人の業ってのはあるんだな、と感じた話がある。
まだ俺が二十代の終わりで、親父と酒を酌み交わすようになってきた頃だ。酔いがまわると、親父はときどき田舎の話をぽつぽつと語り出した。
古びた木造の居間に、チリチリと音を立てる蛍光灯。虫の声が外から染みてくる夜だった。親父がふと口にしたのは、信じがたい話だった。
「うちの田舎な……昔、人を食ってたんだよ」
最初は冗談だと思った。けれど親父の目はどこか虚ろで、冗談とも真実ともつかぬ、ぬるい底なしの水たまりみたいな色をしていた。
ただの生き残りだとか、餓死寸前でとか、そんな俗な話ではないらしい。
聞くところによると、それは"供養"のためだったそうだ。
「魂を受け継ぐんだとさ。食うことで」
小さな神社が村の外れにあってな。そこで、亡くなった人の脳とか背骨を神主が啜る。そうすることで、その人の記憶や思いが神主に移るって、そう信じられてたんだと。
その後で、残された家族の前に出て、「お父さんがこう言ってる」みたいに語り出す。
イタコの真似事とでも言えばいいのかもしれない。でも、そこに誰も嘘や演技を見抜こうとする者はいなかったそうだ。
魂を食らい、声にする。それが当たり前で、村の中では「いい葬送」とさえされていたという。
それも昭和の終わり、六〇年代になる頃には、世代が変わって廃れていった。
代替わりした若い神主が、法律とか世間体を気にしてやめたがっていたらしい。
それでも村の年寄りたちは「わしも脳を食って送ってほしい」としつこく頼んだという。
神主は仕方なく、それを数年続けた。嫌々ながらも、人の脳をすする風習を、絶やさぬようにと引き受けたらしい。
多分それが、引き金だった。
二十年ほど経った頃だったらしい。風の噂で、その神主が奇妙な病気になったと聞いた。
数日、高熱で寝込んだあと、顔がむくんで風船みたいに膨らんだ。目は飛び出しかけて、肌は常に汗まみれ。寝ても覚めても、だらだらと汗を垂らし続ける。
四六時中、水を飲んでいないと、口が干上がって喋れない。皮膚は爛れて、常に熱に浮かされているようだったという。
「呪いだ」と噂する者もいた。
けれど、病院では病名すらつけてもらえなかった。
検査しても、数値は異常だが原因不明。奇病、の一言で済まされた。
半年後、神主は発狂した。
目、鼻、耳の穴という穴から、白濁した粘液を噴き出しながら、叫びもせずに死んでいったという。
解剖の結果、脳はすでにスポンジのようにスカスカに崩れていた。医者は言った。
「この人は、生きながら脳が腐っていた」
話はそれで終わらなかった。
時代は移り変わり、西暦二〇〇〇年を少し過ぎたころ。
その神主の息子……つまり俺の従兄が、同じ症状で倒れた。
今度は、医学が進んだ分、多少はましだったが、結局治療はできなかった。
医者が言うには「プリオン病の一種かもしれない」とのことだった。
プリオン……人の脳を食うことで感染する、異常たんぱく質による病気。
パプアニューギニアの部族では「クールー病」と呼ばれたもの。
死者の魂を受け継ぐために、その脳を食した者が、数十年後に発症する病。
進行性の不眠、痙攣、異常発汗、幻覚、そして最後には狂気の中で死んでいく。
従兄は……発汗が特にひどかった。
点滴をしても、追いつかないほど水分が出ていく。飲めば飲むほど汗になる。
喉が渇いて渇いて、涙も出ない。本人も「水が飲みたい」としか言わなくなっていた。
最後は脱水症状で、舌が膨らみ、呼吸ができなくなって死んだ。
その脳は、今もどこかの医療研究施設に保管されているらしい。
たぶんここまで読んで、うすうす気づいたかもしれないけど、これ俺の親戚の話なんだよ。
最初に発症したのが伯父。そして、息子が従兄。
供養だと信じて人を食った家系の末路、というやつかもしれない。
医者は「プリオン病は遺伝する可能性もある」と言っていた。
実際、日本にも「眠れない一族」っていう、世代を越えて発症する家系があるって本で読んだことがある。
今のところ、うちの親父には何の症状も出ていないし、俺も大丈夫だと思いたい。
でも、もしも、あの血のどこかに、あの肉のどこかに、何かが受け継がれていたとしたら。
何十年後に、俺の目が溶けて、汗が止まらなくなったら。
もし、突然寝られなくなったり、水が欲しくて欲しくて、夜のコンビニをはだしでさまよい出したら。
それは、単なる偶然じゃないかもしれない。
最近、夢に出るんだ。あの、見たことのないはずの神社が。
ぼろぼろに朽ちた鳥居。
その奥に、うずくまって何かをすすっている男。
顔は……膨らんで、目が出て、汗を垂らしていた。
俺が近づくと、そいつが振り返って、言ったんだ。
「つぎは、おまえの番だぞ」
起きた時、シーツがびしょ濡れになるほど、汗をかいていた。
あれはただの夢か?
それとも……始まっているのかもしれない。
[出典:263 :本当にあった怖い名無し:2012/07/02(月) 08:06:47.79 ID:bZSVoQ840]