人の業というものは、本当に残るのかもしれない。
そう思うようになったのは、二十代の終わりに親父から聞いた、田舎の葬式の話がきっかけだった。
その夜は二人でかなり飲んでいた。
実家の古い居間で、蛍光灯がときどきチリ、と鳴っていた。外では虫が鳴いていた。
親父はグラスを見たまま、不意に言った。
「うちの田舎な。昔、人を食ってたんだよ」
冗談だと思って笑った。
親父は笑わなかった。
「飢饉とか、そういう話じゃない。葬式だ」
村外れに、小さな神社があったという。
人が死ぬと、遺体の一部をそこへ運ぶ。
神主がそれを口にする。
特に大事なのは頭と背骨だった、と親父は言った。
「食えば、その人のものが移るって考えてたらしい」
もの、とは何だと聞いた。
親父は少し考えてから、
「記憶とか、気持ちとか。そういうのじゃないか」
と答えた。
儀式が終わると、神主は遺族の前に座った。
そして死んだ人間が生前に言いそうなことを話した。
どこに何をしまったとか、誰には謝っておけとか、あの畑は誰にやれとか。
遺族はそれを故人の言葉として聞いた。
本当に当たっていたのか、と俺は聞いた。
親父は、
「さあな」
としか言わなかった。
ただ、村では長いこと、それを「ちゃんと送ってもらった」と言っていたそうだ。
その風習は、昭和の終わり頃にはほとんど廃れていた。
代替わりした若い神主が嫌がったからだ。
法律もある。世間体もある。
何より本人がやりたくなかったらしい。
それでも年寄りの中には、
「自分のときだけは昔どおりにしてくれ」
と頼む者がいた。
神主は何人かだけ、断り切れなかった。
それから二十年ほどして、その神主が病気になった。
最初は熱だった。
次に、ひどい発汗が始まった。
真冬でも着替えが必要なくらい汗をかき、水を飲んでも飲んでも喉が渇いた。
やがて歩けなくなり、話も噛み合わなくなった。
誰もいない部屋に向かって返事をすることもあったという。
病院では原因が分からなかった。
半年ほどで死んだ。
解剖した医者が、脳に普通ではない変化があると言ったそうだ。
親父はそこで一度、酒を飲んだ。
「あとになってな」
と言った。
「プリオン病じゃなかったかって話になった」
俺も名前くらいは知っていた。
脳の中で異常なたんぱく質が増え、長い潜伏期間のあとに発症する病気。
昔、人の脳を食べる風習と結びついた病気があった、という話も聞いたことがあった。
だからそのときは、妙に納得した。
昔の迷信に、現実の病気が追いついただけなんだ。
そう思った。
ところが、それから二十年ほどして、今度はその神主の息子が倒れた。
俺の従兄にあたる人だ。
症状はよく似ていた。
ひどく汗をかく。
喉が渇く。
眠れない。
言葉が少しずつおかしくなる。
今度は医者も、かなり早い段階でプリオン病を疑ったらしい。
治療法はなかった。
従兄は亡くなった。
脳の一部は研究のために保存された、と親父は言っていた。
そこまで聞けば、話は終わったように思える。
昔の風習。
病気。
長い潜伏期間。
それだけの話だ。
俺もそう思っていた。
親父が最後に、
「ただな」
と言うまでは。
神主が死ぬ少し前のことだった。
見舞いに行った親父の顔を見るなり、神主は妙なことを言ったという。
「お前んとこの裏の柿の木、まだ残ってるか」
親父は驚いた。
実家の裏には、昔、大きな柿の木があった。
だが神主がその家に来たことは一度もない。
「なんで知ってる」
親父が聞くと、神主はしばらく黙っていた。
それから、
「下にあるだろ」
と言った。
柿の木の下を掘ると、昔の瓶が出てきた。
中には古い硬貨が何枚か入っていた。
親父の祖父が、戦争中に隠したものだった。
その話を知っていたのは、親父の祖父と祖母だけだったらしい。
どちらも、その神主が若かった頃にはもう死んでいた。
祖父の葬式を誰がやったのか。
俺は聞かなかった。
聞かなくても分かった。
「それ、偶然じゃないのか」
俺が言うと、親父は肩をすくめた。
「俺もそう思うよ」
そこで話は終わった。
それから何年も、俺はこの話を忘れていた。
最近までは。
三か月ほど前から、同じ夢を見る。
古い神社の夢だ。
俺はその神社へ行ったことがない。
場所も知らない。
写真を見たこともない。
夢の中では、鳥居をくぐると右に手水鉢がある。
社殿の左側に、屋根の低い小屋がある。
裏へ回ると、石段が七段だけあって、その先は藪になっている。
毎回、同じだ。
そして社殿の奥で、誰かが何かをすすっている。
顔は見えない。
近づくと、その男が言う。
「まだ覚えてるか」
そこで目が覚める。
必ず、汗びっしょりになっている。
先月、親父に電話した。
「田舎の神社って、どんな造りだった?」
少し沈黙があった。
俺は夢で見たままを話した。
鳥居。
右の手水鉢。
左の小屋。
裏の七段の石段。
途中から、親父が何も言わなくなった。
「どうした」
しばらくして、親父が聞いた。
「お前、あそこ行ったことあったか」
ない。
そう答えると、また黙った。
そのあと親父は、低い声で言った。
「七段の先に、昔、井戸があった」
俺はその井戸を知らない。
親父にも聞いたことがない。
けれど、その瞬間、井戸の形が頭に浮かんだ。
丸い石組み。
半分割れた木の蓋。
縁に巻きついた細い縄。
そして底に沈んでいる、白い椀。
どうして知っているのか分からない。
ただ、今これを書きながら、もう一つ思い出した。
夢の男は、「つぎはおまえだ」なんて言っていない。
あいつが毎回言うのは、
「まだ覚えてるか」
だ。
俺は何を覚えているんだろう。
[出典:263 :本当にあった怖い名無し:2012/07/02(月) 08:06:47.79 ID:bZSVoQ840]