今年になって、ずっと胸の奥に沈めていた記憶が、形を持って蘇った。
複雑で、気味の悪い出来事だ。誰かに話しておかないと、夜がやけに長くなる。
小学三年の春、無口で整った顔立ちの転校生がやってきた。
この町は人の出入りが多く、珍しいことではなかった。
僕はそういうとき必ず、真っ先に声をかける性分だった。好きなもの、遊ぶ時間、どんな家に住んでいるのか――そうやって距離を詰める。
当時、流行っていたのはスーファミ。
FF六や聖剣伝説二のカセットを抱えて、僕の部屋は小さなゲームセンターみたいになった。
彼も何度も遊びに来たが、一つだけ困ったことがあった。必ず、弟を連れてくるのだ。
落ち着きがなく、視線を外すとすぐ机や冷蔵庫を漁る。今で言うADHDかもしれない。
最初は笑って流していたが、正直うんざりし、思い切って兄の方に「今度から弟は連れてこないでほしい」と頼んだ。
彼も同じ思いだったらしく、「目を離せないからゆっくりできない」と、むしろ安堵した顔をした。
それからしばらくは、彼一人で遊びに来る日々が続いた。
ある日の放課後、家に着くと電話が鳴った。受話器を取ると彼の声。「今から行くよ」――いつもの合図だ。
そのとき、なぜか口をついて出た。「今日は弟も連れてきていいよ」
だが、返事の前に電話は切れていた。
妙に引っかかり、かけ直すか迷った末、もう一度電話をした。
受けたのは弟だった。兄はすでに家を出たという。
「暇じゃない?」と聞くと、「別に」と淡々と答える。
「もし来たいなら来てもいいよ」と言っても「いい」と拒まれた。
ならいいか、と受話器を置いた。
五分ほどして、彼が一人でやってきた。
僕らはスーファミを始めたが、その日だけは珍しいことが重なった。
まず、両親が留守のはずなのに母が予定より早く帰宅。
普通なら叱られるところだが、彼が礼儀正しく挨拶したせいか、母もにこやかに迎え入れた。
さらに、母が夕方にチキンラーメンまで差し入れしてくれた。
やがて外が暗くなり、母が彼に「弟さんは大丈夫?」と尋ねた。
「ええ、大丈夫です。家にいますし、母は七時半ごろ帰ります。千円置いてあるんで」と彼は答える。
母は「なら一緒に晩ご飯を」と言い出し、すき焼きを作ることになった。
その前に、お母さんに電話を入れるよう促し、もし怒られたら代わってあげると言った。
電話口に出たのは弟だった。「母さんまだ帰ってない」
母は「弟さんも呼んであげたら?」と勧めたが、「いま食べてるからいい」と返された。
三十分後、もう一度電話をかけることになった。
受話器を取った彼の顔が一瞬固まった。
「……あんたどこにいるの!」という女の怒声が、部屋中に響いた。
続いて、受話器の向こうから子供の泣き叫ぶ声――嗚咽とも悲鳴ともつかない音が漏れてくる。
その直後に知らされたのは、信じがたい事実だった。
三十分前、最初の電話のあと、弟は事故で亡くなっていたのだ。
話によると、弟は最近買ってもらったビデオカメラを回しながら、一人で「ファッションショー」のような遊びをしていたらしい。
ベッドの端にタオルをかけて首に巻き、ぶら下がるようなふざけをして……そのまま戻れなくなった。
救急車とパトカーの赤い光が、転校生の家を照らしていた。
彼の母は地面に崩れ、嗚咽を漏らしていた。
僕は帰り道で泣きながら歩いた。あのとき、なぜ呼ばなかったのか。もし呼んでいれば、助かったかもしれないと。
彼は中学のとき引っ越したが、たまに商店街で見かけることがあった。
けれど、声をかけることはできなかった。
二十年以上経った今年。
同窓会の二次会で、売れない芸人をしているBの家に集まった。
Bが「六年前に実家に届いたビデオが不気味でさ」と言い、四人で見ることになった。
画面には、アパートの一室。子供がカメラを回している。
しばらくすると、カメラが固定され、部屋全体が映る。
そして、ガタン――音と同時に映像が途切れる。
そこに映っていたのは、あの弟だった。
同席していたCが「これ、△△の家でも見た」と呟いた。
△△は同級生で、事情を聞くと、彼の家にも同じ小包が送られてきたという。
話し合いの結果、同級生の住所録をもとに、順番に送られている可能性が浮かんだ。
僕はその夜、吐き気が止まらなかった。
二十年以上前の、あの電話の声が、耳の奥で蘇る。
それはもう、録画された映像の中にしか存在しないはずの声だ。
なのに最近、夜中に目を覚ますと、廊下の奥から――受話器の向こうのあの嗚咽が、じっと耳を澄ませる僕を呼んでいる。
[出典:86 :本当にあった怖い名無し:2018/07/20(金) 15:59:15.46 ID:PID9YUSD0.net]