電車の先頭車両の一番前に座るのが好きだった。
理由は単純で、前方の線路が見えるからだ。流れていくレールや信号をぼんやり眺めていると、大学から家へ戻る時間が少しだけ現実から切り離される気がした。
その日も、いつも通りだった。
夕方の車内は混んでいて、立っている人も多かったが、運よく先頭の席が空いていた。座席の少し後ろには、小学生が何人か固まって座っていた。引率らしい大人が二人ほどいて、遠足帰りのようだった。騒がしいが、不快というほどではない。私はイヤホンを外し、前を見ていた。
ガッタン、という衝撃が来た。
線路の継ぎ目を越えたときの揺れとは違う、鈍く、下から突き上げるような感触だった。次の瞬間、電車が急停車した。吊り革が一斉に揺れ、何人かが声を上げた。
最初は、倒木か何かにでも乗り上げたのだと思った。
だが、前方を見ていた私には、違うものが見えた。視界の端で、何かがはねた。形としては認識できない。ただ、線路上にあるはずのない色と動きだった。
車内がざわつき始める。
誰かが「人だ」と言った。
その言葉が、妙に軽く聞こえた。
しばらくして、車内アナウンスが流れた。内容は覚えていない。ただ、安全確認だとか、しばらく停車するとか、そういう定型文だったと思う。私は前を向いたまま、動けずにいた。
後ろの小学生たちは騒ぎ始めた。
「見た?」「何があったの?」
引率の大人が制止する声が聞こえる。その中の一人、女性が携帯電話を取り出した。ためらいもなく、どこかにかける。

「ねえ、今ね、電車止まってるの」
少し間があって、彼女は立ち上がり、窓の方へ寄った。
その視線の先、沿線の家のベランダから、別の女性が顔を出していた。
二人は手を振り合った。
「どうなってるか分かる?」
電話口に向かって、楽しそうに声を張る。
「え、人の手が見える? うそ。やばくない?」
小学生たちが、わっと笑った。
「テレビ来るじゃん。すごくない?」
私は、その声を聞きながら、だんだん遠くなっていく感覚を覚えた。
視界が暗くなり、音が水の中のように歪んだ。
次に目を開けたとき、天井が違っていた。
白い天井。消毒液の匂い。病院だと分かるまで、少し時間がかかった。体を動かそうとすると、点滴の違和感が伝わってくる。
カーテンの向こうから、声が聞こえた。
「手足分裂だって」
「体育座りでいたらしいよ」
「テレビ、結構来てたって」
誰の話なのか、すぐには理解できなかった。
しばらくして、付き添ってくれていた友人がカーテンを引いた。医者と看護師が、気まずそうな表情でこちらを見ていた。
「……そうでしたね。乗っていらしたんでしたよね」
私は、電車で気を失ったのだと説明された。
気絶したのは私だけだったらしい。目を覚ましたときには、まだ電車の中で、座席に横になったまま放置されていたという。
その後のことは、ほとんど友人から聞いた話だ。
私が倒れている間、乗務員は乗客を別の車両に移すため、座席を外し始めた。私がその上に寝ていることなど、特に問題ではないらしかった。金具を外す音が、すぐ横で鳴っていたという。
そのとき、一人の年配の男性が怒鳴った。
「まずはこの子を何とかしてやれ」
その声で、ようやく対応が変わったらしい。
それまでは、誰も私を見ていなかった。
正確には、見てはいたのだろう。ただ、気にしてはいなかった。
小学生の中には、携帯で私を撮ろうとした子もいたという。
友人が無言で睨みつけると、手を下ろしたらしい。
引率の大人たちは、その様子を見ながら、誰も何も言わなかった。
私が救急車に運ばれるとき、ホームには人だかりができていたそうだ。
視線が集まる中、友人たちは必死に私を囲み、顔が見えないようにしてくれた。
それでも、隙間からこちらを覗き込む目があったという。
「みんな、すごく嬉しそうだったよ」
後になって、友人がそう言った。
テレビカメラに向かってピースをする人。
マイクを向けられて、興奮した声で答える人。
事故の話を、武勇伝のように語る人。
潰れた人のことを、誰も直接は見ていない。
見ていたのは、断片だけだ。
それでも、話題には困らない。
人は、起きたことよりも、それを誰かに話せることの方が大事らしかった。
私は助かった。
体も、日常も、元に戻った。
だが、あのとき電車の中で感じたことだけは、今も残っている。
あの車両で、私が見られていたのは、人としてではなかった。
事故の一部であり、出来事の添え物であり、消費される対象だった。
霊を見たわけではない。
怪異に遭ったわけでもない。
それでも、あの時間に戻ると、今でも息が詰まる。
線路の向こうではなく、
カメラのレンズでもなく、
人の目が集まる場所に、
一番逃げ場がないのだと知ってしまったからだ。

782:2015/10/15(木)22:20:38.33ID:hJtdgfLN0
どうしてそういう作り話が出来るのか
それこそが怖いよ
783:2015/10/16(金)07:28:13.24ID:u/X/B85UO
作り話じゃないよ。どこの電車の話か言う?
池袋から川越通って寄居まで行く電車だよ。結構、板橋辺りで自殺が多い電車の話だよ。
十二年前の東武東上線、高坂駅数百メートル手前。もう十数年前だもの、月日までは忘れました。
792:2015/10/17(土)22:36:37.45ID:oyem5BUE0
>>785
2003/11/14、金曜日の夕方7時前ですか?検索で引っかかりました。
11月の金曜日夕方ならほぼ間違いないかも。
794:2015/10/18(日)08:08:07.64ID:J/jhSJEcO
検索するとまだ残っていたんですね。
本当に月日は覚えていませんが、そう、夕方で結構帰宅する人が乗っていましたっけ。
おじさまもサラリーマンのようだったと友人が言ってました。
騒いでる小学生たちと引率の大人たちも、どこか遠足に行った帰りのようでした。
本当に東武東上線は人身事故が多いと聞いていましたが、まさか自分がその事故に巻き込まれるとは思ってもいませんでした。
807:2015/11/01(日)00:37:36.54ID:/RxXHkANO
>>794
今の東上線は人身事故件数日本一、事故が起きても、あぁまたかでテレビなんか来やしない。
三年ぐらい前、東上線に近い本川越駅を出てまもない場所で轢いた当該に乗っていた事がある。
警官や消防がわらわらとやってきて、ちょうど自分がいる車両の真下に死体がある状況だった。
ちらりと外を見ると黒いスニーカーが転がっていてあわてて目をそむけた。
車内は静まり返り、乗客のほとんどはうつむいてケータイや本に目を落として外を見ないようにしていたが、十人ぐらいの男性客がドア前に立って外を見物していた。
突然、外にいた警官がこちらに向かって「見るな、見るな!」と叫んだ。
たぶん、死体を引き出したんだと思う。隣の車両の男性客が倒れて担架で運ばれていき、俺らの車両にも白衣姿の消防隊員が来て
「気分悪い方はいませんかー」
と声かけをしていった。
「救出作業は終了、ただいま警察の現場検証中」
とアナウンスが流れ、もう大丈夫かなと車窓を見ると、若い男女の警官が手に半透明ごみ袋を持って笑っていた。袋の中には、赤黒い何かが入っていた。
その後、当該は隣の駅まで行って、回送になるので俺らは全員降ろされた。
同じ車両に顔見知りがいたので、降りた後のホームで声をかけたら、なんとそいつは人身事故が起きた事に全く気付いていなかった。
乗車してからずっとゲームに夢中になっていたかららしいが、それが一番怖かった。
(了)