが、母は私が二十歳になってからは、前の名前で呼ぶ事は一切ありませんでした。

その後母が亡くなり、立て続けに結子美千子の旦那さんも亡くなり、葬儀で母方の親戚と度々会いましたが、皆だ「大きくなったね」と云いながら私の頭や手を触っていきました。

今思えば成人した大人に対して、また葬儀が続いて数ヶ月置きに会っていたのに不自然な振る舞いのように思います。

その後は法事などの付き合いは父がすると云い出し、私は母方の親戚から遠ざけられ、一切交流がなくなりました。

土地の相続の事で親族の印鑑と戸籍抄本が必要という事で向こうから連絡があったりしたようですが、それも父が全て対応していて、今では父も母方の親戚とは一切交流していません。

母は亡くなってしまいましたし、姉は本家での出来事を全く違うように記憶していますし、父は私を前の名前で呼び、母の話を一切しません。

私の戸籍上の名前だけが変わったまま、きっとこの事はなかった事にされていくのでしょう。

以上が私の体験です。

(了)

[出典:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1432478278]

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