越してきた当初から、この村にはどこか息苦しい匂いがあった。
畑の向こう、見渡す限りの屋根は皆、同じ苗字を背負った家々。笑い声も、足音も、まるで土に吸い込まれてしまうような静けさが支配している。
私は地方都市から、この東北の小さな村に嫁いだ。
主人はここで生まれ育ち、私はただ黙って従うしかなかった。
最初は、よそ者の嫁としての覚悟を持っていたつもりだったのに――。
あれが届いたのは、二〇〇九年五月十九日。
白い封筒に入った、一枚の黒い紙。
黒い紙……ではない。
白い紙を、サインペンで何度も何度も塗り潰して作った、真っ黒な紙切れだった。
宛名も、差出人もない。
封もきっちり閉じられていて、裏まで塗り残しは一切ない。
几帳面すぎて、そこに滲む執念のようなものが、まず怖かった。
最初は一度きりだと思っていた。
だが十日後、二通目が届く。
交番に相談したが「様子を見て」とだけ言われ、ただ夜の見回りを約束されただけだった。
防犯カメラを付けようと思い、警備会社に連絡を入れた。
それでも、黒く塗られた封筒がポストに落ちる瞬間を見たわけではない。
三通目は、違った。
封筒の中身は、古びた小さな写真。
スカートを履いた女が椅子に座っているらしいが、表面は黒く塗られており、顔の部分だけが爪で削り取られている。
削られた部分の白さが、やけに生々しく、見ていると吐き気がこみ上げた。
これをポストに入れたのが誰か――近所の誰かではないかと、私は疑い始めていた。
この村の行事には、私がどうしても受け入れられないものがある。
真っ暗な洞穴に、年寄りたちだけが集まり、ろうそくの灯で念仏を唱える「○○まつり」。
長い数珠を皆で持ち回し、何かに謝ったり、涙ぐんだりしている。
嫁いですぐに一度だけ参加したが、妊娠中だった私は、息苦しさと恐怖で耐えきれず、それ以来欠席してきた。
やがて村に詳しい知人から聞かされた。
これは「隠し念仏」と呼ばれるもので、本来は仏間で行われるはずの儀式だが、この村のそれは洞穴の奥で行われ、しかも閉鎖的な一派――「念仏派」と呼ばれる人々だけが仕切っているらしい。
念仏派は村政にも影響力を持ち、外部の者は排除される。
もし私がその輪の外にいるなら……そこに居続けることは許されないのかもしれない。
六月、ポストに貼ったお詫び文は剥がされ、代わりに古い着物の布を細く裂き、何重にも巻いて作られた小さな飾りが入れられていた。
赤い印が布の端にあり、中には何か固いものが入っている。
それを飾ってから、不思議と近所の態度は柔らかくなった。
だがそれは、懐柔なのか、監視下に置かれたという意味なのか……。
二〇一〇年十月、私はついに再び○○まつりに参加した。
係を任され、洞穴近くの掃除をしながらも、中への立ち入りは許されない。
夕暮れ、洞穴の門が開かれると、女たちはござに座り、長老が挨拶をする。
数珠まわしが始まると、つなぎ目の飾りに触れた者は静かに何かを呟き、時に涙を流す。
「ごめんね」と口にする者もいた。
奥へ続く狭い通路の先に、ろうそくとお供えが見える。
長老がその方向へ目をやるたび、ろうそくの炎が異様に大きく揺れた。
念仏が終わる直前、地の底から響くような低い声が聞こえ、長老はそれに応じるかのように微笑んだ。
その後、大きな木の杯で水を回し飲みする。
隣の女が、私の視線を遮るように睨んだ。
帰り際、思い切って「あの声は何ですか」と尋ねたが、「お前にはまだ早い」とだけ言われた。
かつてこの村で自殺した女性も、私と同じく外から嫁いできた人だったという。
彼女が生きていた頃、何を見て、何を知ってしまったのか……今では確かめようもない。
今もあの黒い手紙の意味は分からない。
あれは脅しだったのか、招待状だったのか。
ただ一つ分かるのは、この村では笑顔も、沈黙も、同じくらいの重さで私を縛りつけているということだ。
(了)