三月十六日、沖野さんは再開館式で歴史映像を上映しないと決めた。
映像全体を捨てるわけではなく、出演した人へ返す作業や、記録としての整理は続ける。当日は同じ場所に写真を掲示し、舞台上の催しを紹介する短い挨拶へ差し替える。印刷を待たせていた式次第には、まだ変更が間に合った。
反対した職員が一人いた。四十三秒の場面だけ抜けばよい、という意見だった。宮坂さんは、それで上映用ファイルの問題は避けられても、廊下で鳴ったものが確かめられていないと答えた。会館を再び開ける以上、催しのどこかで館内連絡を使う機会はある。古い素材を流さなければ二度と起きないとは、誰も言えなかった。
沖野さんは変更を伝えるメールを、送る前に私へ見せた。理由は「音声設備の確認および掲載資料の再整理のため」となっていた。怪しい声がするからとも、古い設備のせいだとも書いていない。神尾さんの証言を聞いた私には、穏やかすぎる説明に感じられたが、原因を決めて書くことも違っていた。
「それで、どこまで確認できれば開けるんですか」
私は尋ねた。沖野さんは机の端に置いた工事会社の予定表を引き寄せた。
「人のいない部屋へ、こちらが知らないまま音が流れないところまでです。使わない線は外してもらいます。必要な連絡先は、実際に二人で立って確かめる。その記録は残します」
その答えなら、何を終わらせるつもりなのか分かった。沖野さんは予定表の二つの欄へ印をつけた。私も、その日付を手帳へ移した。
午後に、改修を担当した会社の電気工事士が二人来た。年長の方が田辺さん、もう一人が清水さんだった。宮坂さんは会館側の担当者として、既設部分の確認に立ち会った。私は配線を追えるわけではないので、あとで説明を受ける間だけ事務室にいた。井草さんには、調査結果を文字で送ると約束してある。
田辺さんが説明に持ってきた紙には、色の異なる線が二本引かれていた。今回の改修で新設した館内放送系統と、既存の館内連絡系統は別だった。一般の利用者へ知らせる放送の履歴に何もなくても、調整室で舞台作業を確認するための音が、別の経路へ流れる場合はある。その連絡系統の端に、第二試聴室のスピーカーが残っていた。
「改修前の使用先一覧には、ここがありませんでした」
田辺さんは、図面の「倉庫2」を囲んだ。全く知らない線を新たに結んだのではなく、既存のまとめられた系統を、継続使用する設備として戻していたという。使う予定の場所だけで確認を済ませ、枝分かれした先に、一覧から消えていた部屋があった。
上映確認用の音をその系統へ送る設定も残っていた。舞台作業の人が、客席で流している映像の進行を知るためのものだった。三月四日には、それが有効になっていたことを、当日の卓の保存設定から確認できた。古い四十三秒を含む歴史映像は、客席だけでなく、廊下の部屋へも送られていた。
資料五 現況確認の説明から
三月十六日
確認できた事項 旧第二試聴室のスピーカーは、既存の館内連絡系統へ接続されていた。内覧日の上映確認音は、その系統にも送られる設定だった。
確認できていない事項 内覧日に参加者が聞いたという言葉の発生元。客席録画の四十三秒間に声や室内音が残らない原因。
対応 当該分岐と旧機器を撤去する。残す連絡先は一覧を作り直し、送る側と受ける側の双方で確認する。
私は図面の部屋と、机の上の音声ファイルを見比べた。そこへ音が届く線は見つかった。その線へ送ったはずの四十三秒には、「まだいます」という声がない。宮坂さんはファイルを開かず、図面の印を田辺さんへ示した。
「線が残っていたのは、こちらの見落としです。音の中身については、いまあるものだけでは分からない」
彼は田辺さんの前でも、自分が確認しなかった範囲を口にした。田辺さんは言い訳をする様子もなく、倉庫と書いてあるから無関係だと思ったと答えた。二人の話は、神尾さんから聞いた三十六年前のやり取りよりずっと短かった。
夕方、井草さんが会館へ来た。中止の連絡は受け取ったが、当日に説明を求めた自分のせいで上映がなくなったと思う人がいないか、少し心配していた。沖野さんは、上映を中止したのは設備と資料の確認が終わっていないためで、利用者から意見が来たことが問題なのではないと、内覧参加者へ同じ文面で送った。
私たちは空いた客席へ座り、代わりに展示する写真の説明を読んだ。ステージで子供が人形を操っている写真、盆踊りの練習、古い映画会。どれも音のある場面だったが、最初の説明札には、楽しい笑い声、とあった。井草さんがそこを指し、写っている人へ聞いた言葉ですか、と尋ねた。
「そこまで気にすると、何も書けなくなりませんか」
私が言うと、井草さんは少し考え、写真に写っている人へ聞けばよいと答えた。笑い声がしたなら、誰かがそのように覚えていると書ける。私たちは写真を一枚めくり、写っていた年配の男性の名前を沖野さんへ尋ねた。地味な作業だったが、その日のうちに四枚の説明ができた。
撤去作業は三月十八日から始まることになった。午前中に系統を分け、電源と接続を確認し、午後に古いスピーカーと不要な配線を外す。壁や天井の仕上げは二十日までに直す。会館は一般利用の再開前なので、利用者を入れずに作業できた。
私が立ち会う必要はなかった。ただ、三月四日の説明文を完成させるには、撤去前の部屋の写真と、そこで誰が何を確認したかの記録が必要だった。午前の説明が終わるころに来て、機器を扱う範囲へは入らないことにした。井草さんも写真展示の最終確認のため、同じ時間に来る予定だった。
宮坂さんは、当日はもう録音を再生しないと私へ言った。私が頼んだのではない。彼自身が、何度も聞けば当時の声を思い出せると思っていたことを、気にしているようだった。
「一人で聞いていたんですか」
「家で、一度。何も聞こえませんでした。それで、安心しかけた」
「家では、誰も返事を待っていなかったから」
宮坂さんは言ってから、今のは自分の考えです、と付け加えた。携帯をポケットへ戻すとき、角が引っかかった。私はその考えを説明文へ入れず、彼が押し込むまで待った。
その夜、千鶴さんへ途中経過を送った。会館が旧試聴室を撤去し、当日の録音を上映しないこと。本人が外へ出ていたという証言を記録へ残すこと。彼女からは、朗読会の練習が終わったあとに短い返事が来た。
ありがとうございます。あの椅子、使うと片脚が鳴るんです。まだあるなら、捨てる前に一度見ておいてください。音の話ばかりしましたが、あのとき自分が座っていた場所として、いちばん覚えているのは椅子です。
私はその文を読んで、旧試聴室の写真を開いた。右壁から少し離れた椅子は、何の変哲もない学校用の椅子に似ていた。前脚には色の変わったフェルトが貼ってある。宮坂さんが三月四日につまずいたのも、その椅子だった。
返信には、撤去前に写真を撮ってお送りします、とだけ書いた。

[志那羽岩子 ◆PL8v3nQx6A]
本作はフィクションです。登場する人物、団体、場所、出来事、取材、録音、映像および資料は、すべて作品内の架空の設定です。挿絵は架空の場面を描いた生成画像で、実際の記録写真ではありません。