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短編 r+ 奇妙な話・不思議な話・怪異譚

電話口にはいた rw+2,358-0506

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今年になって、ずっと胸の底に沈めていた記憶が、急に形を持って浮かんできた。

きっかけは、一本のビデオだった。

小学三年の春、うちのクラスに転校生が来た。無口で、顔立ちの整った男子だった。この町は転校生が多かったから、それ自体は珍しくなかった。僕はそういう子を見ると、わりとすぐ話しかけるほうだった。好きなゲームは何か。どこに住んでいるのか。放課後は遊べるのか。今思うと、距離の詰め方が少し強引だったかもしれない。

当時はスーファミが流行っていた。FF六や聖剣伝説二のカセットを持ち寄って、僕の部屋に集まることが多かった。彼も何度も来るようになった。

ただ、いつも弟を連れてきた。

弟は落ち着きのない子だった。黙って座っていられず、目を離すと引き出しを開けたり、冷蔵庫を覗いたりする。僕の母にも注意されるし、ゲームも中断する。最初は我慢していたが、そのうち面倒になって、ある日、兄のほうに言った。

「今度から、弟は連れてこないでくれない?」

彼は少し驚いた顔をしたあと、すぐにうなずいた。

「俺も、そのほうがいい。あいつがいると、ずっと見てないといけないから」

安心したような顔だった。

それからしばらく、彼は一人で遊びに来るようになった。弟の話はほとんど出なくなった。僕も聞かなかった。

ある日の放課後、家に帰るとすぐ電話が鳴った。受話器を取ると、彼の声だった。

「今から行く」

いつもの合図だった。

そのとき、なぜか僕は言った。

「今日は弟も連れてきていいよ」

言ってから、自分でも少し変だと思った。別に弟に会いたかったわけではない。むしろ来ないほうが楽だった。それなのに、口が勝手に動いたような感じだった。

返事はなかった。

すぐに電話は切れた。

気になって、僕はもう一度かけ直した。呼び出し音のあと、弟が出た。

「兄ちゃん、もう出たよ」

声はいつもと変わらなかった。少し眠そうで、ふてくされたような声だった。

「暇なら、お前も来る?」

そう聞いた。

「いい」

「ほんとに? 来てもいいよ」

「いい」

短くそう言って、向こうから切られた。

五分ほどして、彼が一人で来た。僕らはいつものようにゲームを始めた。その日は、少しだけいつもと違った。

まず、留守のはずだった母が予定より早く帰ってきた。普通なら「またゲームばかりして」と怒られるところだが、彼が丁寧に挨拶したせいか、母は機嫌がよかった。夕方にはチキンラーメンまで作ってくれた。

外が暗くなりかけたころ、母が彼に聞いた。

「弟さんは大丈夫なの?」

彼は画面を見たまま答えた。

「大丈夫です。家にいます。母は七時半ごろ帰りますし、お金も置いてあるんで」

「じゃあ、うちで晩ご飯を食べていきなさい。すき焼きにするから」

母はそう言った。

彼は少し迷っていたが、結局うなずいた。母は「お母さんに電話しておきなさい。怒られたら代わってあげるから」と言った。

彼が電話をかけた。

出たのは弟だった。

「母さん、まだ帰ってない」

彼はそう言って受話器を置いた。

母が「弟さんも呼んであげたら?」と言った。

彼はもう一度かけた。今度は少し長く話していた。

「飯は?」

少し間があった。

「……いま食ってるならいいけど」

それだけ言って切った。

僕はそのやり取りを、はっきり覚えている。声までは聞こえなかった。でも、弟が電話に出ていたことだけは疑っていなかった。彼も、母も、僕も、その場にいた三人とも、そう思っていた。

それから三十分くらいして、母がもう一度電話するように言った。帰宅した彼のお母さんに、うちで夕飯を食べると伝えるためだった。

受話器を取った彼の顔が、一瞬で変わった。

「……あんた、どこにいるの!」

女の人の怒鳴り声が、部屋まで漏れた。

その後ろで、子供が泣いているような声がした。泣き声というより、喉の奥に引っかかった息が、何度も押し出されているような音だった。

彼は「え」とだけ言った。

母が受話器を代わった。しばらく何も言わずに聞いていたが、やがて顔色を変えて「今すぐ連れて行きます」と言った。

僕も一緒に行った。

彼の家の前には、救急車とパトカーが来ていた。赤い光がアパートの壁を何度もなでていた。玄関の前で、彼のお母さんが崩れるように座り込んでいた。近所の人たちが遠巻きに見ていた。

弟は、もう亡くなっていた。

事故だった、とだけ聞かされた。ひとりで部屋にいて、ふざけているうちに戻れなくなったらしい。ビデオカメラが回っていたとも聞いた。詳しいことは大人たちが話さなかった。

僕は帰り道で泣いた。

なぜ呼ばなかったのかと思った。最初に誘ったとき、もっと強く言えばよかった。兄が来たあとでも、母が言ったときに、僕が迎えに行くと言えばよかった。そうすれば間に合ったかもしれない。そう思った。

でも、同時に別のことも頭から離れなかった。

僕は、弟と話した。

彼も、弟と話した。

母も、弟が電話に出たと思っていた。

それなのに、あとで聞いた死亡推定時刻は、僕が最初にかけ直した少し前だった。

その話を、僕たちはしなかった。

彼は中学に上がってしばらくして引っ越した。商店街で何度か見かけたことはある。だが、声をかけられなかった。向こうもこちらに気づいていたと思う。それでも、互いに知らない人間のように通り過ぎた。

二十年以上経った今年、同窓会があった。

二次会のあと、売れない芸人をしているBの家に、何人かで流れた。酒も入り、昔話になった。そこでBが「そういえば、変なビデオがある」と言い出した。

六年前、実家に小包が届いたらしい。差出人はなかった。中には古いビデオテープが一本だけ入っていた。気味が悪くてしばらく放っていたが、古いデッキを持っていた知人に頼んでDVDに移してもらったという。

Bは笑いながら再生した。

画面には、見覚えのあるアパートの一室が映っていた。

子供の手で撮られた映像だった。天井、床、押し入れ、服。カメラは何度もぶれた。子供がひとりで何か喋っている。聞き取りづらかったが、はしゃいでいるのは分かった。

しばらくして、カメラが棚の上に置かれたらしく、部屋全体が映った。

そこにいたのは、あの弟だった。

誰も何も言わなかった。

画面の中で、弟は一度だけ電話のほうを見た。

呼び出し音は鳴っていない。

それなのに、弟はゆっくり受話器を取った。

「いい」

画面の中の弟が言った。

僕はそこで息が止まった。

その声は、二十年以上前、僕が聞いた声と同じだった。

弟は少し間を置いて、もう一度言った。

「いい」

それから受話器を置いた。

画面の端で、弟はしばらく黙って立っていた。誰かの返事を待っているようにも見えた。だが、部屋には誰もいない。

やがて、弟はカメラの前から外れた。

ガタン、という音がした。

映像はそこで乱れ、黒くなった。

Bが停止ボタンを押した。誰も笑わなかった。

その場にいたCが、低い声で言った。

「これ、△△の家でも見た」

△△も同級生だった。数年前、同じような小包が届いたらしい。中身は同じビデオだったという。誰が送っているのか、分からない。差出人もない。ただ、届いた家には共通点があった。

あの日、同じクラスだった。

そして、弟のことを覚えている。

Bは「住所録でも見て送ってんのかな」と言った。無理に笑おうとしていたが、声が乾いていた。

僕はその夜、家に帰ってから何度も吐いた。

次に届くのは、たぶん僕のところだと思った。理由はない。ただ、そう思った。あの電話をかけ直したのは僕だった。来てもいいと言ったのも僕だった。来なくていいと思っていたのも、僕だった。

それから毎晩、電話が鳴る夢を見る。

今の家には固定電話などない。それでも、夜中に目が覚めると、廊下の奥で呼び出し音がしている気がする。昔の黒い電話の、低くて重い音だ。

鳴っているはずがない。

だから最初は無視していた。

でも最近、その音の合間に、子供の息が混じるようになった。

泣いているのではない。呼んでいるのでもない。ただ、受話器の向こうで、じっとこちらの返事を待っている。

昨夜、とうとう玄関に小包が置かれていた。

差出人はなかった。

中には、DVDが一枚入っていた。

まだ再生していない。

ただ、ディスクの表面に油性ペンで小さく文字が書いてあった。

「いい」

[出典:86 :本当にあった怖い名無し:2018/07/20(金) 15:59:15.46 ID:PID9YUSD0.net]

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