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どちらが外か rw+4,345-0215

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俺が大学に入って間もない頃に知り合った友人の話だ。

ここでは仮に俺を田口、あいつを佐藤としておく。

佐藤は三年半ほど前、海の見える古いマンションに越した。波打ち際まで歩いて五分もかからない高台の建物だ。鉄の手すりは錆び、外壁は潮でまだらに剥げていたが、窓からの眺めだけは異様に整っていた。海と空の境目が、毎朝まっすぐ引かれている。

佐藤は絵を描いていた。とくに海ばかりを。

「ここから見てると、手が勝手に動くんだ」

そう言って、窓際に立った。まだ荷解きも終わっていない部屋に、すでにいくつもキャンバスが立てかけられていた。どれも同じ角度、同じ水平線。だが、よく見ると波の形が少しずつ違う。まるで何かを探すように。

俺は何度もその部屋に通った。行くたびに、キャンバスの枚数は増えていった。

ただ、ある時から妙なことに気づいた。
前に見たはずの絵が、なくなっている。

「売れたのか」と聞くと、佐藤は首を振った。

「いや。描き直してるだけだ」

だが、描き直したにしては、数が合わない。
増えているのか、減っているのか、わからなくなっていった。

そのうち、佐藤はほとんど外に出なくなった。アルバイトも辞め、部屋の灯りもつかなくなった。

ある晩、久しぶりに訪ねた。呼び鈴を押しても反応はない。ノブを回すと、鍵はかかっていなかった。

部屋は暗く、窓だけが開いていた。
海の音が、前より近い。

「佐藤」

呼ぶと、窓際から声が返った。

「……見てるだけでいいんだ」

振り向かない。
床にはキャンバスが立て並び、四方を囲んでいる。すべて海だ。だがどれも未完成で、水平線の途中で筆が止まっている。

「完成しないのか」と言うと、佐藤は小さく笑った。

「完成すると、なくなる」

何が、と聞く前に、潮風が強く吹き込んだ。
キャンバスの一枚が倒れる。そこに描かれていたのは、窓から見えるはずの景色だった。ただし、部屋の中まで描かれている。俺の立っている位置まで。

「外に出ろよ」

そう言ったとき、佐藤が初めてこちらを見た。

「出てるよ」

その言葉の意味がわからなかった。

それからしばらくして、佐藤は部屋からいなくなった。大家も警察も来たが、争った形跡はないという。窓は開いたまま、キャンバスは壁一面に並んでいた。

ただ一枚だけ、床に伏せられていた。

裏返すと、描きかけの海がある。
水平線の手前に、小さな人影が立っている。

後ろ姿だった。

警察は絵も持っていった。だが数日後、「本人の持ち物として返却する」と言って俺に連絡が来た。親族が受け取りを拒んだらしい。なぜ俺の名が出たのかは知らない。

仕方なく、俺はそれを自分の部屋に置いた。

窓の向かいの壁に立てかけた。

それからだ。

毎朝、目が覚めると、絵の中の水平線がわずかにずれている。
最初は気のせいだと思った。

だが今日、気づいた。

絵の中の窓が、開いている。
俺の部屋の窓は、閉めたはずなのに。

波の音が、少しだけ近い。

――完成すると、なくなる。

佐藤が何を言っていたのか、まだわからない。
ただ、キャンバスを処分する気にはなれない。

もし描き足してしまったら、
どちらが外になるのか、わからなくなる気がするからだ。

[出典:175 名前:海 投稿日:2003/06/27 20:20]

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