八階の自宅に戻るため、深夜のエレベーターに乗ろうとしたときのことだ。
扉の中に、先客が一人いた。
男だった。
ただ、なぜか壁に向かって立っている。背中をこちらに向けたまま、微動だにしない。
一瞬ためらったが、掲示板でも見ているのだろうと自分に言い聞かせ、そのまま乗り込んだ。
扉が閉まった直後、低い声が聞こえた。
ボソボソと、言葉にならない何かをつぶやいている。
嫌な予感がして、壁に背中をつけるように立つ。視線だけで男を盗み見ると、顔を壁ぎりぎりまで近づけ、歯をむき出しにしていた。怒りだけで固めたような表情だった。
エレベーターが動き出す。
八階から一階までが、異様に長い。
男の声は次第に大きくなり、「だから貴様が言うか」「俺のせいか」と、誰かに詰め寄るように怒鳴り始めた。
こちらに向く気配はない。それが、かえって怖かった。
やっと一階に着き、扉が開いた瞬間、逃げるように外へ出た。
振り返ると、男は降りてこなかった。最初からそこに固定されていたみたいに、同じ姿勢のままだった。
それから数週間、同じ男を何度も見かけた。地下通路で、壁に向かって話しかけている。自宅近くでも、同じように。
狙われているのかと思い、神経がすり減った。
ある日、友人と歩いているとき、また男がいた。
「ほら、あいつ」と言って指を差すと、友人は怪訝な顔をした。
「誰もいないぞ」
その瞬間、胸の奥が冷えた。
思い返せば、最初に会ったのは深夜一時過ぎだった。
妙に納得してしまい、逆に少し安心した。幽霊なら、刺されることはない。
だが、事態はそこで終わらなかった。
ある夜、帰宅すると、玄関の前に男がいた。
ドアに顔を寄せ、低い声で何かを言い続けている。入れず、コンビニに逃げた。
戻ると姿は消えていた。
次の日、冷蔵庫の前にいた。
壁と同じ距離で、同じ声で。
塩を振りかけても、何も起きない。
怒鳴り声で眠れない夜が続き、ついにこちらも怒鳴り返した。
「消えろ」と。
翌朝、目を開けると、顔のすぐ前に男がいた。
また、壁に向けるのと同じ表情で。
その後、友人に言われた。
「さっき、壁と話してたぞ」
それ以来、何が正しいのかわからない。
病院にも行った。何か言われた気もするが、詳しいことは覚えていない。
ただ、今も夜中に冷蔵庫の前を通ると、
背後の壁が、少しだけ近く感じる。
[出典:839 :本当にあった怖い名無し:2015/06/29(月) 01:27:03.03 ID:ggI/nIIS0.net]