この話をすると、必ず誰かに「作り話でしょう」と言われる。
でも、あれは幻覚や妄想なんかじゃなかった。今でも、あの笑顔と声を思い出すと胸が締めつけられる。
看護学生の頃だった。まだ技術も知識も半端で、ただ「人の役に立ちたい」という漠然とした気持ちだけで動いていた時期だ。ある日、友人と街に出かけた帰り、目の前で交通事故が起こった。車に撥ねられたのは、十代半ばの女の子。
「誰か、救急車を!」という声に押されるように駆け寄った。勉強中の身で、応急処置の知識もまだ不確かだったけれど、見過ごすことなどできなかった。幸い、友人も一緒だったので手を借り、必死に止血と気道の確保を試みた。
女の子は意識が朦朧としていて、顔に流れる血で目もよく見えなかった。それでも必死に声をかけた。「大丈夫、大丈夫だから」「もう少しで病院だからね」……自分に言い聞かせるように繰り返した。
やがて救急車が到着した。親の姿はなく、少女は一人だったので、私と友人も同乗した。しかし搬送の途中、脈が途切れ、息が止まった。モニターに赤い線が真っ直ぐ走った瞬間、胸の奥で何かが千切れた。
その後、検査で内臓破裂が判明したと聞いた。つまり、最初から助かる見込みはほとんどなかったのだ。それでも、あの小さな体が冷たくなる瞬間を手の中で感じてしまった私は、激しい無力感に呑まれた。
「看護師になんて向いていないのかもしれない」そう思い続けた。だが、あの場に居合わせた友人や学校の仲間、講師たちの励ましに背中を押されるようにして、なんとか卒業までこぎつけた。
資格を得て、初めての配属先は外科病棟だった。そこは生と死が日常的に隣り合わせにある場所。治る人もいるけれど、あまりに多くの人が苦しみ、そして去っていく。
専門用語の洪水、先輩からの叱責、医師の苛立ち……。夜勤のたびに心も体も削られ、次第に生きる力そのものが奪われていくようだった。
ある夜勤明け、どうしようもなく胸が重くなって、ふらふらと屋上に上がった。朝焼けに染まる街を眺めながら、鉄柵に背を預けた。ふと後ろを振り向いた瞬間、心臓が跳ねた。
そこに、あの子がいた。
顔も服も、事故当時のまま。血に濡れた制服に、蒼白な頬。だけど、彼女は微笑んでいた。救急車の中で拭ってあげたあの顔。そのままの輪郭だった。
「……みほちゃん」思わず声にした瞬間、姿はすっと消えた。
――名前を忘れていなかった。あのとき病院で、身元確認に呼ばれた看護師から聞いていたのだ。『美穂』。
それからだ。不思議なことが続いた。
廊下の角、ナースステーションの窓際、職員用食堂の隅……ふとしたとき、みほちゃんが立っている。声をかける間もなく消えてしまうのだけれど、必ず私が極限まで疲れているときに現れた。
重病患者のケアに追われ、泣きそうになりながら注射器を持っているとき。先輩からの罵声で手が震え、逃げ出したくなったとき。そんな瞬間に限って、彼女が静かに微笑んでいた。
怖いという感情は不思議となかった。むしろ、見守られているような、不思議な安心感があった。
年月が過ぎ、経験を積むうちに主任を任される立場になった。最初の出勤の朝、緊張を抑えきれずに早めに更衣室へ向かった。ロッカーの前に立つ影を見て、呼吸が止まった。
そこにいたのは、やはりみほちゃんだった。血の跡などはなく、清らかな姿。
「みほを助けてくれて、ありがとう」
笑顔でそう言ったとき、足元から力が抜けた。続けて彼女は言った。
「あのとき、病院に着くまで、お姉ちゃんの声がずっと聞こえていたんだよ。『大丈夫』『もうすぐだから』って。苦しかったけど、それを聞いて少し安心できたの」
堪えていた涙が一気にこみ上げた。あのとき、自分はただ取り乱して声をかけ続けていただけだったのに。彼女は、それを覚えていてくれた。
「ほら、お姉ちゃん。もう時間だよ。苦しんでる人が、お姉ちゃんを待ってる」
その声は、私の心の奥にまっすぐ届いた。
「ずっと心配でそばにいたけど、もう行かなくちゃ。……ありがとう、そして、おめでとう」
その言葉を残して、みほちゃんは笑顔のまま消えていった。
それ以来、彼女の姿を目にすることはなくなった。
私は今、小児科病棟に配属され、師長として働いている。日々子どもたちの命と向き合うたび、あの少女の笑顔を思い出す。
みほちゃんは、私の中で生き続けている。あの事故の日から、今に至るまで、ずっと私を導いてくれていたのだと思う。
だから私は今日も、泣きそうになる患者の手を握り、「大丈夫」と声をかけ続けている。あのとき、みほちゃんにかけたのと同じ言葉を。
――それが、私にできる、唯一の祈りだから。
[出典:666 :本当にあった怖い名無し:2008/10/19(日) 05:05:04 ID:Pubegn7lO]