二十年来の幼馴染、隆一郎の話だ。
……いや、正確には、あいつの口から聞いたはずの話だが、本当にあいつの声だったのか、今となっては自信がない。
あの日、久しぶりに再会した。互いに年齢を重ね、髪には白いものが混じりはじめていたが、笑い方は昔のままだった。
酒が進み、話題がとりとめもなく移り変わっていくうち、ふと隆一郎が、教師時代のことを話し出した。
勤めていたのは、県立の女子高。英語の担当で、四クラス分の授業を受け持っていたらしい。
配布物のプリントは、毎回授業前に校内のコピー機で刷っていた。四クラス分まとめて印刷するのは時間も紙も食うので、一クラスごと人数分だけ刷るのが日課になっていたそうだ。
ところが――。
一つだけ、妙なクラスがあったという。
三十二人分刷ったはずが、必ず三十三枚出てくる。
最初は単なる勘違いだと思った。だが、同じ現象が何度も繰り返される。他のクラスでは起きないのに、だ。
「配るときも不思議でな」
隆一郎はグラスを見つめながら、笑いともため息ともつかない吐息を漏らした。
いつも通り、教室前方の列の生徒に手渡し、「うしろに回せ」と指示する。すると、最後に必ず一枚余る。
以前、それを見た女子が「先生、なんでいつも一枚あまるの?」と笑いながら聞いたことがあったそうだ。
そのときは「先生の分だよ」と笑ってごまかした。しかし、本当は自分の分はすでにファイルに挟んで持っている。
ある日、隆一郎は自分が少し疲れているだけだと証明しようと、コピー機の前で印刷枚数を目で追いながら数えてみた。
三十一枚印刷、原本を足して三十二枚。完璧に合っている。
その束を直接問題のクラスに持っていった。
配り終えた瞬間、やはり一枚が余っていた。
背筋を氷の指で撫でられたような感覚が走ったという。
生徒を数える。三十二人、全員揃っている。休みはいない。
なのに、一枚余っている。
「このクラス三十二人だよな?」
声が、少し震えていたらしい。生徒たちはクスクス笑い、「先生寝ぼけてるんじゃない?」と茶化す。
だが、隆一郎が真剣な顔で「三十三人はいないよな?」と繰り返すと、教室がざわついた。
そのときだった。
後方から、金属を爪でひっかくような、耳を裂く声が響いた。
「なんでわかった!?なんでわかった!?なんでわかった!?なんでわかった!?」
凍りついた教室。
隆一郎は、自分が声の主を見た記憶がない。ただ、その叫びが耳の奥にこびりつき、息が詰まった。
視界が狭まり、気がつけば校長室のソファで横になっていた。校長と養護教諭が覗き込み、安堵したように微笑んでいた。
それからのことは早かった。
隆一郎は、その学校を辞め、地元に戻ってきた。理由は濁していた。
俺の家の二軒隣があいつの実家で、時折、道で会う。けれどあの話を聞いたのは、あの日が初めてだ。
……酒の勢いだったのだろう。
俺は、どうして教師を辞めたのかを訊いた。
隆一郎はしばらく黙ってから、吐き出すように語った。
学校を去る直前、避けていた問題のクラスの生徒を呼び止め、あのとき叫んでいた奴が誰かを聞いた。
生徒は青ざめ、「先生……あれ、先生だったよ」と答えたらしい。
隆一郎は、確かに叫び声を聞いたが、自分が発した覚えは一切ない。
俺は笑い飛ばそうとしたが、笑えなかった。
なぜなら、その話をしている最中の隆一郎の口元が、俺の見ていない間に、微かに動いた気がしたからだ。
あれ以来、夜、窓越しに隆一郎の家の方を見ると、カーテンの隙間から、三十三枚目の何かが、こちらをじっと数えているように思えてならない。
[出典:76 :2012/06/15(金) 03:47:12.13 ID:J4ibncVXO]